私は「生涯現役」という言葉が好きではない。
巷では、「生涯現役」が良いことのように語られている。さしあたり、いつまでも健康でいられるのは良いことに思える。
だが、いつまでも働き続けることは、良いことばかりだろうか。
数十年前の日本には、60歳になったら定年を迎えてリタイアするという慣習があった。
平均寿命が短く、健康管理の意識も乏しかった昭和時代には、60歳でリタイアというのは妥当な目安だったかもしれない。
60歳は「還暦」と呼ばれ、これをもって人生の一巡りとする見方が強かった。そこから先は「余生」とみなされていた。
ところが平均寿命が伸びて、健康管理の意識が行き届いた現在では、「還暦」をもって「余生」とみなす人はほとんどいない。
60歳より早く退職せざるを得ない人が増え、そこから新しい仕事を始める人も増えた結果、人生の節目としての「還暦」は失われた。
それに伴って、「現役」と「余生」の境目もあいまいになった。
働くという行為には、お金を稼ぐという意味に加えて社会に参加するという意味もある。
働かなければどうにもシャキっとしない人も多いだろう。定年を迎えてから急激に老け込む高齢者も珍しくないように、仕事があったほうが良い人、いつまでも働き続けられることを喜んでいる人がいるのは間違いない。
そのかわり、働ける限りは働き続けなければならなくなった、ともいえる。
60歳前後では人があまり死ななくなった現代社会では、80代~90代まで生きてしまうこともザラにある。年金制度が尻すぼみであることを皆が知っている以上、長く生き続けるためには食い扶持を稼がなければならない。
60代や70代でも働けるとはいっても、30代や40代に比べれば身体的に辛いところもあるだろう。しかし、辛いからといって働くのをやめるわけにはいかない。
「現役」か「余生」かは、年齢によって区切られるのでなく、働けるか働けないかによって区切られるようになった。
働ける限りは「余生」は来ない。「生涯現役」とは、つまりそういうことでもある。
私は死ぬまで働きたいとは思っていなかった。できるだけ早くリタイアし、できるだけ「余生」に相当する時間をもてたらいいなと、都合の良いことを夢見ていた。
けれども「生涯現役」が当たり前になった社会、つまり、働けなくなるまで働き続けなければならない社会では、その夢は実現できそうにない。
高齢化がますます進む日本社会では、高齢者が若年者に寄りかかれる経済的余地はどんどん小さくなっていくだろう。
働けるうちは働き続き、いつかは動けなくなって、それから死ぬ‥という気持ちで年を取っていかなければならない。
「いつまでも世帯主」であることの困難
だが、仕事よりもずっと厄介に思えるのは、「いつまでも世帯主/契約主体者でなければならない」ということのほうだ。
現在の高齢者をみてもわかるように、仕事ができなくなっても預貯金や年金でやりくりして暮らしている人はいる。働くという点に関しては、彼らは「余生」を過ごしていると言えるだろう。
しかし、そんな彼らも、世帯主としての責任や判断から降りられたわけではない。
個人主義社会の契約主体者として、自分で考えて、自分で決めながら生きていかなければならない。
つまり、現代人には「隠居」というものがないのである。
隠居(いんきょ)
1 官職・家業などから離れて、静かに暮らすこと。また、その人。民法旧規定では、戸主が生前に家督を相続人に譲ることをいう。「社長のポストを譲って隠居する」「御隠居さん」
2 俗世を離れて、山野に隠れ住むこと。また、その人。
3 江戸時代の刑罰の一。公家・武家で、不行跡などを理由に当主の地位を退かせ、俸禄をその子孫に譲渡させた。
(デジタル大辞林より)
明治民法では、60歳以上で家督を相続する「隠居」の定義があり、また、従来からの慣習としての隠居制が広く残っていた。
しかし1947年に民法が改正された際、「隠居」についての法的な取り決めはなくなり、生前に家督を相続して「隠居」をしようと考える人も少なくなった。
20世紀からこのかた、日本では核家族化が進行して、さらに単身世帯が増え続けてきた。そうした単身世帯のなかには高齢者の一人暮らしも多く、その数は今も増え続けている。
子どもがいようがいまいが、現代社会の高齢者はいつまでも「隠居」することなく、世帯主や契約主体者としての判断を果たさなければならない。これは、恐ろしいことではないだろうか。
内閣府のホームページによれば、高齢者の犯罪被害件数は増えており、なかでも詐欺被害が目立っているという。
また、全国の消費生活センターに寄せられる消費トラブルでも、契約当事者が70歳以上の案件が増えてきている。
こうした、高齢者がターゲットとなった詐欺や消費トラブルが増えている一因は、もちろん「高齢者が増えたから」ではあるのだけれど、高齢者がいつまでも「隠居」せず、契約当事者として「生涯現役」だからという前提も見逃すわけにはいかない。
高齢者がこぞって「隠居」する社会では、高齢者が契約当事者を降りて、もっと若い親族が契約当事者としての判断を下すだろうから、高齢者をターゲットとした詐欺や消費トラブルがこれほど増えることはない。
今日の高齢者は「隠居」しないというより、「隠居」のしようがないため、判断力が鈍ってきたり認知症が近づいてきたりしても世帯主や契約当事者をやめられない。そこに、詐欺師や悪徳業者が付け込む隙が生じている。
ちなみに、たとえば認知症とはっきり認定され、成年後見という制度を利用する立場になれば「隠居」に限りなく近い状態となり、詐欺や消費トラブルからは守られるようになる。
だが、成年後見制度にまつわる診断書を書いている立場から見えるのは、制度利用にこぎつけるまでにボロボロにむしられてしまう高齢者が多い、ということだ。
大きな被害が生じて、世帯主や契約主体者としての限界が露呈したことをきっかけとして成年後見制度を導入するケースを目の当たりにしていると、被害が生じてから成年後見制度を利用するのでなく、事前に「隠居」できるシステムと習慣があったら良いのに、と思いたくなる。
子どもに全てを委ねられる高齢者はもちろん、子どものいない高齢者でも、世帯主という立場や契約当事者といった立場を降りられる仕組みの需要はあるだろう。
現代人は、「生涯現役」であることを、「○○できる」という視点で捉えたがるが、私は、「○○しなければならない」という視点で捉える視点も必要だと思っている。
世帯主であり続けること・契約主体者であり続けることは「権利」という視点で語られがちだが、「権利」は「義務」や「責任」と表裏一体でもある。
身体だけでなく、判断力や認知機能もいつかは衰えていく以上、もっと意識的に「隠居」して「余生」を過ごせるような社会になって欲しい。
なぜなら私は、自分が「生涯現役」でいられるとは、どうしても思えないからだ。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。
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(Photo:Jeremy Brooks)