どうも最近、松下幸之助の存在感が薄くなってきている気がする。
言わずと知れた日本を代表する経営者だが、氏の経営哲学や人生観は、没後30年の時を経ても全く色あせることはない。
そのエピソードや生き方は、知れば知るほど鳥肌が立つ思いがして、どんな困難にも立ち向かう勇気を分けて貰える思いだ。
難しい経営学の本やロジックもいいが、ただ幸之助が様々なターニングポイントでどんな思いで決断に臨み、覚悟を決めたのか。その実例を学ぶ方がシンプルで心に響くことも多い。
「人と比べて劣っていることを恥じる必要はない。ただ、1年前の自分と比べ今の自分が劣っていると思うならそれは恥ずべきだ」
「十の恩を受けたら十一にして返せ」
うろ覚えだが、確か著書にはこんな下りがあっただろうか。
小難しい英語で書かれたベストセラーの日本語訳よりもストンと腹に落ち、こうありたいと素直に思える。
そんなわけで今日は少し、松下イズム的な考え方で、今年経験した取っておきのお話をしてみたいと思っている。
幸之助の哲学はシンプルでわかりやすいものばかりだが、そんな中で、意味するところはわかるが実践がとても難しいと、いつも思うものがある。
それは、「企業は社会の公器」というもので、その意図するところは、儲けは後からついてくる。先に社会に貢献し、お客さんに奉仕しろという考え方だ。
しかしどこの経営者が、経営計画を立てるときに最初に、「社会貢献」「まずお客さんへの奉仕」を第一のプライオリティに置くだろうか。
経験則から得られた定量的な数字を仮置きし、そこから必要な組織やモノの調達を考え、そして既存事業と将来事業のバランスを踏まえながらどうリソースを配分するか。
恐らくそれが、「普通」の経営者の考え方だろう。
その運用の中で、社会奉仕や顧客満足の追求を常に価値観として心に置いてはいるものの、それは運用の価値観であり根本の計画に置くものとしては、なかなか捉え辛いのが本音だ。
やや前置きが長くなったが、そんな前提の上で、2018年に経験したお話のご紹介である。
私は奈良県に住んでいるが、ある時幹線道路沿いを走っている時に一軒の小ギレイなとんかつ屋さんを見かけた。
ちょうどお昼時であり、ガッツリ系の食事を頂きたい気分だったので車を入れ、食事を済ませた。
店内には、豚肉がどれほどこだわりの肉であるか、ということはもちろん、パン粉に至るまでトンカツに適したパン粉を遠方から仕入れていること。また使用している素材の産地や生産者への思いが熱く語られており、それだけで味がひと味もふた味も上がる。
恐らく熱心でまじめな店主さんなのだろう。個人商店なのに本当にすごい店主だなあ、などと思いながら会計を済ませ、駐車場に向かった。
その時にふと、店の裏の駐車場の壁にこんな張り紙を見つけた。
本当に目立たない、店の裏側の駐車場の一角に貼ってあった張り紙だ。
いわば、貧困家庭の子供とその親御さん向けの、常設の無料食堂である。
NPO法人などが、日時を指定し会場を借りて、不定期に実施している「コストが限定された」あるいは「予算が予定された」子供食堂ではない。
飲食店が、その営業時間中にいつでも食べに来てくださいと、誰でも食べに来て下さいと、呼びかけているのである。
なおかつ、その言葉選びにも、店主の心遣いが表れている。
「コソッと無料で食べさせてあげます」ではなく、「コソッと無料で食べてもらいます」だ。
そして、こんな試みを不快に思う人もやはり、常連客の中にはいるかも知れない。
率直に言って、売名や偽善と罵るような人もいるだろうし、ただの宣伝行為と言う理解だって、しようと思えばできる。
だが、そんな思いにも先回りして、謝罪し感謝の言葉を記している。何から何まで、すごい店主だ。
親の貧困や結果としての不運は、決して子供の教育の機会や食事、健康に影響を及ぼすべきではない。
しかし残念ながら、世界はまだまだ、親の貧困や結果としての不運は、子供の就学の機会や食事・健康に大きな影響を及ぼさざるを得ないのが現実だ。
そんな中、隣人に助けの手を差し出せるほど余裕のある毎日を送っている人も多くない中で、自分にできる小さな社会奉仕な何なのか。
自社(自店)の社会の中での存在意義は何なのか。きっとそんなことを考えた上での、店主なりの答えだったのだろう。
そんなことを思うと、不覚にも目頭が熱くなり、せめて機会があれば少しでも店に通い、僅かでも高いものを注文することでお店の利益に貢献できればと。
そして、そんなお店の取り組みを一人でも多くの人に知って貰えればと。
すっかりと「店主の思惑」にやられてしまいこの張り紙を写真にとり、持ち帰ってしまった。
しかし、コッソリやっている取り組みをネットで公開してもいいものか。
少し逡巡したが、公式サイトを訪問してみると店主自ら取り組みをツイッターに上げており、ぜひ困った時は利用して下さいと拡散している。
であれば、喜んで拡散させてもらおうではないか。
念のために、店主にはツイッターで挨拶をし、返事も頂いた上で趣味のブログなどで「奈良の皆さん、食べて応援しましょう」と呼びかけたのだが、すごい反響が返ってきた。
おそらくSNSなどでインフルエンサーの目に止まり拡散されたのだと思うが、趣味でやっている小さなブログに日に数万人のアクセスが続き、次々とコメントが書き込まれる。
さらにそれから数日の間にネットメディアで次々に取り上げられ、その後全国紙や地元紙でも取り組みが報じられ、店主は一躍、時の人になっていった。
ネット時代の現象といえば確かにその通りだが、この店主は自分のリスクで自分にできる社会貢献をまず、堂々と世の中に提示した。
さらに後日知ったことだが、実は店主はかつて、困窮した知人に無料での食事提供を繰り返し、友人の「甘え」が癖になってしまい、人間関係を壊して苦い思いをしたこともあったそうだ。
その上、こんな告知をしたら、心無い人が無料で食べさせろと次々に押し寄せてくるかも知れない。
それでも、「100人のうち99人に騙されても、1人に僕の想いが届けばいい」と考え、この「常設無料食堂」を始めたと、後日メディアに語っていた。
いろいろな意味で、とても真似ができる社会貢献ではない。しかし店主は結果として、恐らく投資以上に大手メディアなどに宣伝され、地元での知名度を一気に獲得し、コアなファンを獲得することに成功したことになる。
これが果たして、松下幸之助の言う「社会奉仕が先、利益は後」という考え方に沿うものなのかは、わからない。
正直、一般に参考にするべき最適解であるとも到底思えないが、少なくともこの店主とお店にとっては、今のところ最適解のひとつであったようだ。
それから何度かお昼時に店の前を通っているが、いつも外にまで、順番待ちのお客さんであふれている。
そして多くの人がこのお店の存続を願い、少しでも利益に貢献しようと美味しいとんかつを食べるために、列に並び順番を待っている。
そういえば幸之助は、「世のため人の為になり、さらに自分の為になることであれば、必ず成就する」という言葉も残していたはずだ。
商売は決してボランティアではないので、「自分の為に」というリアリズムももちろん、忘れない。
しかしその前に、「世のため人のため」が来る。
こんな「古くとも普遍的な価値観」こそ、日本がまた力強く復活するために、必要な価値観であるはずだ。
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【著者】
氏名:桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し、独立。会社経営時々フリーライター。
複数のペンネームでメディアに寄稿し、経営者層を中心に10数万人の読者を、運営するブログでは月間90万PVの読者を持つ。