新江ノ島水族館

秋の連休、おれは鎌倉と江の島に行った。観光である。おれは鎌倉で生まれ育ったが、藤沢により近い津西の出なので、あまり寺社仏閣だの大仏だのが身近にあったわけでもない。

だからといって江の島を遊び場にしていたかというとそうでもない。地元の人間は地元の観光地にあまり行かない。

 

江ノ電も、ぜんぜん今ほどではなかった。そりゃおれが定期を持っていた湘南モノレールに比べれば、観光地の象徴として大きな顔をしていた。

ただ、今はもう行き過ぎている。あれはもうオーバーツーリズムで成り立たない。いや、お客さんがたくさん来て、お金が儲かれば鉄道として十分成り立っているのだろうが、地元の日常の足にはならないな、と思った。まあ、連休のときに乗ったやつが悪いが。

 

そして、新江ノ島水族館。通称えのすい。「新」がついていることからわかるように、かつて江の島水族館というものがあった。

2003年まであったのだから、おれが子供のころはただの江の島水族館であった。おれに子供のころの江の島水族館の記憶があるかといえば、まったくないような気がする。たぶん、行ったことはあると思うのだけれど。

 

大人になってからは行った。おれは相模湾大水槽におおいに感動して、「これは一日見ていても飽きない」と思ったものだった。

ただ、「一日見ていても飽きない」ところにも、べつになんとなく行くことなく、少なくとも十年は行っていなかった。まあ、そんなものである。

 

そんな新江ノ島水族館に、行ったのだ。なぜか入口の窓口が一つしか空いておらず、大行列を越えて館内に入った。

 

令和時代のイルカショー

あいかわらず相模湾大水槽はおもしろかった。クラゲは美しかった。十分楽しんだ……ところで、偶然イルカショーが「あと10分で開始です」というタイミングに出会った。

「どうしようか?」、「見たい!」ということになって、もうお客さんで一杯の会場の一番上から見ることになった。

 

イルカショー。イルカが音楽に合わせてジャンプしたり、なんかボールを蹴ったり、輪をくぐったりするやつだ。

正直、おれはそこまで深い興味を抱いてはいない。でも、あと10分だし、せっかくだし、ということになれば見るのも一興、というところ。

 

で、ショーが始まった。始まる数分前からトレーナーがいかにわれわれはイルカと仲良しであるかということを説明した。

そして、イルカの個体の見分け方を説明して、「一頭でいいから覚えて帰ってください」といった。遠すぎて見分けはつかない。

 

そして、水が噴射された。なんとかスプラッシュだ。最前列の方は水が飛んでくるゾーンになっていたが、イルカがバシャバシャやって水が飛んでくるのではなく、ステージの奥から普通に、なんというか普通に水が噴射されてきたので驚いた。

真夏ならともかく、もう九月も後半ではないか。貧弱なスマホは死ぬ。

 

で、本格にショーが始まった。音楽が流れ、イルカが連なって跳びまくり……ということはなかった。

またしても、いかにわれわれトレーナーがイルカと仲良しか、という話が始まる。ポイポイ魚を与えながらも、「どうやって魚以外の方法でイルカと一緒に楽しめるかいろいろな方法を考案してきました」という。その一つが、ヒレを掴んで遊ぶ(?)というものであった。

たしかにトレーナーがヒレを掴んでいる。イルカは逃げない。そういうこともあるのだろう。

 

あ、さっきからトレーナーと書いてしまったがこれは失敬、えのすいは「トリーター」であった。

生物を飼育(treat)し、お客さまをおもてなし(treat)する、新江ノ島水族館=えのすいの展示飼育スタッフの呼称です。

できたらあの入口窓口で一人奮闘していた従業員もトリートしてあげてほしい。

 

まあいい、なんかわからんが、トリーターとイルカの関係性、についての説明が続いた。ときどき技を見せてくれる。

しかし、なにかこう、説明なのである。解説なのである。とはいえ、おれはイルカショーというものをずいぶん見ていなかったので、最初はこんなものだったかな? と、思った。

 

が、なにやらその後、あっちでジャンプしたり、こっちでジャンプしたり、そんな感じでなんとなく終わった。

そんな感じだったっけ。よくわからない。よくわからないが、終わったあとも、「こういう風に、この子は口の中を触られるのが好きなんです。もしも嫌だったら、パクっと噛まれてしまいます!」とか、そんなことを話していた。あー、これで終わりなの?

 

コンプライアンス・ショー

おれの最初の感想は「ずいぶん四方八方に気を使っているショーだったな」というものだった。

ただ、放水だけはなぜか消防訓練のポンプから飛んでくるみたいな水が飛んできて、それだけはハードだったが。

 

その理由はうっすらわかった。この時代、イルカに芸をさせるなど、動物愛護だかアニマル・ウェルフェアだかに反するのだろう。

 

それになにより、イルカである。『ザ・コーヴ』である。

Wikipediaによれば、イルカの追い込み漁によって得られた個体を水族館が入手していたことで、世界動物園水族館協会から日本動物園水族館協会が除名されかけたりしたらしい。

除名されると海外から動物の輸入ができなくなったりするので、堂々退場などはしなかったらしい。

なお、えのすいは日本動物園水族園協会から堂々退場している。

 

しかし、それでもなお、つまりはもう、イルカショーは風前の灯なのである。

その中でも、なんとか続けようというのが、あのコンプライアンス・ショーだったのだろう。

イルカショー自体を否定しかねないことを言いながらも、やらざるをえない。苦しい。

苦しいが、それでもイルカショーを待っている人もいる。集客になる。それに、イルカショーだってイルカショーなりの歴史があり、文化もあるだろう。トリーターも夢見て入った世界であろう。

 

が、時代は変わる。あるいは変わってしまった。

小さな子供たちはイルカのジャンプを純粋に楽しんだのだろうが、ああ、おれのようなひねくれた人間は、あのトリーターたちの苦しみに思いをよせてしまったのである。あ、べつに閉じ込められているイルカに寄せる思いはないです。

 

競馬・闘牛・猿回し

とはいえ、アニマル・ウェルフェアの時代は来ている。どのくらい来ているかわからないが、来ているに違いない。

「競馬、闘牛、猿回し」と書いたのは語呂のいい順番に書いただけで、闘牛とか一番槍玉に挙げられているに違いない。牛同士で相撲するやつじゃなくて、スペインとかのやつね。いや、なんだ、Wikipediaとか読んでも、もう過去形に近いか。闘牛は終わったのかもしれない。

 

猿回しも厳しいだろう。動物園のようなバックもない。

フジテレビの「ザ・ノンフィクション」ではたまに日光さる軍団ものをやる。

若い猿まわし師を今の時代いかに育てたらよいのかという話に焦点が当たるが、まあそれよりも猿回し自体大丈夫なのか少し心配になる。

いや、心配するほど猿回しに思い入れもないが、それでも大丈夫なのか。猿虐待動画が出回ったこともあった。厳しい人なら、当たり前のこととして猿回し全体を虐待と言うだろう。

 

で、競馬だ。競馬は困った。なにが困る。おれが困る。おれは人生のほとんどを酒と女と競馬に捧げてきたような人間であって、競馬になくなってもらうと困ってしまう。

ひょっとしたら、「まあ、博打の駒は人でもいいか」と競輪や競艇に流れてしまう可能性がなきにしもあらずだが、正直想像できない。

 

「競馬なんて売上もあるし、伝統とロマンと文化とウマ娘もある、心配いらないんじゃないか」という声もあるだろう。

しかし、おれは財政難でたくさんの地方競馬場が潰されてきたのを見た世代だ。日本において競馬なんて財政のお荷物になれば即廃止だ。

 

じゃあ世界ではどうだろう。どうも雲行きがあやしい。

そりゃアラブはこのところ超高額賞金レースを開催したりして、石油の次を考えているのか王族の遊びなのか知らないがなんか盛り上げようとしている。

でも、本場のヨーロッパはどうだ。あるいはアメリカは。どちらも長い歴史のある大レースなどはそれなりにやっているし、馬の値段だってバカ高いやつはバカ高い。

でも、日本のような大衆人気があるかというと微妙なところだろう。とくにヨーロッパはそうだろう。日本だとJRAや各地方競馬場などほとんどのファンが公的なところで(高い税金を払いながら)馬券を買って財政に貢献しているが、向こうは馬券を買う相手が違うとか、そういう話もある。あと、あー、競馬の話すると止まらない。

 

でも、一つ言いたいのは、おれはぜんぜん競馬も安泰じゃないぜということだ。

もし売上が落ちて、そこに「動物愛護」の四文字がのしかかってきたら? それでも耐えられると考えるのは楽天的なように思える。

どれだけ長いサラブレッドの血統の歴史があろうと、文化があろうと、そんなものは関係ない。闘牛もそのダブルパンチでやられたようだ。人気もなくなれば、叩かれやすくもなる。

 

その点で、競馬も少しずつ譲歩はしている。鞭の使用制限とか、禁止薬物の増加とか、あるいは引退馬についての活動であるとか。

いや、引退馬については譲歩というには少しおもしろくない。これは競馬の内側から出てきた話だと思いたい。そのように、人と馬の物語だって山ほどある……という説明をしなくてはならない点で、話はイルカショーに戻る……ことができるだろうか。

 

さよなら、古い娯楽たち

というわけで、どうにも動物を使った娯楽など、この世からなくなりそうだ。

世界的に一番規模が大きそうな競馬がなくなるまで100年、いや、50年かかるかもしれないが、予断はゆるされない。

 

そして、その先にあるのは食肉の禁止だろう。おれはいずれそうなると思う。培養肉の時代がくる。これはかなり先になるだろうが、やがてそうなる。

でも、それも世の中の移り変わりだろう。と、書いたところで、じゃあおまえはどんな立場なんだよ? と、言われると困る。

おれは競馬をやる。そして、クジラも食う。クジラの尾の身ほど美味しい肉はない。蒲田にいい店があるんだが、秘密だ。なので、イルカの話題についていえば、なんというかべつにイルカの肉がスーパーに並んでいてもボウザメが並んでいるのと大してかわらない感情しか抱かない。安いならちょっと買ってみるか?

 

とはいえ、とはいえだ。何年かまえにどこかの大きな神社で猿回しを見かけたときは、「今の時代にいいのかな?」と思ったのは確かだ。

それに、むやみやたらに動物をいじめるのはおもしろくない。心底おもしろくない。

ケンタッキー・フライド・チキンの虐待動画が出回ったときも、ぜんぜんいい感情にはならなかった。不買運動してやろうとまで思わないものの、「どうせ死んで肉になるんだから何してもいいだろ」という考え方には反する。

反すると言いながら、結局は屠殺されたものを買って食っている。同じくらいの畜肉と培養肉が同じくらいの値段で売っていたら、おれは培養肉を買うだろう。

 

おれも、過渡期だ。変化しつつある世の中に戸惑いながら、いつの間にか自分も変化している。

伊集院光が話していたことだが、古典落語をやっていて、今の倫理観、コンプライアンスに合わないくだりになったとき、わざわざ落語を聞きに来てくれている客は笑ってくれるが、それでも一瞬「笑っていいんだよな?」という空気になるという。

その空気では落語家もやりにくい。だったら最初からその部分を外すなり、変えるなりするのも手だろう。外からの批判ではなく、内側から、生き残りのために変化する、そういうこともある。

 

人間、いつも過渡期だ。それが正義や正解に向かって進んでいるとは思わない。

だが、何らかのダーウィン進化のようなものはあるのだろう。ミームの進化。まあ、おれは人間が人間自身を否定して、静かに淘汰されていってもかまわないくらいには思っている。

 

そう考えると、イルカショーも食肉もどうでもいいということになるが、せめて競馬だけはどうにかならないか。あ、人間いないと成り立たないか。いや、無人の地球でフィジカルAIが競馬だけ続けている、そんな未来を夢見てもいいじゃないか。

 

そんな結論で、いいのか?

 

 

 

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【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :Ranae Smith