「ビジネス書は人生の攻略本」と友人が言った。
久しぶりに会い、喫茶店でご飯を食べながらおしゃべりしている時だった。
「かつてマリオの攻略本がベストセラー1位になったことがある。子どもの頃にゲームの攻略本を買っていた人が大人になり、今度は人生の攻略本としてビジネス書を買っている」という。
なるほど、人生の攻略本か。たしかに人生はよくゲームにたとえられる。
人生がある種のゲームであることには共感できるし、ビジネス本がその攻略本という位置づけになり得ることも、言われてみれば納得である。
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私は子どもの頃から本をよく読むほうで、今も平日の余った時間や休日は読書に充てることが多い。
読書家と言えるほどではないけれど、本はかなり好きな部類だと思う。ビジネス書、エッセイ、自己啓発本、新書、小説など、あまりジャンルにこだわらず、面白そうだと思ったものは何でも読む。
ただ、私は一時期本を読まなくなった。会社勤務を始めたばかりの、たぶん最初の1年間くらい。もっと短かったかもしれないし、長かったかもしれない。正確には覚えていない。けれど、たしかに本を読まなくなった時期が存在していた。
なぜ読まなくなったのか。端的に言うと、疲れて読めなかったからだ。
自分ではストレスなんて感じていないつもりでいたけれど、おそらく疲れていたのだと思う。
初めて社会人として働くということに。何もかもが新しくて、人の名前、役職、場所、明文化されたルール、暗黙のルールなど、今では当たり前のように知っている、仕事をする上で前提となっていることも、最初は覚えていかなければならなかった。
知らない言葉に囲まれて知らない仕事をするのは、自分が思っている以上にエネルギーを消耗させていたのだと、今になって思う。
疲れていると、活字が頭に入ってこない。活字を読むのにエネルギーって必要だったっけ?そうか、疲れていると、本を読むことができないのか。知らなかった。読めなくなって、初めて知った。
もちろん、これまでだってエネルギーを使わないと読めない本はたくさん存在していた。
活字を読むのにエネルギーを必要とすることがある、ということは理解していた。ただ、それは私にとって難解であるとか、興味がない分野であるとか、何かしらの理由があってのことだった。
でも、働き始めて本を読めなくなったのは、そういうレベルではなかった。興味のある分野で、難解な内容ではない、これまでの自分だったらワクワクしながら読んでいると思われる本も、読む気になれない。これまでに経験したことのない現象だった。
それからどのように本を読むようになったのか、思い出すことはできない。少しずつ余裕が出てきて、少しずつ読むようになったのだろう。
本が読めるようになると、ビジネス書や自己啓発本など、自分の成長に役立ちそうな本をひたすら読むようになった。相変わらずジャンルを問わず面白そうなものは何でも読んでいたけれど、学生の頃と比べて一つだけ読まなくなったものがあった。
小説だ。
学生の頃はよく読んでいたのに、全く読まなくなっていた。虚構の世界のために時間やエネルギーを使うのが馬鹿らしくなってしまっていたのだ。直接的に役に立つ話ではないからと、優先順位が下がっていた。
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最近はまた小説を読むようになった。「余裕が出てきた証拠だね」と言われた。
本当に、そう思う。余裕がないと、読めない。まず、活字が読めない。次に、活字が読めるようになっても、小説を読もうと思わない。活字を読むエネルギーと、その中でも“小説”を選ぶ意思がないと、小説を読むという選択はされないのだ。
小説を読む余裕が出てきたところでもう一つ、最近あった変化の話をしたい。
実は最近、資格の勉強を始めて、ハマっている。といっても、「この資格を取って、○○になる!」といった目的があるわけではない。
会社でオススメされた資格の勉強を始めたら楽しくて、合格したついでに他の資格もいくつか勉強したいと思い、明確な目的もないままハマってしまったのである。
資格を取るという一つの目標はあるものの、だからといってどうなりたいという確かなものもなく、ただ新しいことを覚えるのがすごく楽しくて、勉強意欲がむくむくもりもり湧いてきている。
そんな自分の状況もあって、「目標を掲げてそれに向かって努力することは大切ではあるけれど、そういうことってあまり考えすぎないほうがいいのかな?」と思うようになった。
「これは本当にやる必要があるのか」「私の人生に必要なのか」「そんなことをしている暇があったら他のことに時間を使ったほうがいいのではないか」と考えてしまうと、大半のことが「やらない」という結論になって切り捨てられてしまう。
かつての私はそうやって資格の勉強を切り捨ててきた。私の人生に役に立つかわからない資格の勉強に時間を取られるなら、漫画を読んでいたほうがマシ、とさえ思っていた。
でも、勉強を始めて、もっと早く勉強しておけばよかった、と思った。はっきり言って、めちゃくちゃ楽しい。切り捨ててしまったのが、もったいない。役に立つかどうかだけを基準に判断するのは、少なくとも私にとっては間違いだった。
ところで、『村上さんのところ』という村上春樹さんの本で、37歳の女性の方が次のように問いかけているページがある。
小説を読んでいると、旦那さんから生産性が低いと非難されます。どうせなら“成功者の習慣”のような自己成長を促す本を読むようにとのこと。隠れて読むのもなんだか変です。
村上さんはどのようにお考えでしょうか?
これに対する村上さんの回答がこちら。
はあ、そうですか。でも生産性の低いものって、けっこう必要なんですよね。生産性の高いものばかり追求していると、人間がだんだん薄くなります。どうしてかはわからないけど、なんか確実に薄くなるんです。
薄くなっても、お金が入ってくればいいじゃん、楽しく暮らせればいいじゃん、ということであれば、問題はぜんぜんないんだけど、でもそればっかりじゃいやですよね? だからときどき生産性の低いものを読んでください。あまりお金儲けにはつながりませんが。
小説を読まなくなって、自分が薄くなったのかと聞かれると、正直なところよくわからない。薄くなったという感覚はない。
小説を読まなくても他の本はたくさん読んだし、小説を読まなかったその時間で、様々な経験をした。それはきっと小説を読んでいてもできたことだったと思うけど、小説を読まなくても、人間が薄くなったとは思わない。
けれど、最近また小説を読むようになって、小説は人間をじわじわと濃くしてくれるんだなー、と思うようになった。表面的には何も変わっていなくても、内面で、たしかに小説は必要なのだと感じている。
攻略本のようにわかりやすく道筋を示してくれたり、答えを教えてくれたりする本も必要だと思うし、これからも私は読み続けると思う。
でも、わかりやすい道筋も答えも書かれていない小説には、攻略本とはまた別の、それこそ「薄い人間」にならないための「何か」があるのだと思う。それが何であるかは明確になっていないけれど。
「どのように役に立つのか?」という問いに対して、明確な答えを出すことができないようなものにこそ、人生に深みを与えてくれる何かがあるのかもしれない。
小説を再び読むようになり、また勉強も再びするようになった今、そういう思いが強くなっている。
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【著者プロフィール】
名前: きゅうり(矢野 友理)
2015年に東京大学を卒業後、不動産系ベンチャー企業に勤める。バイセクシュアルで性別問わず人を好きになる。
【著書】
「[STUDY HACKER]数学嫌いの東大生が実践していた「読むだけ数学勉強法」」(マイナビ、2015)
「LGBTのBです」(総合科学出版、2017/7/10発売)
(Photo:Andy Lamb)