この記事で書きたいことは、大体下記のような内容です。
結構長いので、忙しい人は下記四行だけ読んでください。
・世の中には、「〇〇の専門家」という属性をもった人に対して、何故か無条件で不信を抱く人が存在する
・専門家が間違えない訳ではないが、素人と専門家であれば、たぶん専門家の信頼度の方が高い
・専門家不信には、専門家のミスへの注目度、専門家の言葉の分かりにくさ、知識の勾配への悪意、お金をとることに対する偏見といった原因がある気がする
・何かを信用する・しないというのは、なるべく明確な根拠と妥当性に基づいて判断したいですよね
よろしくお願いします。
さて、書きたいことは最初に全部書いてしまったので、あとはざっくばらんに行きましょう。
しんざきは町内会というものに一応所属しておりまして、例えば地域でお祭りをする時とか、防犯キャンペーンを展開する時とか、時々お手伝いをすることがあります。
全体的には年齢層高めなんですが、それでもバラエティ豊かな年代、職業、属性の人たちが所属しておりまして、色んな人とお話することが出来て面白いです。
およそ「町内会の青年団」というものは、青年と言っておいて構成メンバーの平均年齢が60近くだったりしまして、先日40歳になった私が何故か未だに若手扱いされたりするのですが、まあこれも高齢化社会の一側面ってことなんでしょうか。
ここ最近、高齢の方とお話するスキルは相当レベルアップしたと自負しております。
ところで。
町内会で色んな人と話し合いをしていて思ったことなんですが、いわゆる「専門家」というものに対して、何か共通した不信感を持っている人が、世の中にはどうもかなりの数いるようです。
例えば医療の専門家であるお医者さんとか。建築の専門家である建築家とか、デザインの専門家であるデザイナーとか、教育の専門家である教師とか、法律の専門家である弁護士とか。
ある分野のエキスパートについて、何らかの助力を求める求めない、何らかの意見を参考にする参考にしないという話になった時、コストや手間の話とは全然関係ないところで、決まって「いや、専門家は信用できない」という意見が一定数出るんですよ。
専門家という肩書が信頼感を高めるかと思いきや、むしろ逆なんです。
その不信感の正体は一体なんなのか、ということについて、最近アレコレ考えていました。
代表的な専門家不信には、例えば
「専門家程視点が凝り固まっていて、素人でも気づくようなことを見逃していたりする」
であるとか、
「専門家程信じられないような判断ミスをする」
といったような言葉が登場します。一種の黄金パターンです。
それ自体は「まあそういうこともあるかも知れないね」という程度の話なんですが
「だから専門家は信用出来ない」というところに繋がり、さらに
「専門家判断を信じないで素人の判断を採用する」ということになると流石にちょっと笑えません。
これは、別に町内会のような組織だけでなく、日本中割とどこでも観測出来る問題であるような気がしています。
例えば、お医者さんが医療知識に基づいて言っていることを信じないで、その辺の素人が書いたブログの怪しげな療法もどきを頭から信じてしまう人とか。
その辺の時事ブログが煽った「これは犯罪にはならないからどんどんやりましょう」みたいなことについて、弁護士が言っていることを頭から無視して実行しちゃう人とか。
ちょくちょく観測出来ますよね。
冷静に考えて、「専門家が判断ミスをすることもある」というのはそりゃそうですが、その頻度と「素人が専門知識もなく間違ったことをする頻度」を比較したら、統計を取るまでもなく後者の方が遥かに高いでしょう。
「素人でも気づくようなことを見逃している」
ように見える場合でも、実際には
「素人が気付くようなことはとっくに織り込み済で、単に分かり切っているからいちいち言及しないだけ」
であることの方が遥かに多いというのも、恐らく間違いないことだと思います。
念のため書いておきたいのですが、私は別に「専門家の言うこと・やることを全て丸のみしましょう」と言っている訳ではないのです。
ただ
「素人よりは専門家の方が信用出来る度合いは高い筈ですよね」
「明確な根拠があるならともかく、専門家に対する無根拠な不信感から、素人の判断を優先して信じちゃうのはちょっと合理的ではないですよね」
と言いたいのです。
ところが、その程度の意見でさえ、「専門家不信」の持ち主にはどうも受け入れ難いようでして。
一応そういう指摘をしても、「いやけどこういうニュースがあったし」とか、「いや、オレが知ってるあの医者はこうだったし」みたいな言葉が返ってくるんです。
そういう人たちと色々お話をする内に、幾つか「専門家不信」に至るまでの典型的なパターンが見いだせるような気がしたので、ちょっと書いてみます。
私が思う、代表的な「専門家不信」の原因は、下記四つです。
・専門家のミスに対するニュースバリューが高い
・専門家の言うことは構造的に分かりにくい
・知識の勾配があると相手に対して悪意を抱きやすい
・「お金をとっていると信用出来ない」という謎の意識の存在
一つ目、ニュースバリューの問題。
専門家のミス、間違いというものは、頻度が低いからこそクローズアップされやすいものです。
ミスに伴って発生する被害も大きくなるケースが多い為、それだけ「専門家の失敗」というものが喧伝されやすく、おまけに何かを叩くことが大好きな人たちの叩き材料として広く耳目を集めてしまうこともある。
一方「専門家の成功例」というものはそれ程ニュースバリューがない為よほどのことでもないと注目されず、「たまに起こるミス」ばかりが印象に残ってしまう。
そういう、いわばニュースの露出具合による印象が、実際のところかなり大きいように思うのです。
二つ目、分かりやすさの問題。
実際のところ、世の中には「1か0か」ではっきり断言出来るようなことはそれ程多くなく、大体の事象の白黒はファールラインの角度によって変わってきます。
「熱があって咳をしている」という症状だけで風邪と言い切ることは出来ませんし、ある行為が合法かどうかというのも意外と慎重な判断が必要とされる場合が多いです。
ところがこれって、誠実に説明しようとすればするほど「分かりにくく」なってしまうんですね。
「Aかも知れないが、Bの可能性もある」って言葉、「それはAだ!」に比べるとどうしてもわかりにくいじゃないですか。
事象に誠実であろうとすればあろうとする程、その言葉は「分かりにくく」なってしまう。
一方素人にはそもそもそんなことは分からないか、あるいはそんな誠実さはないので、Bの可能性があったとしても「それはAだ!」と断言してしまう。
人間にはどうも、「分かりにくい」ことに対して好意を感じにくいという習性があるようで。
分かりにくいと、それだけで一定量の反発を受けてしまうし、分かりやすいとそれだけで一定数の支持を得てしまう。
正確性や妥当性と違ったところで「好き・嫌い」が決まってしまうんです。
これ、色んな分野で発生している、一種の構造問題だと思うんですよ。
三つ目、知識の勾配の問題。
これは恐らく個人差が大きいのですが、「相手が自分よりも知識を持っている」と、殆どそれだけで「偉そうだ」とか「上から目線」と感じてしまう人が、これも世の中、一定数いるようなのです。
専門家は、当然のことながら専門知識を持っていますし、それに基づいて話をします。
一方、専門家でない自分は、当然その知識を持っていません。
この、「相手は自分にない知識を持っている」というのが、即「気に入らない」になってしまうケースが、話を聞いている限りだとぽつぽつ観測出来るんです。
勿論、専門家の中には実際に「偉そう」だったり、上から目線の人もいるかも知れません。
それは否定しませんが、傍から聞いていると単に正確に、専門知識に基づいた話をしているだけで、「なんだこの野郎」になってしまうことがあるようなんですよ。
相手が専門家、自分が素人である以上、知識の勾配が発生することはどうしても避けられないので、結果的にその時点で嫌悪感が産まれてしまうと。これもなかなか解決が難しい問題であるような気がします。
四つ目、お金をとることに関する嫌悪感の問題。
これ本当に謎なんですが、「専門家→仕事でやっている→お金をとっている→金目当て→信用出来ない」という謎の連携を決めてくる人が、観測範囲内で複数存在します。
程度の差こそあれ、「お金を出して専門家の意見を聞く」ということに対して、「金目当てなんだから適当なこといって儲けようとしてくるに違いない」という話が出てくるんですよ。
普通に考えれば、お金をとっている方がちゃんと責任ある仕事をしてくれるし、お金を取らない仕事に期待をしてはいけないと思うんですけどね。
もしかすると日本特有の話なのかも知れないですが、「無償のやる気」というものに価値を置きすぎて、お金をとることに対して一種の嫌悪感というか、罪悪感を持つような向きが一定量あるような気がします。
それが、「お金をもらって責任のある仕事をする」という専門家に対して、「金目当て」というようなよく分からないレッテリングをしてしまうことに繋がっているという側面は多分あるんじゃないかなあと。
そういう点で、「お金をもらっていないのに協力してくれる素人」という存在は、もしかすると信頼しやすいのかも知れません。
まあ、webでいい加減なこと言ってる素人は、多くの場合PVでお金稼いでますけどね。
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繰り返しになりますが、私が「専門家の言うこと・やることを丸のみしましょう」と言っているわけではない、ということは強調させてください。
ある意見を信じるか信じないかというのはケースバイケースで判断することであって、時には素人の意見が正しいこともあるでしょうが、だからといって最初から「専門家は信用出来ない」というバイアスをかけるのはちょっと妥当ではないよね、という話です。
確実に言えることは、「ある意見を信じるか信じないか」ということは、可能な限り「根拠と妥当性」で決めるべきであって、話者の実績や立ち位置もその妥当性を判断する上では参考になる、ということ。
それに対して、「専門家不信」というレンズで判断を歪めてしまうのは、どうもメリットよりはデメリットの方が大きそうに見える、ということ。
専門家という存在を適切に用いることが出来るといいですよね、と、そういう話なのです。
civ4でも大事ですよね、専門家。
私専門家経済のやり方がさっぱり分からなくて、未だ専門家経済でまともに勝てたことが一回もないんですが。非金哲で安定して勝てるようになりたい。
今日書きたいことはそれくらいです。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Hunters Race)