「お前の技術なんて大したことない」
「そんなこと誰にでも出来る」
って思わされて、結果的に作品や自分の技術を安く買いたたかれてしまっている人、多分目に見える範囲外でもたくさんいるんじゃないかなあ、と思ったんです。
定期的に話題に上がるテーマとして、「ハンドメイド作品の値切り問題」というものがあります。
ちょっと前の記事なんですが、例えばこういうお話があります。
「材料費100円とかでしょ」ハンドメイド作家に心無い値下げ要求 テレビ番組が材料費と販売価格の差が大きいと放送
この購入希望者は、1200円で販売予定のキーホルダーに対し「500円くらいとか無理ですか?」と指値を提示。その根拠は、「そんなに材料費とかかかってないと思うので」「材料費100円とか200円とかじゃないんですか?」というものだった。作家が、高い素材を使用していることや、繊細な作業が必要で加工に時間がかかることなどを丁寧に説明するも、「作業代で1000円くらいしてるんですか?」と反論。その後も、「他の人も500円にしたら喜ぶ」「高いですって忠告ですよ」などと強引に値下げを求め、やり取りは平行線に終わった。
これ、例えば「ハンドメイド 値切り」「ハンドメイド 安くしてほしい」とかで検索すると、ずっと継続的に同じような話が発生してるみたいなんですよ。
基本的にはどのケースも同じような構図で、例えば「原価はそんなにかかってないでしょ」とか、「買ってもらえるだけで十分でしょ」といった言葉がくっついていることがしばしば。
時には、「安くしてくれたらかわりに宣伝してあげるから得ですよ」とか、「そんなにお金にこだわるなんて汚い」みたいなことを言われるケースもあるようです。
自分が心血を注いで磨いた技術、時間コストや手間コストをたっぷり注いで作り上げた作品に対して、「なんでそんなに高いの?」などという声をかけられる側の心情は察するに余りあります。
なら自分で作れって話ですよね。
これ、別にハンドメイドに限らず、色々な創作分野で同じことが発生しているみたいなんです。
手芸、演奏、CG制作、小説、ライティング。
何かを「創る」人たちに対して、その技術や努力の価値を認めず、支払うお金を渋る、ないし値切る、場合によっては払わない。
ちなみに、やや構図が似ているエピソードとして、以前はこんな話もありました。
プロのボーカリストの方にボランティア演奏を要求する人がいた、という話ですね。
元記事自体は消えちゃっていて、更に補足で別の記事を出されているみたいなんですが。
アーティストに対してボランティアを要求すること、にまつわる色々な問題
もちろんこれらは十把ひとからげに出来る話ではないのですが、こういう記事や、こういった記事に対する反応を見ていると、幾つか共通した論点があるような気がします。
◯「クリエイターが見返りにこだわるのは汚い」という謎の意識の存在
◯「原価」というものに対するよく分からないコスト意識を持っている人の存在
◯自分にとって分かりにくい手間やコストを安く見積もる意識を持っている人の存在
順番にいきましょう。
「クリエイターが見返りにこだわるのは汚い」という謎の意識の存在
まず最初に。
これ、結構色んなところで感じるんですけど
「クリエイターにストイックさを求める/押し付ける/期待する意識」
っていうもの、結構色んな人に広範に備わっているような気がしているんですよね。
例えば、芸術家に対して、「作品に対する無償の熱意」みたいなものを求める。
創作の動機について、「好きだからこそやっている」というものだけを期待する。
「見返りを求めない創作活動」に大きな価値を置く。
一方芸術家がお金の話をすれば「金目当てなのかよ」とか言われてしまう。
なんなら、それでその人の作品まで「金目当てに作られた創作物」などというよく分からない貶め方をされてしまう。
この意識や言葉に引きずられてしまう人って、買い手だけではなくクリエイターの側にも相当数いるように思うんですよ。
まず、「クリエイターにストイックさを求める意識」についてなんですが、先日はてな匿名ダイアリーで、ちょっと興味深いやり取りがありました。
軽く引用させてください。
だが、今まで感想は書くものだと思っていたオタクにとって、この状況はまあまあキツい。通話しながらあつ森やポケモンではわいわい楽しんでいたフォロワーは、本は買ってくれたものの「良かったですよ」の一言すら来ない。こっちは付き合いも兼ねて読んで感想を送っているのに……と、最初の感想が来るまでは恩着せがましい感情まで抱く程、ダークサイドに落ちかけた。
上記記事に対する反応のひとつが下記の記事です。
は? 同人誌ってのは自分が書いた文章が形になる、それだけで嬉しいもんなんじゃねえの? これまでは自分の頭の中にしかなかった「ぼくが書いた一冊の本」を活字として手に取れるのが最上の喜びなんじゃねえの? 感想なんて来なくたっていいんだよ。お前は自分が生み出した初めての本のことをどう思ってるんだよ?
直接お金の話じゃないんですけど、「感想」というものに対するやり取りの話ですね。
前も似たようなこと書きましたけど、創作をする人は基本的に孤独なので、時に金銭以上に「反応」「感想」に飢えることがあります。
自己承認欲求とも絡む話ですね。
この後者の増田の言うこと、決して間違ってはいないと思うんですよ。
この引用部分含めて、全体としては極めてまっとうだと思うし、感想なんて義務じゃない、他人にそんな責務を押し付けるなって反応ももっともだと思います。
ただ一ヶ所
「自分が書いた文章が形になる、それだけで嬉しいもんなんじゃねえの?」
「感想なんて来なくたっていいんだよ」
というくだりについてだけは、これも一種の「ストイックの押しつけ」なんじゃないかなあ、と私なんかは思ったんです。
ただ、創作出来ること自体に喜びを感じる。それは凄く尊いことだし素晴らしいことだと思うけど、でもそれだって人に押し付けるものじゃないよなあ、と。
別に感想目当てに創作をやってる人だっていていいでしょう、と。
自作に対する純粋な熱意だけが創作をする理由じゃなくていいでしょう、と。
ストイックさは尊いものだけど、それを尊びすぎると、「見返り目当て」というものを見下げる意識が発生しはしないかなあ、と。
ひいては、それが「金目当てなのかよ」という言葉にも結びついている気がするんですよね。
そもそも人間霞を食って生きてはいけませんし、誰の反応もなしに創作を続けることも非常に苦しいものです。
そういった中、「ちょっとは見返りをくれよ」と求めることくらいは別に許されるんじゃないかなあ、と。
まず一点、そういう話があります。
「原価」というものに対するよく分からないコスト意識を持っている人の存在
二点目。
これ、割と意味不明ですよね。けど実際いるんですよ、「元々はそんなにお金かかってないでしょ?」って人。
凄く精巧な切り絵について、「紙代だけなら数円でしょ?」とか言う人。
演奏者に対して、「ピアノは置いてあるんだし、来て弾くだけでしょ?」とか言う人。
何故か、「目に見えるモノ」の費用しかコストとして理解出来ない人、ってどうも物凄くたくさんいるみたいなんです。
当たり前ですけど、創作者が支払っているコストというものは、ただ目に見える材料費だけではありません。
その技術を手に入れるまでの膨大な時間、練習、手間。
もちろん作品を作り上げる為の努力、演奏を準備する為の細やかな気遣い。
自分を知ってもらう為の宣伝や広報の手間だってコストの内です。
それは、容易にお金に換算することなど出来ない、けれど物凄く大きなコストです。人一人分の人生に匹敵します。
それに対して「好きでやってるんだからいいでしょ?」とかいう言葉を投げつけることを、私は決して妥当だとは思えません。
その通り、好きでやっているかも知れない。
けれど、それは決して「好きだから見返りは要らない」などというストイックさを押し付けることを免罪しない。
かかった手間暇には、正当な見返りを求めてしかるべきだと思うんですよ。
ちょっと厄介なことに、創作者の「普段の努力」「作品の裏にあるコスト」というものは、知らない人にとっては見えにくいです。
ピアニストが演奏の質を維持する為に普段どれだけの時間練習しているかと知っている人は少ないですし、凄く上手い絵をパッとTwitterにアップしている人が何千時間絵描きに打ち込んできたかを測る術はありません。
自分にとって分かりにくい手間やコストを安く見積もる意識を持っている人の存在
これは同時に、三点目の人にも通じています。
「これを作り上げる為に、どれほどのコストがかかっているのか」なんてこと、実際にやってみるとすぐ分かるんですけどね。
けれど、やってみようとも思わない人はそんなことは考えないし、ただただ見えている部分と自分の都合だけで「高い」なんて声を投げかけてしまうんですよ。
それに対して反論すると「お金にこだわるなんて汚い」攻撃です。
なんでクリエイター側がお金にこだわるのはいけなくて、発注側がお金にこだわるのはいいんだよ、って話もあるんですけどね。
で、裏に流れているコストの価値が分からないと、その技術自体も安く見積もってしまうんですね。
例えば手芸をやっている人に、「繋げただけやん」などと言ってしまう。
例えば小説を書いてる人に、「そんなん誰でも書けるやん」などと言ってしまう。
アレ実際書いてみると滅茶苦茶大変なんですけどね。
結果、言われる側としても、「俺の技術なんて大したことない」と思い込んでしまってる人、結構多いんじゃないかなあと。
というか観測範囲内でも割とそういう例見受けられるなあ。
私はクリエイターに肩入れする人間ですので、自分の好きな創作に増えて欲しいですし、自分の好きな創作を創っている人たちに報われて欲しいです。
だから、一人でも多く、その作品の裏にどんなコストがかかっているかを想像出来る人に増えて欲しいと思いますし、クリエイターが心無い言葉に傷つく機会がなるべく減って欲しいし、何の後ろ暗さもなく「私は見返りを求めます!」「いやなら自分でやってみろ!!」と言えるクリエイターに増えて欲しいと。
そんな風に考えているわけなんです。
今日書きたいことはそれくらいです。
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。

<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
- 0. オープニング(5分)
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」 - 1. 事業再生の現場から(20分)
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例 - 2. 地方創生と事業再生(10分)
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む - 3. 一般論としての「経営企画」とは(5分)
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説 - 4. 中小企業における経営企画の翻訳(10分)
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論 - 5. 経営企画の三原則(5分)
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する - 6. まとめ(5分)
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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(2025/7/14更新)
【著者プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
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