コツコツ積み上げることは大事。よく言われるだろう。例えばこんな具合だ。
「毎日英語の練習をしよう」
「毎日記事を書こう」
「毎日お客さんに手紙を書こう」
だが、実際にやりだすと、
「うまくなっている実感がわかない」
「アクセスが伸びない」
「時間がない」
と、1ヶ月も立たないうちに諦めてしまいがちだ。頭で理解はしているが、体は動かない。これが人間の悲しい性だ。そのため「努力は、つらいことだ」というイメージが生まれ、手っ取り早く結果を出せるワザが人気を集める。
だが、時間をかけなければ成し得ないことも数多くある。
例えば人の信用を得たりすることや、高度な技術、卓越した知性などは多くの場合、気の遠くなるほどの数の基礎を少しずつ積み上げた結果の頂点に置かれた「キャップストーン」なのである。
そして、そこで重要なのは、「積み上げる」という単調で結果を実感しにくい仕事をいかにコツコツ続けるか、という話になる。
だが、この手の話をすると「思考を変えなさい」というオチになりがちだ。思考が習慣を作るのだから、考え方を変えれば良い、とする自己啓発書のたぐいは非常に多い。
多分、以下のような本が、大きな影響を与えているのだろう。
しかし、である。
最近の認知心理学の研究結果は、実はカギとなるのは「思考」ではない、と述べている。
思考も行動マニュアルも、習慣化においてはあまり効果がないのだ。
これは私にとっても衝撃だった。
では、何がカギなのか。これは前置きとなる説明がいる。
人の行動は、一般的に、
感情 ⇒ 思考 ⇒ 行動
の順番で起こると考えられている。
具体的に言うと、
「いらいらするなぁ。なんとかしたいなあ」
↓
「そうだ、イライラする時はチョコレートを食べればいい、と聞いたことがある。甘いモノを食べれば、イライラが収まるかも。今はダイエット中だけど、少しなら大丈夫。」
↓
チョコレートを食べる。
と言った具合だ。特に何も違和感はない。
ところが、である。ノーベル賞を受賞した認知心理学の大家、ダニエル・カーネマンは著書*1の中でこれを否定する。
感情的な要素が絡んでくると、システム2(=冷静な思考)は、システム1(=直感)の感情を批判するよりも、擁護に回る傾向が強まる。システム1の番人というより、むしろ保証人になってしまうようなのだ。
情報や論拠を探索するにしても、既存の結論を検証する意図からではなく、結論と矛盾しない情報探しに終始する。かくして、積極的なつじつま合わせ屋のシステム1が無抵抗のシステム2に結論を押し付けることになる。
この部分は大変重要な示唆を含む。
つまりカーネマンは、人の行動は「通常は、ほぼ考えることなしに判断されており、しかも冷静なはずの理性ですら、感情には屈服してしまう」と言っている。
つまり、先ほどの流れは間違っている。
最初に述べた順番、感情 ⇒ 思考 ⇒ 行動 ではなく
感情 ⇒ 行動 ⇒ 思考
と、行動と思考が逆であるというのだ。感情が行動を引き起こし、志向はその行動を後から理由付けして自分を納得させる。
具体的に、現実には
「いらいらするなぁ。なんとかしたいなあ」
↓
チョコレート食べちゃえ
↓
「あ、今チョコレートを食べたのは、イライラを収めるためだったんだな。それなら仕方ない」
と、人は後からもっともらしい理由をつけて、自分を納得させているのである。
*1
要するに、人間の脳は熟考が苦手である。熟考は大変にエネルギーが必要なので、なにか行動を起こす時に「正当な理由」や「動機づけ」などはほとんど無力である。
つまりどんな人でも「やりたくない」「面倒くさい」という感情には、いかなる思考や動機付け、方法論も長期的には必ず敗北する。
それがどんなに正しく、自分のためになり、長期的に果実が得られるとわかっていたとしても、殆どの人は定期的な運動をしないし、愛煙家は禁煙しない。毎日英会話の勉強をすることもなく、継続的な努力をすることもない。
なぜなら、感情がそれを許さないのだ。
真に重要なのは、ポジティブな「思考」や、習慣化などの「方法論」ではなく「感情」へのアプローチである。もっと言えば、「習慣化」とは、感情を統制することにほかならない。
これは、人々の経験則とも一致する。なぜなら、一つの習慣を長く続けているひとに
「すごいですね、よく続けられますね」と聞くと、大抵の場合
「いや……やらないと気持ち悪いので」
という答えが返ってくるからだ。
かれらは実は、前向きでもモチベーションを高く保っているわけでもない。たんに「気持ち悪いから」という感情によって自動的に動いているだけなのだ。だから続けられる。
したがって「習慣化」に効果があるのは、直接感情に訴える以下の施策だ。
・もったいない、と自分に思わせる
とにかく何かを初めたければ、先にカネを払ってしまう。「痩せる」ことを約束するライザップのプログラムがが高額なのは、認知心理学的には合理的だ。
ランニングの習慣をつけたければ、ウェアやシューズを買えばよい。英語を始めたいなら、英会話のスクールに金を払ってしまう。
「もったいない」「損をしたくない」という感情は、前向きな「健康でいるために痩せたい」という論理的な思考よりも、ずっと強力である。
・仕方ない、と自分に思わせる
テレビやゲームなどの「誘惑」が近くにある場合、人間は誘惑に基本的に勝てない。感情は理性より遥かに強いのだ。
だから、気を散らすものを近くに置かないのが最も良い。すると「仕方ない……やるか。」という気持ちになる。
例えばカフェ、図書館などに出かけるのは合理的だ。ゲームをスマホからアンインストールするのも良い。ダイエットしたいなら、家に食べ物を置かないのが良いのだ。
・あと少しだから、と自分に思わせる
知人は、運動の習慣をつける時には毎日「後一日だけやろう……そしたら辞めよう」と思っていたそうだ。
遠い将来のために人間は動けない。「つらい」「先が見えないので不安」という感情は強力だ。
したがって「取り敢えず今日のことだけを考えて、明日以降は考えない」という態度は、習慣化で不可欠だ。
・ここまで来たらもったいない、と自分に思わせる
部屋にガラクタを溜め込んでいる人が多いことからも分かる通り、「もったいない」という感情も、強力な感情だ。利用しない手はない。
したがって、習慣としたい行動の記録を取り、記録を眺めて「今やめるのはもったいない」と思わせたら勝ちである。
ランニングの習慣をつけている人が「記録をしたいので走るのをやめられない」と言っているが、そのとおりだ。ブログや日記を毎日書ける人の原動力は、「かかないと気持ち悪い」である。
上で紹介した話には、一切、前向きな話はない。実際、習慣化に前向きな心やモチベーションを高く保つことなど、必要ないのだ。
認知心理学的に一番効果があるのは、ネガティブな心、つまり、損失を回避したい、という「逃げ」の心である。
「つらいことを回避するために、習慣を継続する」という設計ができてしまえば、もう勝ちである。
(2025/7/14更新)
ティネクト(Books&Apps運営会社)提供オンラインラジオ第6回目のお知らせ。
<本音オンラインラジオ MASSYS’S BAR>
第6回 地方創生×事業再生
再生現場のリアルから見えた、“経営企画”の本質とは
【ご視聴方法】
ティネクト本音オンラインラジオ会員登録ページよりご登録ください。ご登録後に視聴リンクをお送りいたします。
当日はzoomによる動画視聴もしくは音声のみでも楽しめる内容となっております。
【今回のトーク概要】
自己紹介とテーマ提示:「地方創生 × 事業再生」=「実行できる経営企画」
保育事業再生のリアル/行政交渉/人材難/資金繰り/制度整備の具体例
再生支援は地方創生の基礎。経営の“仕組み”の欠如が疲弊を生む
経営戦略・KPI設計・IRなど中小企業とのギャップを解説
「当たり前を実行可能な形に翻訳する」方法論
数字を見える化/仕組みで回す/翻訳して実行する
経営企画は中小企業の“未来をつくる技術”
【ゲスト】
鍵政 達也(かぎまさ たつや)氏
ExePro Partner代表 経営コンサルタント
兵庫県神戸市出身。慶應義塾大学経済学部卒業。3児の父。
高校三年生まで「理系」として過ごすも、自身の理系としての将来に魅力を感じなくなり、好きだった数学で受験が可能な経済学部に進学。大学生活では飲食業のアルバイトで「商売」の面白さに気付き調理師免許を取得するまでのめり込む。
卒業後、株式会社船井総合研究所にて中小企業の経営コンサルティング業務(メインクライアントは飲食業、保育サービス業など)に従事。日本全国への出張や上海子会社でのプロジェクトマネジメントなど1年で休みが数日という日々を過ごす。
株式会社日本総合研究所(三井住友FG)に転職し、スタートアップ支援、新規事業開発支援、業務改革支援、ビジネスデューデリジェンスなどの中堅~大企業向けコンサルティング業務に従事。
その後、事業承継・再生案件において保育所運営会社の代表取締役に就任し、事業再生を行う。賞与未払いの倒産寸前の状況から4年で売上2倍・黒字化を達成。
現在は、再建企業の取締役として経営企画業務を担当する傍ら、経営コンサルタント×経営者の経験を活かして、経営の「見える化」と「やるべきごとの言語化」と実行の伴走支援を行うコンサルタントとして活動している。
【パーソナリティ】
倉増 京平(くらまし きょうへい)
ティネクト株式会社 取締役 / 株式会社ライフ&ワーク 代表取締役 / 一般社団法人インディペンデント・プロデューサーズ・ギルド 代表理事
顧客企業のデジタル領域におけるマーケティングサポートを長く手掛ける。新たなビジネスモデルの創出と事業展開に注力し、コンテンツマーケティングの分野で深い知見と経験を積む。
コロナ以降、地方企業のマーケティング支援を数多く手掛け、デジタル・トランスフォーメーションを促進する役割を果たす。2023年以降、生成AIをマーケティングの現場で実践的に活用する機会を増やし、AIとマーケティングの融合による新たな価値創造に挑戦している。
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