最初にまとめると、この記事で言いたいことは下の三点になります。
・世の中に成功談は多いが、本当に参考にすべき失敗談は極めて観測しにくい
・成功談よりも失敗談の方が、再現性、リスク把握、リスク回避などの観点から、ノウハウとして貴重である
・我々は失敗談をもっと評価するべきであり、失敗談を語ってくれる人を大切にするべきではないか
以上です。よろしくお願いします。
さて、最初に言いたいことは全部まとめてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう、
世の中には、いわゆる「成功談」とか「成功体験の記録」「成功者へのインタビュー」といったものが山ほど転がっています。
石を投げれば成功体験にぶつかる、と言ってもいいくらい、Webではたくさんの成功談を観測出来ます。
何故かというと、「人は基本的に自分の成功談を語りたがる」上に、「人は基本的に成功談を喜んで聞く」からです。
需要と供給が共にあるのですから、コンテンツとして成功談が多くなるのは必然というものです。
成功した人は自慢話をして承認欲求を満たすことが出来ますし、他の人たちは「何か参考に出来ることがあるかも」「自分も成功できるかも」というような下心を胸に、成功談をありがたがって聞くわけです。
webは、成功談の流通インフラとして非常に適しているといえるでしょう。それ自体は別に問題ないんです。語るのも自由、聞くのも自由なのは当然です。
「成功談」というものは再現性が極めて低い
ただ、一般的に言って、「成功談」というものは再現性が極めて低いことが多いです。成功談を同じようになぞったとして、その通り成功できるという保証は、地平線まで見渡しても存在しません。
確かに、成功談の中には参考に出来るノウハウが含まれていることもあります。スキルを育てる為の日々の努力。人間関係を構築する為のアプローチや手法。そういったものをつまみ食い的に参考にすることが悪いことだとは言いません。
ただ、「成功」する為に必要な要素の内、最も重要なものは大体の場合「タイミング」や「周辺の状況」「めぐり合わせ」であって、それは基本的に再現することも再利用することも不可能なものです。
投資の成功談を思い浮かべていただければわかりやすいと思います。投資で成功する為のノウハウとして、「リスク管理の方法」やら「銘柄選定の為の情報収集指針」やら、参考になるノウハウが存在しないわけではありません。
ですが、「その通りにやれば自分も成功できる」という投資のノウハウはこの世に存在しません。
それは、投資をする際最も重要な要素となる「相場状況」というものは、基本的にノウハウの枠外にある話だからです。(中には「いやこのノウハウ通りにやれば相場も予想できる」という人もいますが、それについては天狗の言葉を聞くつもりで聞いた方が無難でしょう)
世の中には、そこ(再現性の欠如)に触れている成功談もありますが、全く触れていない成功談もあります。中には、あたかも「この成功談の通りに行動すれば君も成功できるよ」と言わんばかりの、一般的なノウハウを装った成功談もあります。
早い話、コンテンツとしての面白さはともかくとして、ノウハウとしての有用性については疑問符がつく成功談の方が世の中には多い、という話なのです。
「失敗談」は「成功談」よりも遥かに役に立つ
ところで、世の中には「失敗談」が非常に少ないです。もうちょっと正確に言うと、「本当に避けるべき失敗に該当する失敗談」が極めて希少です。
世の中で観測できる失敗談は、「ちょっとネタに出来る程度の面白い失敗」であるとか、「成功に至る途中での、いわば必要コストとしての失敗」といったパターンのものが多いです。
今現在成功している人が、「俺にも昔はこんなことがあった」的に振り返る失敗、というようなコンテンツは、枚挙に暇がありません。
一方で、「今徹底的に落ちぶれている人の、落ちぶれるきっかけとなった失敗談」とか「まだ何の成功もしていない人が、とりあえず起業してけちょんけちょんに失敗した話」みたいなものは、全くない訳ではないのですが、なかなか観測出来ません。
早い話、観測しやすい失敗談は「笑って済ませられる程度の失敗談」であり、本当に大ダメージを受ける、本当に避けるべき失敗の失敗談というものは滅多に見られない、という話なのです。
これは断言していいと思うんですが、「ノウハウとしての失敗談」は非常に貴重です。個人的な所感としては、成功談の255倍くらい貴重です。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉がありますが、基本的に敗因って勝因よりも分析しやすいんです。
それは、「失敗」という状況が、マイナス点として評価しやすいということに由来しています。貶すのは褒めるよりも簡単、という現象と同じ話で、物事のマイナス側面はプラス側面よりも明確に見えやすいし、他と比較しやすい分指摘もしやすいというわけです。
再現性の面から言っても、「失敗」というものは基本的に「成功」よりも再現し易いです。
というか、原因が明確な分、同じような状況で同じようなことをしたら同じように失敗するだろうな、というのが判断しやすいです。このルートは避けるべき、これと同じようなことはしない方がいい、という利用性が高いということです。
希少かつ有用。失敗談の貴重さというものを、みなさんご理解頂けるでしょうか。
webで見かける「失敗談」へのマウント。
しかし、極めて残念なことに、Webというインフラは、失敗談を語る為に適した環境とはとても言えません。そもそも構造的に、失敗談というものは観測しにくくなっている、と言ってもいいと思います。
問題は3つくらいあります。
・そもそも、本当に大ダメージを受けた人は失敗談を語るどころではなくなる
・失敗談自体、当人として振り返りたくない記憶になることが多く、語ることに多大なエネルギーを必要とする
・折角失敗談を公開しても、マウントしたがる人が鬼のようにマウントしにくる
まあ勿論、「生命にかかわる失敗」とか「ネット環境ごと根こそぎ失うような失敗」については、そもそも語ること自体が容易でない、という問題はあります。
生存バイアスの逆バージョンです。第二次世界大戦中、帰還した爆撃機が尾翼ばかりダメージを受けているから、尾翼が弱点なのかと思いきや、実際にはそれ以外の場所にダメージを受けた爆撃機は帰還出来ていないだけだった、みたいな話がありましたよね。これはもうある程度仕方がない。
その一方、特に私、三つ目の問題を極めて残念に思っているんですが。折角「こんな風に失敗したよ」ということを、勇気をもって語ってくれた人たちに、何故かやたら罵声を投げかける人がすごく多いんですよ。
「無能だっただけ」とか「そんなんじゃ失敗して当然」とか「勇気と無謀は別物」とか、んなこといちいち書かなくていいでしょって超絶上から目線コメントを見る機会が非常に多いわけで、そりゃみんな失敗談を語りたくなくなるわ、と思うことがしばしばあります。
一部のマウント取りたいだけの人たちの為に、貴重な失敗談スピーカーの皆さんが表に立つことを躊躇するようなことがあれば、あまりにも勿体ねえと思うわけです。
我々は、「失敗談をきちんと語ってくれる人」の希少性を認識するべきです。彼らにこそ喝采するべき、彼らこそ大切に扱うべきです。
「失敗経験」というものは貴重なノウハウの宝庫です。人は、失敗からこそ学ぶことが出来る。
となれば、我々は失敗した人こそ師として扱うべきなのではないか。少なくとも、マウント取りたさに失敗談を語っている人に追い打ちのような罵声を浴びせるのはちょっと違うのではないか。
私はそんな風に思うのです。
失敗した人が、有用な失敗談を胸を張って語れる時代がくることを願って止みません。
今日書きたいことはそれくらいです。
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【プロフィール】
著者名:しんざき
SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。
レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。
ブログ:不倒城
(Photo:Quinn Dombrowski)