赤ん坊の泣き声は騒音か否か。

これは最近、意見が真っ二つに割れるテーマのひとつだ。

 

「赤ん坊だから仕方ない」「親がちゃんとあやそうとしていたら腹は立たない」という人もいれば、「癇に障る」「正直迷惑」という人もいる。

そしてたいてい、「昔はそんなんじゃなかった」なんて言う人が現れる。

 

そのたびに思うのだが、現代人はある時から突然、赤ん坊や子どもに厳しいイキモノになったんだろうか? だとしたら、なぜ?

 

昔はみんな赤ん坊や子どもに優しかったって、本当?

ぶっちゃけると、赤ん坊の泣き声や子どもの騒ぎ声はうるさいと思う。できることならあまり聞きたくないのが正直なところだ。

とはいえ、泣いて意思表示をしなきゃ生きていけない赤ん坊に「泣くな」とは思わない。

わたし自身、小学生の時はポケモンのトレード条件でモメて男子と取っ組み合いしていたから、子どもが騒いでいても、ある程度は「そういうもの」だと思う。

 

たぶん多くの人はわたしと同じように、「赤ん坊の泣き声や子どもの騒ぎ声をあえて聞きたくはないが、ある程度はしかたないもの」と思っているんじゃないだろうか。

では、引き合いに出される『昔』はどうだったんだろう。「赤ん坊の泣き声? 子どもの騒ぎ声? 元気でよろしい!」と、めちゃくちゃ子どもに優しかったんだろうか。本当に?

なんだかちょっと信じられない。

 

昔はただ、良くも悪くも他人に口を出す人が多かっただけじゃないだろうか。わかりやすくいえば、他人との距離が近かったのだと思う。

ドラえもんの漫画なんかを読むと、とくにそう感じる。子どもが悪いことをしたらカンカンに怒った大人が説教するし、逆に不審な行動をしている子どもがいたら「のびちゃんどうしたの」と声をかける。

 

わたしは平成生まれだから昭和の日々を知らないが、『昔』は、赤ん坊が泣いたら「あらかわいい。男の子? 女の子?」と聞いたり、騒ぐ子どもがいたら「うるさいぞ。静かにしないとだめだろう」と叱ったりしていたんじゃないだろうか。

昔は人々が子どもにめちゃくちゃ優しかったのではなく、ただ他人の赤ん坊や子どもと距離感が近かっただけな気がするのだ。

 

人と関わること自体がリスクとなった現代

ではいまはどうかというと、人と関わること自体がリスクになっている。

赤ん坊が泣いたからといって「よしよし」なんて頭でも撫でれば、親御さんはちょっと警戒するだろう。

夜歩いている子どもに「危ないぞ、家はどこだ」と聞けば、逆に警察を呼ばれるご時世である。

 

物憂げな女性に男性上司が「なにかあったのか」と聞いてセクハラになるかもしれないし、新入社員に「この酒うまいぞ。飲んでみろ」と言ったらパワハラになるかもしれない。

なにが地雷になるかわからない。そのうえ、一度地雷を踏んでしまうと、社会的に一発アウトの可能性もある。

 

他人と関わるリスクがこれほどまでに高くなってしまうと、一番いいのは「自分には関係ない」と、自分の視界から他人を消し、自分も他人の視界から消えることだ。

これが一番無難で手っ取り早いリスク回避である。

 

駅で肩がぶつかっても軽く会釈をするだけのサラリーマン。

電車で隣に人が座ったら無言で鞄を抱き直す女性。

「いらっしゃいませ」と言いながらも客のほうを見ない店員。

 

人間がいることを認識していても、個人的にはできるだけ関わらない。

自分にとっても相手にとっても、あくまで『匿名のその他大勢』でいる。

現代は、そうやってみんな平和に暮らしているのだ。まぁ、田舎へ行けばまたちがうのだろうが。

 

存在を認識させる強烈な手段が『音』

そんななか、赤ん坊が泣いたらどうだろう。

互いに存在を消して平和にやっていたのに、「俺はここにいるぜええええ」という絶叫が響くようなものである。

 

いないはずのものを『いる』と強制的に認知させられるのは、かなり苦痛だ。

そして、存在を強制的に認めさせる手段のなかでも、『音』はなかなかに強烈である。

 

奇異な格好をして歩いている人に驚いて目をやったとしても、それは一瞬の出来事でしかない。

しかし奇声を発している人がいれば、視線を外しても、その音が届く限り心はざわつく。

ご近所トラブルの原因1位が『騒音』というのも納得である(suumoジャーナル)。

 

『音』は、聞こえてしまう限り、無視するのがむずかしいものなのだ。

そして強制的に存在を認識させる強烈な『音』というのが、たとえば赤ん坊の泣き声や子どもの騒ぎ声である。

 

存在を強制的に認識させられるだけならまだいい。

問題は、向こうはこっちの事情おかまいなしに存在を主張するのに、こっちが「あらあらお腹空いたんでちゅか〜?」とか、「ケンカしちゃダメだろう。なにがあったんだ」とかって存在を主張した瞬間、『やべー大人』になることである。

 

現代では残念ながら、他人の赤ん坊や子どもと関わるのは、結構リスクが高い。

相手の存在は認めて受け入れなきゃいけないのに、こっちの存在を現すのはダメ。それでは関係性が歪んでしまう。

 

存在を主張する『声』をどう扱うか

他人が積極的に赤ん坊をあやし、良くも悪くも子どもに声をかけるような気安い社会。

そんなネットワークが機能していれば、赤ん坊の泣き声や子どもの騒ぎ声も気にならないだろう。

子育てもしやすくなると思う。

 

しかし関わらないことでリスク回避をしている現代で、存在を無理やり認識させる『声』を受け入れることに抵抗感をもつ人がいるのも、ある意味当然だ。

「そっちからは関わらないで、でもこっちの存在は認めて」というのは、気持ちはわかるが現実的にはむずかしい。

そうすれば、「こっちは関わらないからそっちもひっそりと声を潜めておいてくれ」と受け取られるのも、無理からぬことだろう。

 

「赤ん坊や子どもの声に不寛容で子育てしづらい社会」といわれる理由は、

「現代人の心が狭い」

「みんな精神的余裕がない」なんてよく言われるところにもあるだろうが、それよりももっと根深い部分で、『他人と関わることがリスク』になってしまっていることにあると思う。

 

そう考えると、今後より多くの人が、赤ん坊の泣き声や子どもの騒ぎ声に敏感になるかもしれない。

こういった、制度だけではどうしようもない価値観の変容に対してどう対応し、適応していくのかを考えるのも、これからの大きな課題になりそうだ。

 

 

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【プロフィール】

名前:雨宮紫苑

91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&写真撮影もやってます。

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著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)

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(Photo:Kevin Cortopassi)