太く短く生きたい若者が、細く長く生きたい中高年層になる瞬間について

「あんまり長生きなんてしたくないんだよね。若い頃にしっかりと人生を楽しんで、太く短く40歳ぐらいで死ぬ方が、細く長く生きるよりも全然いい」

こういう事をいう若い人は結構多い。僕も若い頃はこんな感じの事をよく言っていた。

ところが働き始めた後、ある程度年配の方と接するようになってみて、この世に未練がある人が驚くほど多いという事がわかり非常に驚いた。

この人達に詳しく話を聞いてみると、この人達も若い頃は太く短く生きるのが理想だったけど、実際に自分が40~60になってみると昔は忌み嫌っていた細く長くの生き方に執着するようになってきたというのだ。

これは、私よりも一回り若い医師ブロガーの、高須賀さんによる文章だ。

アラサー時点の気付きを書き綴った文章として、共感できるものだった。たぶんだけど、この気付きだいたい当たっていると思う。

 

30歳までに死ぬ」の終わり

私が学生だった頃、仲間内では「30歳までに死ぬ」がひとつの合言葉になっていた。

10代~20代前半の年齢で、中年期や老年期に思いを馳せるのは難しい。

私の仲間内では、なぜ、大人が長く生き続けるのか、なぜ、楽しくもなさそうな仕事を満員電車で往復しながら続けているのか、さっぱりわからなかった。

 

仕事に就いたこともないのに“楽しくもなさそうな仕事”などと決めつける程度に私達は幼かったので、生きたいように生きた後、速やかに死ぬのがベストのように思えた。

「ノストラダムスの大予言」がまことしやかに語られていた世紀末だったから、終末願望に引っ張られていた部分もあったかもしれない。

 

ところが学生時代が終わり、研修医として目の回る生活を続けているうちに、その30歳が近づいてきた。

ノストラダムスの大予言は大外れで、かわりに9.11のテロが起こった。人生も世の中も、20世紀で区切り良く終わってしまわず、不安な21世紀が始まった。「30歳までに死ぬ」という見通しでは――いや、見通しというよりも思考停止か――、未来が説明できない、ということがはっきりしてきた。

 

私は、人間の生物学的なピークは30歳ぐらいにあると思っていたし、今でもそう思っている。

シビアな身体能力を求められるプロスポーツの世界では、20代から年齢が克服の対象になってくる。そうでなくても、皺やシミが増えて、徹夜がしんどくなってくる。

 

私が最初に人生の「下り坂」に気づいたのは、ゲーセンでハイスコア稼ぎに熱中している時だった。

30代にさしかかる頃、動体視力や集中力の衰えを、知識や経験でカヴァーしている自分自身に気づくようになった。自分よりも一回り若いプレイヤー連中が、難しい場面を、若さにモノを言わせて乗り切っていると感じるようにもなった。

 ゲームという、身近なジャンルで人生の「下り坂」を知らせるシグナルが点灯し始めたことに気づいて、当時の私は衝撃を受けた。それは、リンク先で高須賀さんが指摘している“「いつまでも成長できる自分」という名の全能感”をグラつかせるには十分だった。

 

2000年代前半の風潮として、アラサーぐらいの年齢で人生の「下り坂」を直観するのは早すぎることで、褒められたことでもなかったと思う。

 だけど私には、人生の「下り坂」が始まっていることから目を逸らし続けて、いつまでも「上り坂」が続いていると勘違いしながら三十代を生き続けることのほうが、恐ろしくて不安なことのように思えた。

 

じゃあ、どうすれば人生の「下り坂」に付き合えるのか?

私は、人生の「下り坂」を直視して、そこに適応している人を探した。そういう人をロールモデルにすれば、うろたえることなく「下り坂」に付き合っていけるような気がしたからだ。

 

お手本は意外にたくさんいた。ただし、思春期の向こう側の、おじさんおばさんの世界にだが。自分よりも10歳から20歳ぐらい年齢の進んだ人々は、皆、多かれ少なかれ「下り坂」と向き合いながら、それでも生きることをやめずに生きていた。

「下り坂」を直視しながら生きている人達の生は、「30歳までに死ぬ」「太く短く40歳ぐらいで死ぬ」といった価値基準からみれば、ただ悲しいだけのものでしかない。

 

けれども、「下り坂」にさしかかったおじさんおばさんだって、ときには笑い、ときには悲しみながら、いろいろなかたちで社会に参加している。幸不幸はあるにせよ、彼らが人生を崩壊させていないということが、私にはだんだん頼もしくもみえるようになった。

可能性や万能感に依存する度合いが低くても人生を成立させているという意味では、年長者は年少者よりも心が強い。その心の強さを、自分もコピーアンドペーストして手に入れたいと希うようになった。

  

人生は、みな尊い

そうこうするうちに、私の三十代は過ぎて、すっかりおじさんになった。

気が付くと、私のポリシーは「○○歳までに死ぬ」から、「残された人生を大切にしたい」に様変わりしていた。

人生は唐突に終わることもあるから、「○○歳まで生きる」というポリシーは持ちようがない。だけど、残された人生の時間を大切にすることならできる。

人生の可能性は、歳を取るにつれて小さくなっていく。そのかわり、可能性が小さくなった後には、自分が生きてきた歴史と、自分自身や他人に対してしてきた行いが、堆積していく。

 

若い頃はあまり意識しなかったが、自分の可能性が小さくなるということと、自分の歴史や行いが堆積するということは、おおむねトレードオフの関係にある。

だとしたら、いつまでも可能性を模索する生き方より、可能性はそこそことして、とりあえず自分の歴史や行いをどう積み上げていくのか、いや、せめて転覆させないようにするにはどう振る舞えば良いのか、みたいな発想が強まってきて、ああ、なるほど、こうやって人生ディフェンシブなおじさんやおばさんが生まれるのか、と私は自覚するようになった。

 

可能性や万能感が薄まっても、歴史や行いは、いつまでも人生に、自分自身に堆積し続ける。

その堆積を、人はカルマ()と呼ぶのかもしれない。そして生きている限り、人は、自分自身の歴史や行いから逃れられない。

若いうちは、可能性や万能感によって、そのことを忘れていられるかもしれない。だけど実際には、人はカルマを背負って生きていて、そのカルマのなかで、笑ったり悲しんだりしながら生きている。

 

ここまで考えが転回してはじめて、若い頃には凄いと思えなかった人々が、本当は、非常に凄くて強靭な、学ぶべきところの多い人達であることに気づいた。

たとえば、十代のうちに可能性の芽を摘まれて、金銭的にも社会的にも不遇と言って良い状況に置かれながらも、人生を楽しむことを忘れず、ときには嘆いたり怒ったりしながら、よろしく生きている人達がいる。

彼らを「30歳までに死ぬ」的なポリシーでみるなら、なぜ生きているのかわからないし、彼らは弱い人でしかない。

 

けれども、歴史や行いを背負って人が生きているという観点でみれば、彼らはとてつもなく強い人とうつる。

可能性や万能感を支えるアクセサリがほとんど無いに等しい状況でも、彼らは人生を転覆させることなく生き続けてきた。

高い年収や高いステータス、恵まれた家族や文化資本といったものがあれば、自分自身の歴史や行いを積み上げることはラクかもしれない。人生の「下り坂」を見て見ぬふりをする言い訳も、立ちやすかったかもしれない。

ところが、そういった助けによることなく、なお生きている人達がいる。

苦しさを背負っていても、笑顔を喪失してしまわない人達がいる。それは、相当に凄いことではないだろうか。「凄い」と言って語弊があるなら「尊い」というべきか。

 

そう。「尊い」だ。

 

人が生きて、生き続けるということは、とても尊い。

若者が可能性や万能感によって飛翔するのも、中年がディフェンシブに人生を堆積させるのも、どちらも捨てがたく尊い。

いわゆる社会的成功のなかで生きていく人生も、いわゆる社会的不遇のなかで生きていく人生も、どちらも尊い。個々人が紡ぎ出す人生は、どれひとつとして同じではなく、それぞれの人が、それぞれのカルマを抱えながら生きていて、どれも重い。

 

冒頭の話題に戻ると、おじさんおばさんやおじいさんおばあさんが細く長くでも生に執着しているのは、その人の歴史や行いの連なりに執着している――つまり、愛している――と、言い換えられないだろうか。

 

私は、人生を「上り坂」の時も「下り坂」の時も愛していきたい。そして、自分自身の歴史や行いを積み重ねて生きているすべての人の、そのような生に、まずは「尊さ」をみていきたい。

そのほうが年の取り甲斐があって、そのほうが沢山の人に敬意を持ちながら生きられるような気がする。

 

冒頭の話題からはかなり脱線したけれども、とにかく、人生は尊いのだと思う。

 

長くなったので、今日はこのへんで。

 

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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)

 

【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

twitter:@twit_shirokuma   ブログ:『シロクマの屑籠』

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(Photo:Nguyen Minh)