おじさんおばさんと呼ばれる年頃のみなさん、「やっている」でしょうか? 私は「やっています」。五十歳がだんだん近づいてきた熊代亨と申します。

 

四十を不惑と呼び、五十歳を知命と呼ぶ。なるほど、昔の人はうまいことを言ったものだと、最近改めて感じます。

私は四十歳の頃、「不惑とは惑わぬことではなく惑ってなんていられないってことなんだよね」と自分なりに感じ取りました。

四十才、夢から醒めて、逃げ場無し
でも、不惑が近づくにつれて露わになってきたのは、AならA、BならBを選んだら、CやDには変更できないということでした。世界線の改変可能性が高かったのは、数年前ぐらいまでだったのですね。
親でも先生でもなく、自分自身がこれまで敷いてきたレールの延長線上で、私は生きていかなければならない。成功も失敗も、喜びも悲しみも、自分の敷いたレールの上で起こるでしょう。私の“現実”を大きく改変する夢をみることは、もはや許されません。明日はもうここにあるのです。ここで生きていくしかないのです。

四十歳をこえると惑っていられなくなる。やっていくしかない → じゃ、やっていきましょう、そういう思いを書いたのが上掲リンク先の記事です。

で、今また五十歳が近づいてきて心境が変わってきています。今の私の気分は「惑っていられなくなる」というより「やっていくしかないなら、もう全力でやるぜ!やってやる!」です。

 

中年は惑っていられない季節である──そのことにも私は次第に慣れてきました。

でも、慣れてきたことで更に心境が変化したのです。今の私はそれを最大限に活かしたい気持ちでいっぱいです。

つまり、中年が惑っていられない季節ならば、その、惑えなさや惑わなさを最大限に活かして、人生を少しでも彩り豊かにするっきゃないよねって今は思えてならないのです。

 

惑わない季節ならではのアドバンテージ

私の今の状況を、思春期が終わっていない人との対比で語ってみましょう。

 

思春期が終わっていない人にとって、惑うことや選ぶことは重要なことです。これからどんな仕事をメインにし、どんな友達や異性と付き合うのか、どんな価値観や趣味やポリシーを身に付けていくのかは思春期の段階ではまだ未知数、トライアンドエラーの余地を含んだことごとです。

 

そんな、まだ何者かになったと確定しきっていない状況下では、ひとつに思い定めたことをひたすらやっていくだけでなく、幾つかの可能性を模索すること、ときには迷ったり遠回りしたりすることも大切でしょう。

遊びだって大切ですよね。遊びをとおして得られる経験や体験は思春期において豊穣です。

 

でも、その思春期の良さはそのまま思春期の悪さ……たとえば一点集中の難しさや取っ散らかりっぷりとも表裏一体ですよね。

何者にもなり得るからこそ、目移りもするし、目配りもしなければならないし、ひとつのことに集中しづらいとも言えます。

誰もが早々に思春期の彼岸に到達してしまえば問題ないのかもしれませんが、実際にはそう簡単に割り切れない人も多いでしょう。

 

それから遊び。遊びをとおして豊かな経験や体験が得られる時期に遊ばないのはもったいないことでもあります。

そのかわり、可処分時間をより多く遊びに回さざるを得ない、という側面もあるのですが。

 

思春期にはいろんなものになれる可能性・いろんなことができる可能性があるかわりに、その可能性が仇になっている部分、効率が落ちてしまう側面がないわけじゃないんですよ。

 

中年は逆です。中年は可能性がだいたい見えてきているし、自分が何者なのかもだいたい見えてきています。

自分の仕事ジャンルのなかで自分がどれぐらいのものなのか、どこまで出世できてどこから出世できないのか、そういうことも見えてきているでしょう。友達、異性、価値観、趣味、ポリシーといったものも概ね定まっている人が多いのではないでしょうか。

 

だからこそ、中年には自分の道をまっすぐに歩めるって側面がありませんか。出世頭のあいつにはもう勝てないし、後輩の○○に追い抜かれている部分もある。既婚か未婚か、そういったこともきっと決まってしまっているでしょう。

そのおかげでかえって、変に迷うことなく自分がしたいこと・自分がすべきことを一心不乱に追いかけることができるのです。

 

もちろんこれは可能性が閉ざされていることや自分がやらなければならない義務感とも表裏一体です。だから楽なことばかりでなく、苦しいこと、厳しいことだってあるのは言うまでもありません。ですから「思春期と中年期、どちらが良い/悪い」みたいな問いを立てるのはナンセンスでしょう。

ただ、思春期と中年期に性質の違いがあって、やりやすいこと・やりにくいことに相違がある点にはもっと注目していいと思うんですよ。

 

で、中年は迷えないし、自分の背伸びがどれぐらいまでなのかの射程距離もだいたい見えてしまっているし、自分の社会的役割もおおよそ想像可能だと思うので、だったら、やるべきことをガシガシやっていくしかないじゃないですか。

真っ直ぐに、やるべきことをやっていく──この点において、中年は思春期よりもやりやすいですよね。

 

モラトリアムなんてしないで自分の道を進めばいいんです。その自分の道が、他人と比較して地味か華やかか・収入的に高いか低いか、等々を気にしていても始まりません。

気にしたところで、もはや自分の道はたいして良くはならないからです(もちろん不慮の事故などによって悪くなる可能性はありますが)。

 

そのことを理解した中年は、もう前に進むしかありません。人生は香車のようでもあり、行先の決まった人口天体の打ち上げのようでもあります。

中途で脱落しないことを祈りながら、ただまっすぐに自分の道を進み、自分のなすべきをなす。それって、シンプルで気持ちの良いことじゃありませんか?

 

私はそのように開き直った結果、2022年あたりから放たれた矢のように「やっていく」をやって参りました。

正直、あまり遊べない、遊びの少ない時期だったように思います。でも不思議なほど、わざわざ遊ばなくても平気でいられたんですよね。自分の持てるかぎりの時間とエネルギーを、2022年以前の私がすでに定めた道をしゃにむに突っ走るために費やしたのが私の2023年です。

 

なるほど。これはこれで気持ち良いことだな、と私は思いました。幸運なことでもあったな、とも思いました。

さきほど不慮の事故に言及しましたが、人生のなかで、そんなに「やっていく」を一心不乱にやれる時間って長くないというのが私の認識です。それだけに、自分のなすべきことを思い定め、わき目もふらずにそれに注力できた2023年という時間は豊穣でした。思春期の豊饒さとはまた違った豊饒さです。

 

この豊饒さは、たくさん遊んだからでも、視野を広くとったからでもなく、視野を狭くし、働くことに精を出したから感じられたものでした。不惑。知命。そうしたもののうちにポジティブな意味を見出すなんて、20年前の私には思いもよらぬことでした。

人間、実際にその年になってみないとわからないことがまだまだありますね。だからライフステージを先に進めることを過剰に怖がりすぎなくてもいいと私は思います。

 

中年仲間の皆さまにおかれましては、お互い、放たれた矢のようにまっすぐがんばっていきましょうねと申してこの文章の結びとさせていただきます。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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Photo:Steve Ding