私のウォッチャーライフにも、いよいよ終わりが見えてきたようだ。

 

昨年は「そろそろ終わりが近い」という記事をBooks&Appsに寄稿した。

“語ることで食べていく”時代の終わり──プロブロガーとスピリチュアル教祖の転落 | Books&Apps

 

今回の記事は、その続編である。

私はこれまで12年以上も「子宮系スピリチュアル」の観察を続けてきたが、その開祖であり、「子宮委員長」を名乗っていた女性が、実質的に活動休止状態になっている。

 

彼女のブログは、3月31日を最後に更新が止まった。

Instagramやfacebookでは化粧品の宣伝が細々と続いているが、本人による私生活の開示を含めた近況報告などは上がってこない。

 

数年前から実業家を気取るようになっていた彼女は、昨年「電気代が払えない」と資金ショートを明らかにした。

それからの展開は早く、今年の2月には離婚を発表し、続けて経営していたカフェの休業も発表された。プロデュース&販売していた雑貨や著書もセールで在庫処分されたり、レーベルの終了が告知されたりしている。

 

自宅に隣接した店舗(雑貨店)の在庫を整理して、空いたスペースをアトリエにして絵を描くと言うが、島の駅「壱番館」(産直市場)の経営からはまだ手を引けていないのに、画家を気取って絵なんか描いてる場合なのだろうか。

 

彼女は活動を停止したわけではないし、本人にもそのつもりはないだろう。まだ何か企んでいる風ではある。

けれど、無理になってきているのだ。おそらく彼女の精神が、もはやこれまでの活動を継続できる状態にないのだと私は見ている。

ブログは彼女の生命線だったのに、それに手がつかないのは重症だ。

 

これまでの彼女なら、どんなに困難があろうと、どれほど精神が落ち込んでいようと、すべてを洗いざらい文字にして、ブログだけは書き続けていた。

「ブログに思いの丈を綴ること」が、彼女の生きる術だったのだから。

 

彼女はスピリチュアル教祖と言われているけれど、スピリチュアルの皮を剥いた実態は、ただのブログ芸人である。

元はと言えば、人気ブロガーとして注目を集め、世に出た人だ。

全盛期には、彼女の著書が書店の平台を埋めていたし、著名人とも交流して、テレビ出演もしていた。

 

インフルエンサーとして落ち目になった要因は、アンチやウォッチャーによるバッシングや彼女自身の魅力と能力の限界もあったのだろうが、ブログというメディアそのものが衰退したことも大きい。

活字メディアの衰退と共に、彼女の発信内容がカモに届かなくなっていったのだ。

 

令和の時代にまだアメブロを読んでいる人間なんてほとんどいない。かつて彼女の主張に夢中になり、顧客となったようなバカ女たちは、もはや娯楽として活字を読まなくなっている。

まともではない商売は、バカを引っ掛けられなくなったら終わりである。

 

彼女は決して、座して死を待っていたわけではない。

facebookとアメブロのコンボで無双できていた時代が終わりを迎えると、すばやく軸足をInstagramへ移していたし、YouTubeにもチャレンジしていた。

ただ、ブログの時ほど人気が出なかっただけだ。彼女が才能を発揮できる場所はブログに限られていた。

 

新しいメディアで新規のカモを引っ掛けることはできなくても、アメブロに馴染んだ既存の顧客を繋ぎ込めていれば細々と食いつないでいけるはずだが、彼女はもう2ヶ月もブログを休んでいる。もはや書くための気力が湧いてこないのだろう。

 

電気代も払えないほどなのだから、島の駅「壱番館」は利益が出る体質ではなく、かなり厳しい状況にあるにちがいない。

このさき彼女が浮上することがあるのか、それともこのまま消えてしまうのか、答えが出るにはもうしばらく時間が必要だ。

 

そして、同じく子宮系スピリチュアルの教祖であった假屋舞にも動きがあった。

昨年、競売にかけられそうだと書いた壱岐島のリトリートハウス「マノア」が、ついに競売にかけられたのだ。建設費に1億6千万円かかった物件の競売価格は、たった1,928万円である。

 

假屋舞は物件を取り返そうと、あわてて集金プロジェクトを立ち上げたが、資金の応援を頼むブログ記事についた「いいね」の数は、涙を誘うほど少ない。

かつてなら同じ呼びかけで何百といいねがついて、実際にお金も集まっていたはずだが、数字がすべてを物語っている。彼女に共鳴するファンは、もはや残っていないのだ。

競売の入札期間が6月5日までなので、この件に関してはもうじき答えが出る。

 

私はなぜ、12年以上も彼女たちの観察を続けてきたのか。

きっかけは、親しかった友人が子宮系スピリチュアルにハマったことだった。当時の知人たちにも、スピリチュアルに傾倒する者が少なくなかった。

 

なぜあんなばかげたものに夢中になるのか、子宮系女子と呼ばれた人たちの心理が、私にはどうしても理解できなかった。その謎の答えを探ろうとしたのだ。

しかし、長期に渡り観察を続けても答えは出なかった。仲間のウォッチャーたちの考察も面白かったが、これだという答えにはなっていなかった。

 

けれど、その答えを一冊の小説が教えてくれた。

今年の本屋大賞を受賞した朝井リョウの「イン・ザ・メガチャーチ」は、推し活をテーマにした作品だ。読みながら、子宮系スピリチュアルにハマる女性たちもまた、推し活をしていたのだと気づいた。

 

作中に登場する国見という人物は、アイドルをプロデュースする側の人間だ。ファンを熱量の高い信者「花道」へと変える仕掛けを作る。

その国見が、こんなことを言う。

決して少なくない人が、自ら何らかの中毒に陥りたがっているということです。

何でもいいんです。とにかく、何かに対して熱量を高めていたい、何かに時間や労力や資金を注いでいたいという人はとても多い。

それは多分、我を忘れて何かに夢中になっている方が、楽だからです。

ずっと我に返ったまま生きるにはこの世界は殺伐とし過ぎていますし、人間の寿命は長すぎますから。

そして国見は続ける。

私たちはこれまでもこれからもずっと、花道から何も搾り取ってはいません。

花道に、自分自身を使い切らせてあげているんです。

皆、自分を余らせたくないんです。

(中略)

自分を過剰に消費していた何かがなくなったところで、それに自分を注いでた人たちは別の何かで自分を過剰に消費するしかありません。

1番のタブーは、自分が余ることなんです。

自分を使い切ることが今の時代に手に入れられる唯一の正解であり、幸せなので。

だから私たちは、花道から無理やり何かを搾り取っているわけじゃないんです。

一度何かを幸せだと認識させたのなら、最後まで自分を使い切らせてあげないといけないんです。

何かの拍子に視野が広がって自分を客観視してしまわないように。

 

これが、私が探していた答えだった。

子宮系スピリチュアルにハマっていた女性たちも、同じことだ。

中毒症状に陥っていた方が人生は楽だから、自ら狂いに行く。

目を覚ましたくないし、現実の声など聞きたくないから、目も耳も塞ぐ。教祖たちの無謀な事業に大金を投じるのは、自分を余らせたくないからなのだ。

教祖たちはそれを本能的に分かっているから、罪の意識などないどころか、むしろ自分を奉仕者だと認識しているのだろう。

 

いや、ひょっとしたら、教祖たち自身も信者たちと同じなのかもしれない。

無謀なことを次々と繰り返すのは、自分を余らせたくないがために、自ら狂いに行っているのかもしれない。

 

私はどちらかというと、まやかしの希望より厳しい現実の方がマシだと考えている人間だ。

歯を食いしばり、運命が与える試練を乗り越えてこそ、自分らしく生きていける。

 

そんな私に子宮系女子たちの心情など分かるはずがなかったのだ。12年かけて観察しても答えが出なかったのは、当然のことだった。

答えがわかった今、これで心置きなく観察を終えられる。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

マダムユキ

ブロガー&ライター。

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photo:Edwin Andrade