ちょっと長文になりますが、海外SF小説の話をさせてください。

しんざきは数ある小説ジャンルの中でもSFを偏愛しておりまして、特にちょっと昔の海外SF小説が好きです。

作家で言うと、大好きなのがレイ・ブラッドベリ、オースン・スコット・カード、R・A・ラファティの3人でして、この3人の作品については(少なくとも邦訳されているものは)あらかた読んでいる筈です。いわゆる作家読みです。

 

ただ、そういう「大好きな作家」という枠組みとは別に、純粋に自分が面白いと思うSF小説を5作選べと言われれば、最低2冊が割込みで入ってきます。

一冊は、J・P・ホーガンの「星を継ぐもの」。私はこの作品を、およそ「古典SF小説」という枠組みの中では一、二を争う大傑作だと思っていまして、ちょうど去年の今ごろ、「星を継ぐもの」の紹介を書かせていただきました。この記事です。

SF小説「星を継ぐもの」が紛れもない史上最高傑作である理由。【GW推薦図書】

 

で、もう一作。これについても有名作ですので、恐らく読んだことがある人もたくさんいらっしゃるとは思うのですが、私はアーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」を強く強く推したい、と考えているわけなのです。
「幼年期の終わり」。アーサー・C・クラーク著。

アーサー・C・クラークは、「2001年宇宙の旅」の著者と紹介すると、特にSF好きでない人でも「あーー」という人が多いと思います。科学解説書なんかも複数書いてる凄い人です。

 

発表は1953年ですので、もう60年以上前の作品ということになりますが、その内容は古臭いどころか、うっかりすると今読んでも「なにこれ新しい」と思ってしまいかねない程にシャープなものです。どんだけ革新的やねん。

本当、「都市と星」読んだ時も思いましたけど、アーサー・C・クラークってどんな脳構造してたんでしょう。

 

今回は、この「幼年期の終わり」についてどの辺が面白いのかを紹介すると共に、もし未読の方がいらしたらうっかり読みたくなっちゃって頂きたいなあなどと考える次第です。よろしくお願いします。

 

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「幼年期の終わり」は、少なくともその当初、「未知の高度な文明」との出会いとその経過を、一つの大きなテーマとして描き出しています。

ただし、これは「2001年宇宙の旅」や「宇宙のランデヴー」などでも共通のことと思うのですが、クラーク作品において「未知の高度な文明との遭遇」というイベントはほんの入り口、導入に過ぎません。クラークは、「それによって、人類自身に何が起こるのか」を描くのです。
幼年期の終わりは、3つの章に分かれています。

第一章が、後に「オーバーロード」と呼ばれることになる宇宙人と地球との邂逅、そしてその後の経緯を記しているパートです。

この「未知の文明との邂逅」について、全くもったいぶることなく、冒頭の一節でいきなりどーんと登場シーンを描き出してしまうのは、クラーク一流の演出だと言ってしまっていいでしょう。

 

多くの「異星からの侵略」ものと異なり、冒頭で地球を訪れた未知の文明は、圧倒的な力を持ちつつも地球に対してその力を振るおうとはしません。

当初は姿を直接見せることすらなく、国連事務総長のストルムグレンを窓口として、地球に対して影響力を発揮し始めます。

 

オーバーロードの総督である「カレルレン」の通告は、例えば戦争の禁止であり、人種差別や動物虐待の禁止であり、地球は徐々に平和な方向へと向かっていきます。

一方、「窓口」となっているストルムグレンですら、オーバーロードの姿を実際に見たことはありません。

オーバーロードの齎した平和にも、それを端緒として遂に手が届くところまできた国家の統一にも反発する人々はおり、ストルムグレンや総長代行のライバーグは、彼らとの折衝、時には様々なトラブルに対処することを余儀なくされます。

 

第一章で主要なテーマの一つとして描きだされるのは、圧倒的な力を前にした人類同士の小競り合い。

たとえ進歩的な方向が明確であったとしても、そこに全ての人たちが手を取り合って歩んでいけるわけではない、しかもそれが必ずしも愚かさとは言えないというのは、様々な示唆を含んで読者に提示される光景です。

 

ただし、そんな中でも、一つの大きなテーマが、砂礫の下の伏流水のように、ちらちらと読者の前に見え隠れし続けています。

「オーバーロードたちは何を考えているのか?」

「オーバーロードたちは、結局地球になにをもたらしたいのか?」

「それは平和なのか?繁栄なのか?それ以外の何かなのか?」
カレルレンを信頼するストルムグレンですら、例えば「オーバーロードは何故姿を現さないのか?」といった謎と共に、そういった疑問を抱き続けます。

そしてストルムグレンは、その疑問に彼なりの決着をつける為に、ちょっとした企みをすることになります。
第一章「地球とオーバーロードたちと」は、それ自体十分な読み応えがある一章だと言っていいでしょう。オーバーロード反対派に散々苦労させられるストルムグレンやライバーグ、それにちょこちょこ手出しするカレルレン。そのやり取りや応酬は、一面コミカルですらありますし、部分的にはサスペンス要素もあります。

 

ただ、注意深く読んでいれば、色々なところに「そういうことだったのか」と後で驚くことになる要素も埋められておりまして、それらが後になって繋がるのもこの「幼年期の終わり」という小説のカタルシスの重要な一角です。

全てを読み終えてからもう一度一章に戻ってくるのも、この作品を手にとった人の共通行動だといえるでしょう。

 

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第二章は、一転して、オーバーロードが地球人の前に姿を現した後、地球が平和と繁栄を獲得した後の話になります。オーバーロードの影響力や技術提供もあり、地球はユートピアともいえる繁栄を享受しています。

戦争がなくなり、様々な芸術、自然科学が花開いた時代。あくせくした労働から解放され、人々が自分の為に生きられるようになった時代。

 

一方、宇宙や物理の真理を見つけようとする研究については完全に停滞してしまった時代。このユートピアの描写は、それ自体真に迫ったものであって、クラークの筆力が縦横無尽に発揮されます。

一方、オーバーロードが齎した平和にも繁栄にも、勿論満足出来ない人間はいます。

この章以降の主役と言えるジャン・ロドリックスは、ひょんなことからオーバーロードの母星の座標を知り、なんとかそこにたどり着けないかを考えることになります。彼は、ある目的の為、深海生物の研究者であるサリヴァン教授を訪ねます。

 

この章の一つの見どころが、クラークの描写するユートピアの光景であることは間違いないでしょう。

これは一面、例えば「コンピューターが極限まで発達したら人類の生活はどうなるのか?」という空想に対する一つの光景でもありますが、今から見ても十分に「近未来の一つの理想像」として成立し得るものでもあります。

1950年代にこれを想像出来ていたクラークの想定力は、本当に物凄いとしか言いようがありません。
一方、ジャンとサリヴァンが始める「悪だくみ」の描写も、冒険ものが好きな人には「そうくるかー!」と思えるような要素満載です。

ジャンの反抗心、冒険心は、ある形で実を結び、物語の結末に小さくない変動を与えることになります。サリヴァン教授もいい味出してる人物です。

 

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第三章は、更に第二章の少し後。ユートピアの中、幾つかの分野での人類の停滞に危機感を抱いた一部の人たちが築く、芸術家たちのコミュニティに場面が移ることになります。

 

この章の主要な登場人物は、二章にも登場したスタジオ設計者であるジョージ・グレッグソンとその家族。

読者は、芸術家コミュニティでの彼らの生活を追うことになります。

この章についてはネタバレを避ける為に深く語りませんが、一章・二章での数々の疑問、また全編通しての大きなテーマである「人類はどこへいくのか?」という疑問に対して、一つの回答が示されます。キーワードは、「予感」と「記憶」です。

 

第三章の後半は、今までの章とはまたがらっと雰囲気が変わるのですが、色々な場面で「美しい」としか言いようがない描写が現れ、その圧倒的なイメージに押し流されそうになります。

 

SF小説の一つのキモは「読者に影響を及ぼすイメージをどれだけ提示できるか」という点だと思うのですが、例えばジェフリーの夢の描写とか、「これをほんの一場面として描けるものなのか」と驚愕出来ること請け合いです。

サブカルっぽい話をしますと、この「幼年期の終わり」という作品が、後の様々な作品に対して非常に大きな影響を与えていることに驚かされます。

 

「1953年」という年代を意識して読んでいただければ、この作品がどれだけのアイディアに派生しているか、どれだけの作品に流れ込んでいるのか、じっくり考えてみるともはや戦慄する他ありません。

色々な作品の「元ネタ」として幼年期の終わりを読む、何がどれに影響を与えているのか想像してみる、というのもこの作品の楽しみ方の一つといっていいでしょう。
長々と書いて参りました。私が言いたいことをまとめると、

「幼年期の終わりめっちゃ面白いしクラークの頭ん中がとにかく物凄いから読んでない人は皆読むといいよ!!」

という一行であり、他に言いたいことは特にありません。よろしくお願いします。

 

最後に一文、本当に一文だけ、「幼年期の終わり」第三部から引用させてください。

一文だけだからネタバレにはならないと思います。既読の方は、ここだけネタバレ回避にご協力ください。

そして、島は夜明けを迎えるために身を起こした。

私はこのほんの一文を、(この直前の一節と合わせて)この作品でも一、二を争うくらい美しい一節だと思っているんです。これ、どんな場面で使われていると思いますか?

もし興味が沸かれたら、是非「幼年期の終わり」を手に取ってみてください。こんな場面をこんな美しい一言で表現出来るのか、と皆さんも戦慄されると思います。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

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【プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

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(Photo:Agelshaxe