もう40年以上も前、おそらく1970年代の、遠い昔の記憶の話だ。

近所の家の庭先で、とてもかわいい子犬が5匹、生まれたことがあった。

白に黒、ブチに茶白…、目も開かない中でヨタヨタ歩こうとする姿はたちまち町内の子供達の話題になり、連日、学校帰りに皆がその家の軒先に集まる。

 

母犬のおっぱいに一生懸命吸い付く小さなモフモフたちのかわいさは、とても言葉になどできない。

そんな生まれたての命を家主さんの許可をもらい、抱っこしたり、スリスリしたりしながら毎日、楽しい時間を過ごしていた。

 

1970年代といえば、犬は外で飼うものであり、エサは残り物に味噌汁をかけて与えるような時代だ。

既製品の犬小屋のようなものが備えられている家は、“上流階級”だけである。

多くの場合、軒下に打たれた杭に適当にヒモで繋がれ、そばに水入れ兼エサ入れが転がっている、というのが犬の扱いだった。

 

さらに当時は、犬も猫も野良がそこら中にうろちょろしている時代である。

軒先に繋がれている犬はいつでも、その家がそうであったように、発情期になるといつの間にか子犬を産むのが普通の出来事だった。

 

そんなある日、一つの事件が起きる。

いつも通り放課後、皆で子犬をモフりに行くのだが、軒先にも犬小屋にも一匹もいない。

さらに裏庭に置かれた燃え盛る焚き火用のドラム缶から、子犬の鳴き声のようなものが聞こえる。

 

「やばい!子犬がドラム缶の中にいる!」

すぐに家の玄関を叩き、家主に異変を知らせる。

すると、程なくして出てきたおっちゃんはこんなことを言う。

 

「子犬たち、どこに行ったんかと思って探してたんやわ。なんで自分からドラム缶の中に入ったんやろうなあ、かわいそうに。こらもう助からんわ」

「そんな!まだ鳴いてるじゃないですか、助けましょうよ!」

「あかんあかん、危ないし火傷するから、触ったらあかんど!」

「…」

 

すると、そんなオッサンにイラついた何人かの上級生が、家主を無視してドラム缶を蹴り倒した。

薪や家庭ごみ、よくわからない燃えカスに混じり、真っ黒に煤けた子犬が出てくる。

痙攣し、かろうじて生きている子もいたが、程なくして皆、動かなくなってしまった。

 

「なんでこんなことになったねん…」

「どうやって子犬が、こんな大きなドラム缶に自分で入り込んだんや…」

 

そんなことを口々に言い合い、あまりに残酷な事件にショックを受ける子供たち。

まだ幼かった頃の、遠い記憶の果てにある悲しい思い出だ。

 

嘘という“麻薬”

話は変わるが、もうだいぶ以前のことだ。

製造業の会社を経営する知人と話している時に、こんな“口論”になったことがある。

 

「雇用調整助成金って知ってるか?社員を休業させたらその分、国が給与を補填してくれる制度やねん」

「知ってるけど、なかなか使い道ないなあ。逆にもっと人手が欲しいくらいやし」

「相変わらずお前は素直やなあ。嘘も方便って言葉を知らんのか?」

「…は?」

「書類上で従業員を休ませたら、それでお金をもらえるって制度なんやぞこれ」

 

そして彼は、社員を普通に出勤させて、何日かに1回だけ休ませたことにすること。

日替わりで少しずつ、何人かの社員でローテーションして休ませればいいじゃないか、ということ。

やりすぎなければ、きっとバレないだろうというような趣旨のことを話す。

 

「絶対にやめとけ。ホンマにそれはヤバい。公金を詐取しようとするとか、メチャメチャやぞ」

「いやいや、お前は昔から、ホンマにまじめ過ぎやねん。こんなもん、どこの会社でもやってるん知らんのか?自分だけやらへんだら、自分だけが損をするっていう意味やぞ」

「お前こそ、現実を知らなさ過ぎるわ。人が動くと、その痕跡を消すことなんか絶対にできへんねんぞ。社員が仕事したら、あらゆるところに痕跡が残るんや。証憑類や経理記録の実務を知らなさすぎやろ」

「そんなことくらい矛盾なく、上手くやれるわ。休ませたことにした日は、経費精算を一切せんようにすればいいんやろ?嘘も方便ってもんやわ」

 

あらゆる意味で、社会や会社経営を舐めきっている。

公金を詐取してもバレないと思っている、認識の甘さ。

経費精算や行動記録を全て改ざんできると思っている、数字や経理実務に対する知識の無さ。

不正行為を“嘘も方便”と繰り返す、モラルの低さ。

 

それだけではない、経営トップがそんな指示を部下や従業員に出したら、組織のモラルはどうなるのか。

元々、気が合うとは言えないヤツだったが、この出来事を機に縁を切ることを決めた。

 

そしてそれから、2年後くらいのことだったろうか。

案の定、ヤツの会社が雇用調整助成金の不正受給を認定され、返還命令が出されたと聞くことになる。

その額は数千万円に昇り、巨額であったことからもニュースになったのだが、当然のことだ。

 

最初は数十万円程度からはじめたのだろうが、

「何もしなくてもお金をもらえる」

などという“麻薬”の快感を覚えたら、行動がエスカレートしたであろう状況が目に浮かぶ。

ただ、その経緯に少し関心があり、面識のあった同社の取締役に連絡を取ったことがあった。

 

「随分と巨額の返還命令を喰らったようですね。会社はもつのですか?」

「…厳しいですが、なんとか生き残れると思います」

「そうですか。ところでもしよろしければ教えて下さい。今回、どんな理由で不正が露見したのでしょう」

「おそらくご想像の通りだと思いますが…。休業手当の対象になった社員の、移動やホテルの宿泊などの、経理記録の矛盾あたりです。100点以上も指摘されたので、どうしようもありませんでした」

 

“どうしようもありませんでした”という説明になんとも言えない違和感しかなかったが、要するに彼もまた、どうにかなると思い、どうにかしようとしたのだろう。

社長が社長なら、取締役も取締役ということだ。

 

程なくして、彼の会社は主要取引先はもちろん、顧問弁護士の事務所からも解約され、税理士事務所からも解約され、さらに2年ほど後に特別清算(俗に言う倒産の一形態)に追い込まれ、消滅する。

公金の不正受給を始めたときには90名くらいの社員がいたようだが、それからすぐに社員が辞め始め、最後は18名くらいの規模にまで縮小していたと聞いた。

 

それはそうだろう。

いくら生活がかかっているからといっても、社長自らが部下に公然と不正行為を指示し、さらに不正企業であると公に認定され、ニュースにもなるのだから。

誰がそんな会社で働きたいと思うものか。

 

会社経営者は、閉じられた世界の中で本当に大きな権限を持っている存在だ。

だからこそ、器の小さなアホほどすぐに、万能感に狂い社会も従業員の心も舐め腐り、わけのわからない価値観に基づいた経営判断を始める。

そしてそんなアホほど、意味のわからないロジックで自分の行為を正当化しようとする。

典型的なバカ経営者そのものである。

 

「嘘も方便」という言葉を勘違いした、頭の悪い彼の会社が潰れたこと、本当に良かったと思っている。

 

“嘘も方便”の本当の意味

話は冒頭の、子犬の事件のことについてだ。

当時はまだ小学校1年生か2年生か、そんな幼さもあり良くわからなかったが、当然、今はよくわかっている。

 

あのオッサンは、飼いきれずに持て余した子犬を燃え盛るドラム缶に放り込み、焼き殺したに決まっている。

本当は子供たちが集まる前にやろうとしたのだろうが、タイミング悪く下校時刻に重なり、大騒ぎになる。

そこですかさず子供たちに、

「自分も子犬を探していた」

「まさか子犬たちが、自分からドラム缶に入っているなどと思いもしなかった」

という、“嘘も方便”を思いつき説明した。

 

しかしこんなものは、「嘘も方便」ではない。

詭弁であり、言い訳であり、命に対する許しがたい冒涜であって暴挙である。

 

ワンコの外飼いが当たり前で、去勢や不妊手術という概念が存在していないに近い時代だったからといって、許されるものではないだろう。

もっとも私は、ワンコやニャンコから去勢や不妊手術という「生き物としての喜び」を強制的に奪い、にもかかわらず「大事な家族」と言える風潮にも大きな疑問を感じるが。

大事な息子のキンタマを切り落とし、娘の子宮を除去するような手術などできるものか、と思うが、それは別の話にしたい。

 

そして話は、雇用調整助成金の不正受給をしたアホ経営者の知人についてだ。

彼は「嘘も方便」と言い訳し、会社存続を至上命題として不正行為を正当化し続けた。

確かに、会社の存続そのものが、ある意味において会社の至上命題であることは間違いない。

 

しかしながら、そのために不正行為にまで手を染め、しかもそれを社員にも強要したらどうなるか。

モラルが崩壊し、会社が無法地帯になることはもちろん、志ある有能な社員から辞めるに決まっているだろう。

 

結局のところ、子犬を焼き殺したオッサンも、雇用調整助成金を不正受給した知人も、同じ穴の狢(むじな)である。

「嘘も方便」という言い訳で、「結果的に上手く行けば、どんな嘘をついてもOK」という、見下げ果てたモラルに生きる卑怯者だ。

 

「嘘も方便」という諺(ことわざ)の本当の意味は、嘘も吐き方によっては、社会や物事がうまくいく、という例えである。

言い換えれば、自分のエゴのために嘘を吐くということの正当化に使えるものなどでは、断じて無い。

 

それにしても、オッサンになれば随分と昔のことを思い出すものだと思った、2024年の年の瀬だった。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。
中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)
『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)
など

最近、ウチの裏山付近でデベロッパーが山を崩し谷を埋める大規模な土地開発をしてるのですが、1日中、家が揺れてたまりません(泣)
震度2~3の揺れが断続的に続くので、かなり参ってます。
誰か助けて!><;

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