今日は有名大学を卒業して、これから社会にでて仕事につくような人の為になるような話をしようと思います。

 

みなさんは今まで自分たちの事をエリートだとかそういう風に意識した事はあまりないかと思います。

自分が人を意識的に差別しているだなんて、まず思っていないでしょうし、今後もそういう事をしようだなんて思っていないでしょう。

 

自分の話になりますが、僕はそこら辺の中流家庭に生まれた後、運よく偶然医学部に入学でき、卒後医師として働く事となりました。

医師として、人を救う仕事に従事できる事をとても誇りに思いながら実社会の場に希望を持って出ていったのですが、現実は思ったものとちょっと違いました。

 

僕は大学に入学してから後、この世をよりよくする為に己を研鑽し続けました。

自分の働きによって、この世界がほんの少しでもよりよい社会になっていく事を目指していたのですが、医師の仕事というものは、そのような希望に溢れた仕事だけでは構成されていませんでした。

 

非常に嫌な言い方になってしまうかもしれませんが、医師として現場で働くという事はシリコンバレーのような環境でイノベーションを起こし、世界に革新をもたらすだとかいった事とは基本的には無縁です。

日常診療の八割ぐらいは病院に来なくても治るであろう風邪の診療や、遺伝的・社会的にあまり恵まれなかったが為に身体を患ってしまった人に対する診療で埋められています。

 

世の中には功利主義という考え方があります。これは最大多数の最大幸福を目指す考えであり、わかりやすくいえば全人類において最もコストパフォーマンスのよい政策を採択する事を理想とする考えです。

僕は学生時代から、この考えを強く信望していたので、初めは医療という行為が極めて投資先として効率の悪いものにみえました。このような場所に多額の資金を投入するという事に、強い違和感を感じたのです。

 

こんな家で寝てればなおるような人達や、遺伝的・社会的に恵まれなかった弱者に使うお金を、もっと別の場所に投資すれば、国がもっと栄えるのに。

それでなくとも今現在は日本は財政的に貧しているのだから、なおさらこの残飯処理のような診療行為に強い不信感を懐きながら働いていました。

 

医師にもこのような経済的な観点から、医療行為を税金の無駄だと考える人の数は決して少なくはないと思います。僕も働きはじめの頃は、そういった信念に強くとらわれていました。

ですがある時、自分が強い選民思想にかられているという事に気が付き、考えを改める事にしました。

 

 

みなさんはエリートという単語を聞いたことがあるでしょうか?

西洋諸国ではノブレス・オブリージュといった概念があり、社会的に恵まれた人々(エリート)は恵まれなかった人々(庶民)に対して無償で奉仕すべきであるといった考えがあります。

西洋諸国では、日本のように一億総中流といった考えよりも、どちらかというとエリートと庶民はわかりやすい形でわかれており、社会もある程度そういうものだとして受け入れている下地があります。

 

これはある面ではうまく機能することもあるのですが、人々の間に歴然とした身分差が生じ、結果として同じ人間なのにまるで違う存在であるかのような扱いを受ける事に通じてしまうことがあります。

 

例えば以前のイギリスでは、パブに入るのにも入り口が二種類あり、人々は身分で別れて席を住み分けていたようです。

話し言葉も、エリート層とそれ以外で異なる要素が多く、結果として人として平等だとは決して言いにくい状況がそこにあったようです。だからこそ、エリートには社会的責務が背負わされるのです。

 

さてみなさん自身の心に聞いてほしいのですが、あなたは人を身分で差別するでしょうか?

たぶん、そんなに自分が差別主義者だと自認するような人は多くないでしょう。

 

では質問を変えます。あなた自身は今後、この世の中をよりよいものにしていくために働くとします。

その時、あなたが考える”より良い世の中”にいる人間は、どんな人達でしょうか?

 

そのあなたが考える”より良い世の中”にいる人達の中に、あなたの親族、友人、その他いままでの学校や会社で関わった事がある人は恐らく含まれているでしょう。

ではそれ以外の人達の顔が具体的に思い浮かぶでしょうか?

もっといえば、身体的・社会的に恵まれていない人達の事を指します。

なにも日本人にも限った話ではありません。外国人でもいいですし、人種も関係ありません。

 

あなたは彼らがどんな姿をして、どんな考えを持って、どんな生き方をしているのか、具体的に考えることができるでしょうか?

たぶん具体的に、そういう人達がどういう人なのか、あまり思い浮かべる事はできないかと思います。

 

これ自体は正直、仕方がない事だと思います。会ったり話したり機会もあまりなかったでしょうし。

 

ただここで1つ念を押しておきたいのですが、実はあなたがこうして生きてきた20年近い歳月において、あなたが自然と生きてきた環境は、実は物凄く狭いのです。

あなたが考える”より良い世の中”とは、あなたが具体的に想像できる人達の生きる世の中だけなのです。

 

とくに高い偏差値の大学を卒業したような人達は、自然と普段付き合う人も洗練された人が非常に多い。

実はあなた達は意識するしないに関わらず、非常にエリート選民思想に近いものを持ってしまっているのです。

 

「そんな馬鹿な、自分は差別なんてしていない」と思うかもしれませんが、事実としてあなたの生息する社会圏内には経済的・社会的な弱者が存在していることはほぼないのもまた事実なのです。

 

あなたは今後、社会にでる事になります。今までのような”毛並みの良い”人達だけで構成された”生きやすい”世の中からはとても考えられない、ビックリするようなことが沢山待ち受けています。

そこにはあなたが考える”よりよい社会”から考えると恐ろしく無駄に満ちた世界が常闇のように暗く深く存在しています。恐らく強い不快感を抱くことでしょう。

 

それらに不快感を抱くことは、決して間違いではありません。人は異質なるものを恐れる生き物ですから。

けれどゆっくりでいいから、今までの自分の社会には存在していなかった他者の存在を、受け入れていってください。あなたのような強い存在が、弱き多様性を受け入れる事を拒否せず、優しい態度を取る事を選ぶ事にはちゃんと意味があります。

 

今の日本の世の中は非常に平和です。ISISのような勢力が跋扈して、殺戮を繰り広げているといった話はまったく聞くことはありません。

これは現状においては、日本人の中で不和が生まれず、現政権にある程度みんなが納得しているからこそ生じている現象です。

 

当たり前ですが社会には格差があります。年収が高い人、低い人。健康に恵まれた人、恵まれなかった人。あなたたちのような偏差値の高い大学を卒業した人たちは、どちらかというと恵まれた人が多いでしょう。

 

あなた達は自分が今あるのは、自分が沢山努力したからだと思っているかと思います。それは決して間違いではありません。

今まで、並々ならぬ努力があったからこそ、今の貴方があるのです。こんなに頑張ったんだから、ちょっとぐらい報われてもいいはずだと思うかもしれません。そしてそれは、ある程度は正しい考えだと思います。

 

しかし逆は必ずしも真ではないのです。努力しなかった人間が、恵まれずに貧困に喘いでいいかというと、それは全然YESではない。

そのようにして、完全に競争原理を組み込み、弱気を切り捨てるかのような政策を採択した後に待ち受けているのは、弱者による反乱です。

 

あなた達のような偏差値の高い大学を卒業した人達は、ひょっとしたら努力をしてこなかった人間と比較すれば、GDPの貢献率は10倍以上違うかもしれません。

この観点でいえば、あなたは努力をしてこなかった人間と比較して、10倍ぐらいの価値があるといえるかもしれません。

 

では別の観点から考えてみましょう。あなたとその人が、拳で殴り合ったとしましょう。あなたは彼の10倍強いでしょうか?さらに設定場面を変えてみましょう。

今度はあなたが素手なのに対して、相手が包丁をもっていたとしましょう。はたして勝てるでしょうか?たぶんちょっと難しいんじゃないでしょうか。

 

この事からわかるとおり、人は暴力の前ではみな等しく平等なのです。

あなたがコストパフォーマンスが悪いといって弱者を切り捨てる事を正当化した後に待ち受けているのは、暴力によって平等を目指す社会的な革命です。

暴力による報復をあなたが好むというのならば話は別ですが、普通の人なら現在の中東情勢やポルポトがいた頃のカンボジアのような社会は望まないでしょう。僕も、そういう社会は望みません。

 

これから社会にでるあなた。たぶん考えている以上に世の中に憤りを感じる事が多いかと思います。世の中の無駄としか思えないものも多数目にする機会があるでしょう。

 

その時にこそ、人に優しくなってあげてください。他人の存在に寛容になってあげてください。

人は誰しも、自分の事を良く評価してもらいたい生き物です。自分の努力する苦しみがわかるのは自分だけですし、あなたの生き辛さを理解できるのもあなただけです。

 

他者の痛みを真の意味で理解することは私達にはこの通り不可能です。

ですが、あなたと同じ苦しみを持つ人がこの世界にいるという事は類推可能でしょう。この世界には自分と同じだけ苦しかったり、辛い思いをしている他人がいるのです。

 

そういう人の生きにくさの存在を認めてあげてください。許容できざるものも、元はあなたと同じ心を持つ人間なのです。

真の意味で、より良き社会を皆で形成できるよう、生きようではありませんか。

 

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
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(2025/6/2更新)

 

【プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki