先日、Xに上のような文章がポストされていた。前後の文脈を踏まえるなら、「AO入試や採用面接で問われるコミュニケーション能力とは、上流階級の礼儀作法と思考プロトコルのことである」といったニュアンスだろうか。

「いまどきは、良い大学・良い就職先に入ろうと思ったら、上流階級のように考え、上流階級のようにふるまえなければダメですよ」と言っているにも等しい。

 

「特定の階級の礼儀作法や思考作法が優遇され、そうでない階級のそれらが敬遠される」と書くと、なにやら階級差別的でよろしくないようにも思える。だが過去から現在までを眺めて思うに、これが社会の通常運転ではないだろうか。

 

「コミュニケーション能力」としての礼儀作法

世の中には、「コミュニケーション能力」という言葉からエスパー的な能力や魔術のたぐいを連想する人々がいる。

彼らの気持ちもわからなくはない。

というのも、他人の心の動きを読むのが異様にうまい人や好印象を与える所作がずば抜けている人は実在するからだ。世の中でコミュニケーション能力と呼ばれるもののいくらかは、属人性が高く、再現性が乏しい。

 

その一方で、属人性が低くて再現性が高いコミュニケーション能力もある。その代表格が礼儀作法だ。

たとえば「おはようございます」や「ありがとうございます」といった挨拶は、できて当たり前と思うかもしれないが、できなければかなり感じが悪くなってしまう。挨拶だけできても劇的に印象が良くなるわけではないが、コミュニケーション上の減点を回避するには身に付けておく必要がある。

 

挨拶以外にも色々ある。会食時のマナー。メールの書き方。LINEやメッセンジャーやDMの返信のしかたも礼儀作法に含まれるかもしれない。

どれもひとつひとつは小さなことでしかないが、礼儀作法も積もれば山となるわけで、長く付き合ってみた時の印象は礼儀作法の出来不出来によってかなり違ってくる。

 

いや、就職面接のようなファーストコンタクトの際もそれはそれで礼儀作法が効いてくる。お互いのことをあまり良く知らないからこそ、挨拶がきちんとしているか、悪印象を与えない言葉遣いや身のこなしができているかが印象を左右することになる。

だからだろう、礼儀作法でコミュニケーション上の減点を減らし、あわよくば加点を得たいというニーズはなくならない。

令和に入ってからの礼儀作法書でとりわけ印象に残ったのは、この『「育ちがいい人」だけが知っていること』だ。この、売れまくった礼儀作法書は、まずタイトルで「育ちの良い人が知っていて、そうでない人が知らない礼儀作法の実在」を示し、それを提供すると宣言してみせる。で、実際に提供している。

 

ひとつひとつのtipsを知らなくてもコミュニケーションができないわけではないし、それだけで好人物が成り立っているわけでもない。だがもし、書かれているとおりに振舞えるならコミュニケーション上の減点を減らしやすく、加点を得やすくなるだろう。

 

現代の礼儀作法(と礼儀作法書)の起源

ところで、さきほど挙げた『「育ちがいい人」だけが知っていること』は、「育ちがいい人が身に付けている礼儀作法はコミュニケーション上の加点になる」という前提で記されている。

だが厳密に考えるなら、いつもそうとは限らない。たとえば労働者階級の所作が好ましいとみなされているコミュニティ──たとえばイギリスでいえばパブのような──では上流階級っぽさやブルジョワ階級っぽさがコミュニケーション上の減点になることもある。イギリスほど顕著ではないにせよ、日本でもそういったコミュニティは存在するだろう。

 

とはいえ、良い収入や良いステータスを求めることを当然とみなす人にとって、礼儀作法とはより良い収入やより良いステータスの人が身に付けている礼儀作法、お近づきになりたい人に好印象を与えやすそうな礼儀作法にほかならない。

そういう上昇志向な人々が大半を占める社会は、必然的に高収入・高ステータスな人間の礼儀作法を模倣したがる社会になっていく。

 

こうした傾向はいつからあったのか?

 

礼儀作法と礼儀作法書の先駆け的存在は、少なくとも16世紀まで遡ることができる。ネーデルラントの神学者/哲学者としても名高いデジデリオ・エラスムスが上流階級の子女が読むという前提で記した礼儀作法書が、活版印刷の普及に乗ってヨーロッパ社会のベストセラーになっていったのだ。

エラスムスの礼儀作法書は、このように日本語版も出版されている。異様なプレミアがついてしまっているので図書館で閲覧してみるのがおすすめだが、内容は簡潔で、今日では常識になっている記載も多い。

 

この礼儀作法書はもともと上流階級の子女のためにつくられたテキストブックだったが、それが上流階級の礼儀作法を身に付けたい中流階級たちに読まれ、模倣されていった。

つまりエラスムスの礼儀作法書も、育ちの良い人の礼儀作法を模倣したがる人に読まれていたわけで、そのことを思うと令和の『「育ちのいい人」だけが知っていること』は案外、礼儀作法書の原点に根ざしている。

 

礼儀作法による門前払いと依怙贔屓のシステム

エラスムスが書き残した礼儀作法書は、上流階級から中流階級の上澄みへ、さらに中流階級の裾野へと浸透していった。浸透すればするほど、広く知られれば知られるほど、その礼儀作法ではコミュニケーションの加点が得られにくくなり、せいぜい減点を防ぐ程度の効果しか得られなくなる。

そうしたわけで礼儀作法とそのテキストブックは時代を経るにつれて内容が細かくなっていった。今日目にする礼儀作法書は、その末裔であるとみて間違いない。

 

しかし、礼儀作法とそのテキストブックの出自がこうである以上、礼儀作法には上流階級志向がついてまわる。

今日において上流階級とは、ブルジョワ階級が相当するだろう。育ちの良いブルジョワ階級の子弟にプリインストールされている礼儀作法を、そうでない人々が積極的に模倣する──この繰り返しをとおして、社会はますますブルジョワ階級にとって都合の良いものへ・上昇志向を自明視するものへと変わっていく。

 

これは本当にどうしようもないことなのだけど、礼儀作法をありがたがり、模倣することをとおして、私たちはブルジョワ階級のブルジョワ階級によるブルジョワ階級のための社会をより堅固なものとし、その成立に加担しているとも言える。いや、もちろんブルジョワ階級中心の社会を成立させているのは礼儀作法だけでなく、資本主義や社会契約に基づいた諸制度などのほうが重要なのだが、礼儀作法もまた、ブルジョワ階級中心の社会を支える支柱のひとつだと言いたいわけだ。

 

こうしたことを振り返ったうえで、冒頭で紹介したXのポストを振り返ってみよう。

曰く: ”本当に求められている「コミュ力」の正体が「上流階級の礼儀作法及び思考プロトコル」だという事。義務教育の延長で突破できるペーパーテストと違って学ぶには相応のコストが必要な代物で、貧困層はそのコストを捻出できない(更に言うと教育機関にもアクセスできない)”

 

エラスムス以来、礼儀作法が上流階級志向で、その模倣をとおして広がってきた歴史を振り返ると、このポストの内容にも納得せざるを得ない。

確かにそうなのだ──ブルジョワ階級の子女がごく当たり前に身に付けていることでも、そうでない人が身に付けるには骨が折れ、相応のコストが必要になる。そのコストが貧困層にとって一種のペイウォールとして機能することも想像しやすい。

 

ということは、礼儀作法の出来不出来によって面接試験の当否が左右される社会があるとしたら──いや、現に左右されているのだが──、その社会は特定の階級を贔屓し、そうでない階級を門前払いしがちな社会であると言わざるを得ないのである。

 

これは、日本でも日本以外の先進国でもしばしばみられる現象で、ほとんどの人が鵜呑みにしていることだが、本当にこれでいいのだろうか?

 

私はときどき、これって構造的な階級差別&依怙贔屓のシステムなんじゃないの? と思ってしまう。

とはいえ、すでにそういう社会構造になっている以上、疑問を感じたからといってどうにもならないし、私自身も礼儀作法に意識的である以上、その社会構造に加担していると指摘されればにべもない。

 

資本主義社会においてブルジョワ階級はいろいろな意味で模範的存在ではある。が、ひとりひとりが礼儀作法を重んじ、それをコミュニケーション能力の一部として駆使することをとおしても、ブルジョワ階級とそれを模範とする社会構造はますます強固になっていくのである。

 

 

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著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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