世の中には、実際には強要していたのに「これは、あなたが選んだこと」と人を丸め込むような説明をする人がいる。
☆★☆★☆
例えば、
・Aを与えるが、Bを奪われる。
・Bを奪わないが、Aを与えない。
この二択から1つを選ばなければならないとして、それは自由な選択だと言えるだろうか。
具体的な事象に落とし込むと、例えばこんな感じだ。
・暴力に耐えるならご飯を食べさせてあげる。
・ご飯がいらないなら、暴力も振るわない。
ご飯を食べないわけにはいかないので、①を選ぶ。
でも、それで「この暴力はあなたが自分の意志で選んだものだから、当然受け入れるべきだ」と言われたらどうだろうか。
追い詰められていたら納得してしまう人もいるかもしれない。
でもこれはおかしい。「すごく嫌な選択肢」と「嫌な選択肢」しかない二択だからだ。
この二択しかなければ「嫌な選択肢」を選ばざるを得ないが、「良い選択肢」「すごく良い選択肢」があれば当然「すごく良い選択肢」を選ぶ。
これは誰が見ても虐待だ。この選択肢しかなかったら、当然反発したくなる。ただ、このような極端な例だとわかりやすいが、もっと巧みに選択肢を提示されると、あたかも自分が自由に選択したかのように思ってしまう。
それは、親が子どもに提示する「あなたの歩むべき道」かもしれないし、経営者が従業員に提示する「キャリア」かもしれない。
親は子に、経営者は従業員に期待する選択肢があり、それ以外の選択肢はあまり選んでほしくないと思っている。
あるいは今提示している選択肢がベストだとは思っていなくても、それ以外の選択肢を用意する力を持っていなかったり、コストがかかるから提示したくなかったりして、とにかく、他の選択肢を用意することが難しい状態にある。
そうなったとき、相手に「限られた選択肢の中から選ぶことを強要する」ことになるが、これは相手を不自由な環境に追い込むことになるため、反発される可能性もある。
そこで、「これはあなたが自分の意志で選んだことなんだよ」と説明し、納得させる必要が出てくる。
要は丸め込むわけだ。
客観的にはおかしいのだけれど、本人を納得させ、歪んだ選択肢をあたかも真っ直ぐな現実であるかのように認知させる。
そのほうが、選択肢を変えるより、よほど容易いからだ。
本当に相手の意志を尊重するような環境を整えた上で、相手に選んでもらうのならば「これはあなたが自分の意志で選んだことだ」という話に筋は通っている。
でも、実際は限られた、そして大抵の場合“嫌な” 選択肢しか提示されていないのに、「あなたが自分の意志で選んだ」と妙に納得感のある説明をされる。うっかり丸め込まれそうになるが、鵜呑みにしたら相手の思う壺である。
私はそんな経験をした。
☆★☆★☆
そしてもう1つ。
例えば100ポイント集めるとゴール、0になったらアウトだというゲームがあるとする。
コインを投げて表が出たらプラス10ポイント、裏が出たらマイナス5ポイントというシンプルなルールだ。
確率的にはなかなか良さそうに見える。
ここにA~Gの7人のプレーヤーがいて、それぞれ次の表の通りポイントを持っている。
A | B | C | D | E | F | G |
5 | 10 | 15 | 20 | 30 | 35 | 80 |
Aは最初に裏が出たらその時点でアウトなので少々厳しいが、B~Gは最終的にゴールできそうな未来がなんとなく見える。結構良いゲームだな、と思える。
では、このような条件が付いたらどうだろうか。
☆ゲームに参加するためには、30ポイントマイナスする必要がある。
A~Eは参加権がないも同然だ。参加した時点でアウトなので、スタート地点に立つことすらできない。
Fも参加すると、Aの状態(=5ポイント)になるので、最初に裏が出たらアウトであり、リスクは高い。
それでも100を目指してチャレンジする勇気ある人はいるかもしれないが、結局のところ、自信を持って参加できるのはGだけだ。
そしてかなりの高確率で、Gはゴールに到達する。
そこで、この条件付きゲームを作った人はこう言う。
「このゲームは誰にとっても素晴らしいゲームだ。悪いゲームなら、ゴールに辿り着く人はいないはず。でも実際に辿り着いた人(=G)がいるのだから、これは良いゲームだといえる」
ちょっと待って!
Gの最初のポイントは誰が見ても外れ値であり、特殊な存在だ。例外を一般化して語られても困る。
これも現実では巧みに表現されるので、例外があたかも全員に当てはまるかのように説明され、ぼんやりしていると納得感があるように聞こえてしまう。
ゲームの主催者は、どうにかしてこのゲームの参加者を丸め込もうとしており、
実際は一部の人にしかメリットがないルールのままなのに、一部の例外を取り上げて、あたかも皆にとって素晴らしいルールであるかのように説明される。
例として取り上げられた人は明らかに例外的な存在なのに、妙に納得感のある説明をされて、ルールが受け入れられてしまう。
そんなこともあった。
☆★☆★☆
歪んだ現実をロジカルに説明することはできないので、説明者はいかに「納得感」を持たせることができるかに力を注ぐ。
実際には「丸め込んでいる」だけなのだ。
実際には選択の自由はないのに「あなたの意志で選択した」と言うのは、やめて欲しい。
こう考えると「物事を批判的な目で見ること」がいかに大事かわかる。
もちろん、何もかも批判すればいいってものでもないけれど、批判的な視点は常に持ち続けていたい。
ではまた!
次も読んでね!
(2025/5/12更新)
「記憶に残る企業」になるには?“第一想起”を勝ち取るBtoBマーケ戦略を徹底解説!
BtoBにおいて、真に強いリストとは何か?情報資産の本質とは?
Books&Appsの立ち上げ・運用を通じて“記憶されるコンテンツ戦略”を築いてきたティネクトが、
自社のリアルな事例と戦略を3人のキーマン登壇で語ります。
こんな方におすすめ
・“記憶に残る”リスト運用や情報発信を実現したいマーケティング担当者
・リスト施策の限界を感じている事業責任者・営業マネージャー
・コンテンツ設計やナーチャリングに課題感を持っている方
<2025年5月21日実施予定>
DXも定着、生成AIも使える現在でもなぜBtoBリードの獲得は依然として難しいのか?
第一想起”される企業になるためのBtoBリスト戦略
【内容】
第1部:「なぜ“良質なリスト”が必要なのか?」
登壇:倉増京平(ティネクト取締役 マーケティングディレクター)
・「第一想起」の重要性と記憶メカニズム
・リストの“量”と“質”がもたらす3つの誤解
・感情の記憶を蓄積するリスト設計
・情報資産としてのリストの定義と価値
第2部:「“第一想起”を実現するコンテンツと接点設計」
登壇:安達裕哉(Books&Apps編集長)
・Books&Apps立ち上げと読者獲得ストーリー
・SNS・ダイレクト重視のリスト形成手法
・記憶に残る記事の3条件(実体験/共感/独自視点)
・ナーチャリングと問い合わせの“見えない線”の可視化
第3部:「リストを“資産”として運用する日常業務」
登壇:楢原 一雅(リスト運用責任者)
・ティネクトにおけるリストの定義と分類
・配信頻度・中身の決め方と反応重視の運用スタイル
・「記憶に残る情報」を継続提供する工夫
【このセミナーだからこそ学べる5つのポイント】
・“第一想起”の仕組みと戦略が明確になる
・リスト運用の「本質」が言語化される
・リアルな成功事例に基づいた講義
・“思い出されない理由”に気づけるコンテンツ設計法
・施策を“仕組み”として回す具体的なヒントが得られる
日時:
2025/5/21(水) 16:00-17:30
参加費:無料 定員:200名
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
こちらウェビナーお申込みページをご覧ください
[著者プロフィール]
名前: きゅうり(矢野 友理)
2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。
著書「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)
(Photo:paolobarzman)