東海林さだおの死

漫画家・コラムニストの東海林さだおが亡くなった。2026年4月5日のことだったという。

大げさでもなんでもなく、「一つの時代が終わった」と思った。あるいは過ぎ去ったのだと。

 

おれにとって東海林さだおは、コラムを通じて日本語の文章というものを教えてくれた人であり、漫画を通じて自分の知らない昭和サラリーマン世界を教えてくれた人である。

おれにとってどれだけ大きな存在であったかは、いくら書いても書き足りない。

 

とはいえ、連載を欠かさず読む、単行本をしっかり買う、よき読者ではなかった。

連載していた雑誌を読まなくなると、自然とコラムは読まなくなってしまった。漫画本を買う習慣がなくなると、ショージ君の漫画を読むこともなくなった。

それでもどこかで、令和の今でも東海林さだおが世界を見ているという思いはあった。

 

東海林さだおは基本的に世界の片隅を見る人なので、「世界の大局が安心だ」という思いにはほどとおい。

ただ、東海林さだおのような人がいてくれることが、そのファンがいてくれることが、日本社会の小さくて確かな安心だったと、そう思う。

 

こちらに掲載された記事でも、東海林さだおの文章を取り上げたことがあった。

『令和の日本には「貧乏」がない』

 

「なに、貧乏がない? ケシカラン!」と憤るまえに、中身を読んでほしい。

東海林さだおの後半生(人間のどこからが後半なのだろう?)はたぶん貧乏とは程遠かったとは思うが、決して「ビンボー」の視点を失うこともなかっただろうと思う。東海林さだおは偉大なる小市民であった。

 

令和の今も、若くして東海林さだおのような感覚を持って生きている人はいると信じたい。

少なくとも、高級ではない素朴でB級グルメの世界には、東海林さだおが見出して広めた「感じ」が生きているように思う。

 

「十代よ大志を抱け」

おれが東海林さだおの訃報を聞いて、最初に行ったのが、ゴミ部屋の中から本を探すことであった。

小さなころに父から与えられて、実家を失い一家離散となったときも、手放すことなく持ちつづけたおれにとっての最初の一冊、『ショージくんのコラムで一杯』だ。

むろん、おれが持っているのは文庫本ではなく単行本だ。カバーはすでになくなっていた。

 

あらためて読み返して、やはり東海林さだおは文章がうまいし、着眼点も冴えているし、なにより人間くささがにじみ出ていていいなあと思った。

そう思うと同時に、幼い自分の生き方に影響を与えていたのではないかという一編も出てきた。

 

そのタイトルは「十代よ大志を抱け」というものである。

その昔、クラークおじさんは言った。「少年よ、大志を抱け」と。

これは、これから大人になってゆく青少年を励ますための言葉である。

ところが、この言葉のために、いかに多くの青少年の心が傷ついてきたか、クラークおじさんは知らないであろう。

励ますつもりの言葉が、逆に多くの青少年を絶望の淵においやったのである。

少年よ、大志を抱け。

青少年は、すべからく大志を抱かなければならない。

大志を抱けないような奴は、ロクなものにならんぞ、クラークおじさんは、暗々裏にこう脅迫していたのである。

 

「少年よ、大志を抱け」が、令和の今も青少年向きの名言として流通しているのかどうかは知らない。

ただ、少なくとも自分の時代には流通していた。その言葉を、東海林さだおは真っ向から否定するのである。

おれのようなこれから大きくなる子供に対してである。いや、当時の自分は想定読者ではなかったかもしれないが。

 

まあいい、「Boys, be ambitious」である。

Wikipediaなどを読むと実際に言ったかどうかとか、まあ言ったんじゃないかなとか、「Boys, be ambitious like this old man」だったとか、「Boys, be ambitious in Christ」だったとかいろいろ書かれているが、まあクラークおじさんがアンビシャス好きな人だったのはたしかなようだ。

晩年は山師のようなことをして失意のうちに死んだ。

 

それはそうとして、この言葉を「大志を抱けないようなやつはろくな人間になれない」という脅迫と受け取るのは、まあちょっと盛っている。

盛っているが、一方でおれのような小人物は「そうだよな」と納得してしまうところがある。

小志はいかん、とこう言っていたのである。

ささやかな人生でいい、市井の片隅の人生で十分、どう考えてもこういう結論しか出てこない青少年は、ここのところで早くもいじけてしまうのである。

「おれのはどうせ小志だ」

だが、もともと志には、大も小もありはしないのだ。

大切なのは志そのものなのである。

大きい志だの、小さい志だのと、そういう区別をすることがすでに間違っているのだ。

ビヤホールのジョッキじゃあるまいし、大と小とを区別して、「大のほうにしなさいね」などと、クラークおじさんは余計なことを言ったものである。

 

そうだ、おれは子供心にも小志の持ち主だった。

べつに東海林さだおに感化されたわけじゃないと思う。

なんとなく生きていれば、なんとなく生きられるのではないかという、ぬるい楽観主義者だった。

 

自分のことは悲観主義者だと思っているわりに、「人生」とか大きなスケールになると、なんともいえぬ楽観があった。

普通に高校に行って、普通に大学に行って、普通にサラリーマンになって、普通に結婚して、普通にマイカーを買って、普通にマイホームを持つ、そんな人生。

 

……はい、昭和の空気。バブルが弾ける前の日本の空気。それに染まっていた。

でも、そういう時代もあったのだ。そして、実際にそう生きてきた昭和の人たちもいる。

むろん、昭和には昭和の、今じゃ考えられない苦労も競争もあったろう。競争に参加させてもらえない人たちもたくさんいただろう。ただ、昭和の終わりごろに子供だった自分、バブル崩壊前を知っている自分には、そういう昭和の楽観があった。

 

その後のおれの人生といえば、バブル崩壊の余波を受けた父が事業に失敗し、実家も失い、一家離散し、社会の底の方を生きてきた。

おれは就職氷河期世代でもあった。あったが、それとおれとは関係ないところもあって、それは前に書いたとおりだ。

「氷河期からドロップアウトできた人生」

まあ、おれは普通に大学を卒業できなかったし、普通にサラリーマンになれなかったし、普通に結婚できなかったし、普通にマイカー持ってないし、普通にマイホームを持っていない。

四十代の半ばを過ぎて、東海林さだおが得意分野の一つとしていた、「ビンボーな大学生」のような生活をしているといってよい。

毎日雪平鍋でうどんを茹でて食べる毎日です。

 

こんな世界にだれがした?

さて、話を「十代よ大志を抱け」に戻そう。東海林さだおはこのようなことを書く。

人間の歴史は、小志の連中が大志の連中に舵取りをまかせてやってきたわけである。

その結果が、今日のこの地球の姿である。人類は、あと数十年しか生きられないであろうという悲惨な情況になってしまっているのである。

大志の果ての連中にまかせたばっかりに、とんでもないことになってしまったのである。

クラークおじさんに代わって、今度はぼくが断固として言う。

「少年よ、大志を抱くな」と。

 

この原稿の最後には「49.1」とあった。昭和49年1月に書かれたものだろう。

昭和49年の数十年後に人類が滅ぶとは、どの終末論だろう。ローマクラブの「成長の限界」がこの二年前くらいに出ている。

それに限った話ではなく、人口爆発や環境汚染への不安が世界を覆っていたのもまた一つの事実だろう。あるいは冷戦、核戦争もあるか。戦後の昭和は決して明るい未来へ邁進していただけの時代でもなかった。

 

して、「人間の歴史は、小志の連中が大志の連中に舵取りをまかせてやってきたわけである」という物言いをどう思うだろうか。

「少なくとも民主主義の社会では一人ひとりが舵取りの主体であって、このような他人事の考え方は許されない!」と怒る人もいるにちがいない。

 

しかし、おれはこれにも同感なのである。だいたい、民主主義で舵取りをしようと、たとえば政治家になろうと手をあげようという人間は、一般的な人間像と一致するだろうか。

思い出してほしい。学生時代に、クラスのほとんどの人間が学級委員長になろうと手をあげたり、全校生徒のほとんどが生徒会長になりたいと手をあげたりしただろうか。そんなのは、ごく一部のやつだった。

 

なんならちょっと真面目すぎるとか、変わり者だとか、そんなふうに思われてはいなかっただろうか。

真面目な人間を冷笑するのは昭和の昔も、令和の今も良いことではないだろうが、やはり少数派だったはずだ。

 

そういう意味で、やはり民主主義にあっても、小志の人間が大志の人間に舵取りをまかせてきてしまったというのは正しい歴史観のように思える。

あるいは、歴史を遡れば、民主主義がありながらもヒトラーのようなカギ括弧付きの「大志」を持った人間にまかせてしまったこともある。

 

とはいえ、だ。このコラムが逆説と絶望だけで終わっていないところがある。

「あるいは、小志の人間が社会をうごかせば、とんでもないことにはならないのではないか」という点だ。

 

でも、実際、どうなのだろう。聖人君子が国の舵取りをしたこともあれば、悪逆非道な人間が国の舵取りをしたこともある。

思想や設計が正しいと信じ込んだ指導者たちによって、ひどいことになったこともある。でも、やっぱり小志の人間が舵取りをした例はないんじゃないかな。今後も、たぶん。

 

小志すら抱けなくなった時代に

そんな「小志」の思想を令和のいま読んだ。大きな共感がまだそこにはあった。

が、正直にいえば、やっぱり「小志」も今や贅沢な望みだよな、と思う自分がここにいる。

 

「ささやかな人生でいい、市井の片隅の人生で十分」。これ自体、なかなか困難なことだ。

片隅とはいえ、まずは「市井」の中にぶらさがっていなくてはならない。

いまの時代、市井、すなわち庶民や大衆でいることは、なかなか大変なことだ。

 

先に「貧乏がなくなって貧困や困窮がなりかわった」ことについての記事を紹介したが、それと同じように「片隅」もなくなってしまったのではないか。

庶民や大衆でいることのハードルが高くなって、大志とはいえなくとも、金を稼ぐ人間としての有能さを抱いていなくては、小志の人生も歩めない。

 

もちろん、昭和の昔は福祉もなにも今に比べて充実していなかった。

とはいえ、どこか貧乏であることの余裕、片隅にいる余裕があった。そのような幻想がおれにはある。

そして、今はもう、市井の真ん中にいられなくなったら終わりだ。市井の下に追いやられる。そこは地下だ。落ちたら終わりだ。その嫌な緊張感がこの社会を覆っている。そんな気がしてならない。

 

そんな令和らしく、AIにも「少年よ、大志を抱け」について聞いた。そしたら、こんなことを返してきた。

令和の若者からすると、

「大志は抱くとして、その前に家賃と奨学金と物価をどうにかしてくれ」

という感想もありそうだ。

現実的なやつだ。

 

大志を抱くにしても、あるていど余裕があったほうがいい。

もちろん、立志伝中の人はものすごい底から這い上がったりしているが、それは稀の稀だ。

 

そして、稀でない小志の人にとって、家賃や奨学金や物価はものすごく重要だ。

べつに高望みはしない。ただ、人間、せめて小志くらいは抱いていいはずだ。

 

できれば、そのくらいの余裕のある世界であってほしいが、舵取りをしている大志の人たちはどう感じているのだろうか、おれにはよくわからない。

 

 

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(2026/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

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