敗北宣言

おれは今年46歳になる。中年も真っ盛りといっていいだろう。そんなおれに今年、意識の変化が訪れた。おれは中年体型を受け入れることにした。

おれはあまり体型の変わらない人間であった。20代のころからたいして変わらなかった。30代のころはスポーツ自転車に目覚めて、クロスバイクで一日200km近く走るというくらい太ももあたりがムキムキになっていたが、それ以外、とくに変化がなかった。20代のころ買った、とくべつお気に入りの服も着ることができていた。

 

というわけで、おれは40代になっても、まだまだ20代の体型を維持できているぞ、と思っていた。

そこに加わったのがチョコザップである。おれがコロナを機に自転車もジョギングもやめてしまった。その穴埋めのような形でチョコザップに通うようになった。今まで筋トレなどしたことなどない。筋トレ。そのうえで、トレッドミルやエアロバイクによる運動。ありじゃないのか。ありだろう。あっていいだろう。おれの体型は維持されるはずだった。

しかし、今のおれはどうにもお腹が出てきている。どうにも身体がたるんでいるような気がする。おれはジョギングも自転車も、チョコザップ通いもしていない。そして、たぶん体重が増えている。おれにとっては危機的状況かもしれない。それでもおれは、「もうこれでいいかな」という気持ちになってしまった。

 

体重計の不具合

なにがきっかけだったか。たぶんのきっかけがある。ものすごく小さいきっかけだ。おれは毎日体重計に乗っていた。体重計はスマートフォンと連動していて、毎日の体重を記録していた。レコーディング・ダイエットというものがあるらしいが、まあそんな意識もなく、毎日体重計に乗っていた。

が、ある日、体重計とスマートフォンの連動がうまくいかなくなった。体重計の電池が弱まっているのか、なにかべつの事情かわからない。そんなのが2日も続いた。2日も続いて、おれはなにもしなかった。おれは体重計に乗ることをやめてしまった。

 

なぜだろうか。たぶん、年度末だった。おれの仕事は、年度末、異常に忙しくなる。そんなときに、なにか余計なことをする気力がなかった。気力がない。

気力がないといえば、今年の年度末は気力が落ちていた。気力が落ちるというと、あいまいな言い方だが、もっとはっきり言えば軽いうつ状態だった。おれは双極性障害、躁うつ病だ。日々の生活で細かく変動するところはあるが、もっと大きな流れがあって、それで躁状態とうつ状態を繰り返している。もっともおれは2型と呼ばれる軽躁とうつを繰り返すタイプ、ほとんどが軽いうつ状態にあるタイプだ。たぶんだけれど、広末涼子さんとは違う。

あの事件は、手帳持ちのおれが見るに、幅の激しい1型じゃないかなと思う。もちろん、これは素人の言うことで、なんの根拠もない。ただ、双極性障害(双極症)にもひどく激しい落差があるのと、そうでもないのがあるのは知って帰ってほしい。というか、あの事件の反応見ていると、双極性障害(双極症)という言葉もまだまだ知られておらず、「躁うつ病」がわかりやすいよな、とか思った。このあたり、精神病診断の本家であるアメリカ英語の訳語みたいなところもあって(今後は「双極症」がメーンになるだろう)、素人には口出しできないのだが。

 

まあいい、おれは、軽いうつ状態が続くなか、たいへん忙しい年度末を迎えていた。なんもできん。いや、仕事以外なんもできん。その仕事すら、朝寝込んでしまって半日しか出られないみたいな状態だった。おれはもう、自分の体重を気にするところではなくなった。いくらか普通のときであれば、体重計とスマートフォンの連携を回復させようと思っただろうし、連携ができなくなったとしても体重をはかったに違いないが、そのときは、そういう気持ちすらなかった。

ささいなことで、自分の体調をはかるのをやめてしまう。そういうこともある。覚えておいてほしい。ただ、体重計の調子が悪くなっただけで、だ。

 

体型の許容

そのまま、年度末が終わっても、おれは体重計に乗ることはなかった。もう怖くなってしまった。どんな数値を出すのかわからないからだ。べつにその期間に暴飲暴食をしたとかいうことはない。黙々と、毎日同じように鍋を作って食べていただけだ。野菜がいっぱいの鍋だ。昼もとりわけ多くしたとか、内容を変えたとかいうこともない。それでも、あまりの運動不足と、習慣である体重計に乗らなくなったことによる体重増が怖かったのだ。

体重増。しかしそれはよくわからんともいえる。騎手の武豊は手首の太さで細かい体重を自覚してコントロールするというが、おれにはよくわからない。体重を体重計なしに自覚するのは難しい。

 

だが、おれのなかで感じることが一つあった。腹回りが、その、なんというか、太り気味なのではないか? ということだ。これは自覚できる。ちょっと、これは、お腹が出てきたといっていいのではないか。恥ずかしい話だ。これを書いていても恥ずかしい。恥ずかしいが、それは事実だ。

おれはその事実をどうしたか。年度末が終わったからチョコザップに通うようになったか? ならんかった。長い単位でのうつ傾向は続いている。やる気はなにもおこらない。

 

その間、おれはメルカリで何着か古着を買った。急になにやらスーツが欲しくなった。そして、ジーンズが欲しくなった。おれは、ウエストのサイズをかなり大きめに見積もって、商品を探した。そして届いた商品は、どれも履くことができた。少し大きすぎるかな? とも思った。それでも、これ以降も太っていくことを考えたら、大きめでよかったんじゃないかと思った。

おれは、もう自分が太っていくことを、知らず知らずのうちに受け入れていた。それを想定して古着を買っていた。それを自覚したとき、おれは驚いただろうか。そんなことはなかった。そういうものだろうと思った。それが当たり前なのだと。

 

人は老いる

おれはもう、中年というものを受け入れるようになった。そういうことだ。おれはそれに抗う気持ちもなくなった。いや、少なくとも抑うつ傾向にある今はそうだ。躁状態になったら、いきなり走り出すかもしれないのでわからないが、まあそれはもうおれのことだけれど、おれのコントロール外のことだ。

 

いずれにせよ、今のおれは今の自分がなりつつある体型を受け入れている。それは醜いものだろうか。一概に醜いとも言えないだろう。言うなれば年輪だ。年輪を重ねた体型といっていい。樹の幹が太くなっていくように、人間も太くなっていく。それでいいじゃあないか。20代、30代にとくに持続的な運動習慣を持たなかった(自転車に乗っていた一時期は特異期間だ)自分にとって、これは当然の帰結ということだ。むしろ、今までよく20代の体型を維持していたと思える。もういいだろう。もう楽になってもいいだろう。

 

と、いったところでおれが暴飲暴食の中年期を迎えるというわけではない。おれは両親が糖尿病なので、自分の糖尿病が怖い。なので、糖質には非常に気を使っている。つい最近の血液検査で、おれのHbA1cは5.0%だった。これはたいしたものなのだ、たぶん。おれは糖分のコントロールはできている。

……ん? 暴飲のほうはどうか? おれのγ-GTは112だ。明らかに基準値より高い。20代より30代、30代より40代、おれの飲酒量は増えていった。一時期、減酒に目覚めたこともあったが、減酒はすぐに眠りに落ちた。眠りに落ちたうえに刺し殺されて、土の中に埋められてしまった。酒はやめられません。酒で死ぬなら本望だ。酔生夢死、夢生酔死。それでいい。

 

君もあきらめろ

おれは、あきらめた。もう20代の体型はあきらめた。スマート体型な中年男性もあきらめた。そもそもおれは見栄えのするような身長もない。人間、あきらめが肝心だ。加齢によって形作られた体型は、不完全な形の完成だ。人生の残響だ。抗うのもいいだろう。ならば大きく抗え。食生活を一から見直せ。大きな肉体改造を目指せ。そうでないのならば、ちょっとだ食べるものを変えようだとか、軽い運動をしようだとか、そういうものは捨ててしまえ。いや、体型維持でなく、健康維持になら意味あるかもしれないが。

 

もう、仕方ないだろう。年を取れば太りやすくなる。顔に皺も刻まれる。肌の調子も悪くなってくるかもしれない。でも、それはもうおまえが生きてきた証だ。そう開き直るしかない。開き直れないなら、整形手術でもなんでもすればいい。だが、それだけの価値があるだろうか。おれの肌は小学生のようにきれいだと言われるが、それももうなくなるかもしれない。でも、それが年相応というものだ。老いを甘んじて受け入れよう。

 

べつに、いいじゃないか。今まで着ることのできた服は年相応じゃなかった。流行遅れかもしれない。服が似合わなくなったら、着られなくなったら、新しい似合い方を探せ。それでいい。そんなものだ。

若いころには可能性があったかもしれない。しかし、年老いては現実に寝そべるしかない。寝そべって見える景色もまた新しい。老いを誇る理由もないが、恥じる理由もない。年相応に、おのれの器を受け入れればいい。

 

さらに老いることがあったとき、老いの目覚めが訪れる。おれは老人の景色を見るだろう。それもまた新しい。人生はいつも新しい。もっとも、おれの抱えている双極性障害は、自殺を差っ引いても寿命が短いことが知られているのだが。

 

魂だけはフレッシュで

しかし、しかしだ、でも、おれが受け入れていないものがあるとは思えないか。それはなんだ。魂の老いだ。これは認められない。おれの魂はまだまだフレッシュだと信じている。三つ子の魂百まで。おれはまだ幼児のように世界に対して過敏だし、思春期のようにちっぽけなことに思い悩む。おれは成人したころに引きこもりだったから、そのときのこともしらない。今からでも成人するつもりだ。

 

おれはもっともとやれるはずだ。フォーエバーヤング。ステイフーリッシュ。そしておれはまだまだモテたいし、モテるつもりでいる。世界からモテるに違いない。そんな日はくる。おれが死ぬ前には来るだろう。おれが新しい皇帝のように世の中の前にあらわれるとき、おれの肉体が、体型がどのようになっていようともどうでもいい。おれはつねに新しい景色を見ているし、世界はつねにフレッシュだ。そんなつもりで生きている。とくになにか努力している形跡は見られない。

 

 

 

 

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【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

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