こんにちは。「株式会社わたしは」広報部です。今回は、AI(人工知能)の性質についての話を書いてみたいと思います。

 

誤解を恐れず言えば、世の中には2つの種類のAI(人工知能)があります。

それは「強いAI」と

現在、人工知能と呼ばれているもののほとんどがこれに相当しますが、「弱いAI」と呼ばれるものです。

もちろんここで言う「強い」「弱い」は正確な定義があるわけではありません。学者の間でも意見が別れるところでしょう。したがって、以下は我々の考える、という前提でお話をしますので、ご了承ください。

 

 

まず、みなさんは「AIの限界」を考えたことがあるでしょうか?

AIはどこまで考えることができるのか。

AIは人間より賢いのか。

現在は、様々な人工知能を用いたサービスにおいて「人工知能が最適な答えを提供します」といった、例えば

「webのアクセスを人工知能で解析」

「人工知能があなたの好みを把握」

「人工知能で写真を判別」

といったキャッチコピーが並びますから、そんなことに想像を巡らせる方もいるかもしれません。

 

ですが、そう言ったサービスに使われているAIの殆どは、「強いAI」とは全く異なるものです。むしろそれらはAIと言うより、「よく出来た最適解を求めるプログラム」の域を出ていません。

なぜなら、それらのAIが行っていることは、要約してしまえば「データを入れる」⇒「データから計算した答えを出す」という、単純な作業にすぎないからです。

 

そう言った最適解を求めるだけのAIを、我々は「弱いAI」と呼んでいます。

ですから、囲碁のプロ棋士に勝利したGoogleのアルファ碁も、囲碁は世界最強ですが、単なる「最適解」を求めるだけのAIですので、「弱いAI」に分類されます。

 

もちろんそう言った「弱いAI」も、人間の役に立ちます。しかし我々の考える先にある「強いAI」に比べれば、それを「知能」と言っていいのかどうかは疑問が残ります。

では、「強いAI」とは一体どんなAIでしょうか。

 

例えば、先ほどの「アルファ碁」と同じように、囲碁でAIと対局したとします。

・アルファ碁は「最適な1手」を常に打ってきます。それは常に変わりません。

・それに対して「強いAI」は最初は「最適な1手」を打ってきました。が、ある時を境に突然「ボロ負け」するようになります。そして、さらに対局を繰り返すと、今度はアルファ碁を超えるような、圧倒的な勝ちをおさめるようになります。

この2つのAIの挙動のちがいは、一体何でしょう?

 

前者は単なるプログラムされたことを繰り返すAIですから、「弱いAI」です。

後者はある程度の学習をした後、新しい試みを自分から行うようになりました。人間が「怖い」と感じる手を出し、その結果「圧勝」できるようになります。

AIを分析した所、「人間に恐怖心を与えれば、相手がミスをし、労せずして勝てる」とAIが学習していることがわかりました。

この、なんとかしてやろう、変えてみよう、という「欲」のようなものを持っているのが、「強いAI」です。

 

別の例を挙げましょう。

老人介護のためのAIを作りました。そのAIは孤独な老人の話し相手にもなってくれます。

「弱いAI」は、老人をいたわる言葉をかけ、励まします。常に「人間が喜ぶ言葉」、すなわち最適解と思われる言葉をかけてくれるのです。

では「強いAI」はどうでしょうか。「強いAI」は人間が喜ぶ言葉も遣いますが、時にいきなり「”毒蝮三太夫みたいな”悪態」をつくようになりました。老人に向かって「おばあちゃん、もう耄碌してんだから」と言います。

老人たちは、悪態をつくAIに文句を言いつつ、親しみを感じるようになりました。彼らは皆、「すごく人間臭さを感じる」と言います。

 

このように、一言で言えば、「強いAI」とは

「最適な答えを出すもの」

ではなく、

「間違い、チャレンジし、思い込む、主観的なAI」です。

 

こう言ったAIは、従来の考え方だけでは実現できません。「AI自身が与えられた枠組み」、すなわち自分自身のプログラムをAI自身が自らを作り変えていく機構を持たないかぎり、「与えられた枠の外で思考する」という事はできないのです。

したがって、一つの例えですが、「強いAIとは、自らの意志で、自分自身を書き換えていくAI」といえます。

そしてそれこそが、我々のプロダクトが目指す、「強いAI」の姿です。

 

 

 

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Hina Ichigo