久々に読んでいて自分の暗い過去が呼び起こされて過呼吸になりそうな記事をみたので共有したい。
これを読んでの率直な感想はこれだ。
「Oh, 兄弟。お前もか。」
この記事に書かれている事を要約すると、ようは東大生は東大に入るまでにどれだけのお金と努力が必要で、みんな東大生の癖に使えないってよく言うけど、そこに至るまでには血の滲むような努力が必要なんだよという事だ。
僕も医学部という1つの非常に厳しい戦争に駆り出された人間の1人だ。
よくある「いままで人生で一番きつかった頃の思い出は?」という質問について考えると、ダントツで受験関係のエピソードがトップだなと今でも思う。
ちなみに2番目は好きだった女の子に告って振られた経験である(´;ω;`)
中学受験は親との戦い。大学入試は自分との戦い
彼は記事の中で、辛く厳しかった経験を中学受験と大学受験だと挙げている。
1つ目の受難である中学受験は親との戦いだったという。とにかくやりたくもない勉強を親に強要され、無理やり塾に通わされ、勉強したくないといおうものなら容赦ない暴力が親から飛んできて机に無理やり座らされ勉強させられたとの事だ。
そして2つ目の受難である大学入試は自分との戦いだったという。
東大という、高い壁に登る為、1日10時間以上365日勉学に突っ込み、それでも一度は破れ、浪人してもまた同じ様な狂った事をやり続けメンタルに不調をきたしつつも、なんとか東大に入ることに成功できたとの事である。
繰り返しになるが、この2つの経験を読んでの僕の感想はこれだ。
「Oh, 兄弟。お前もか。」
実は僕も小学生の頃、随分と勉学関連で親に暴力を振るわれていた。
学校のテストで低い点数を取ろうものなら烈火のごとく延々と説教を浴びされたものだし、あまりにも勉強が嫌すぎて逃げ出そうとするものなら、普通にビンタがバンバン飛んできていた。
これでいて、勉強が関わらない部分だと親は妙に優しいのである。
いわゆる毒親とは違い、誕生日になるとディズニーランドに連れてってくれたり、おやつの時間に手作りクッキーを焼いてくれたり等の、親としての愛ある関わりみたいのはあった。
このギャップが当時小学生だった自分にはエラいキツかった。つまり普通だと優しいし、楽しいことを提供してくれる親なのに、勉強関連の事となると嫌いな人に対してやるような罵詈雑言とか暴力といった事を普通にやってくるのだ。
今ならこの2つを矛盾なく受け入れられると思うのだけど、当時は
「なんで好きな人にこの人は言葉と身体の暴力を平気で振る舞えるのだろう?本当に好きな人には、罵詈雑言も暴力も振るわなくないか?」
と、この子供の目にはアンビバレントに映る振る舞いに随分と混乱したのを覚えている。
そんなこんなで勉強というのは、あんなにも優しい親を鬼に豹変させる悪魔のようなイベントなんだと子供の頃に刷り込まれた僕は、当然の如くものの見事に受験で失敗するわけだけど、その結果訪れた受験失敗という負けイベントは、当時の僕のプライドを著しく傷つけた。
結局、この不合格という自分を根本から否定されるというトラウマに長い間悩まされた僕は復讐を果たすが如く、医学部受験という自分の本来有する知的能力から随分と乖離した高い高い目標にドンキホーテのように挑み、先の著者と同じく1日10時間以上の勉強を数年間継続して、非常に幸運にも医学部に入学を果たすことに成功した。
辛かった。本当に苦しかった。自分が不得意で全然好きじゃない行いに情熱をかけるという事は、この世の中でも最も苦行な事の1つだと今でもよく思う。
僕にとっての医学部受験は、はっきりいって医者になりたいという動機ではなく、過去に自分という人間を否定した受験というものに対する復讐であった。
実は多くの東大生や医大生は血の滲むような努力なんてしてない
さてこうして幸運にも復讐を果たしたわけだけど、復讐を果たした先では驚くような光景が目に広がっていた。
なんと入学した同級生のうち、ほとんどの人間が医大入試を軽々しく乗り越えていたのである。
僕のように血の滲むようなメンタルをぶっ壊すかのような努力をしていた人間は、非常に少数派だったのである。
入学してみて初めてわかったのだけど、人間としての基礎的な知的ポテンシャルが僕と同級生とでは文字通り天と地ほどにも離れていた。
この事は度々訪れる医大の定期試験で嫌という程思い知らされた。
僕は随分と真面目に授業をうけて、かなり熱心にテスト勉強をしていた方だったのだけど、いつもいつも順位は低空飛行で下位20%の辺りを彷徨っていた。
僕より全然勉強してない同窓生が軽々と高得点を叩き出している現実を嫌という程見せられ、僕は自分が親の呪いにより、無理やり階層を飛び越え、まるで小人が巨人の国に紛れ込んでしまったかの如く、場違いな場所に自分がたどり着いてしまった事を思い知らされた。
現代社会は身分制度が無くて平等だから、凡人も階層を乗り越えられる
たぶん、僕は本来ならば医学部に入るべき人間ではなかった。
仮にIQテストで人民選別をして上から順に並べたら、AIは僕に間違いなく不合格の烙印を押していただろう。
ご存知の通り、日本は諸外国と比較して、比較的公平な大学入試選抜試験が行われている。
だから冒頭に書いた東大生の彼や僕のように、たぶん本来のポテンシャルを考慮すると入ってはいけないはずの人間が東大とか医学部に入る事が普通にできてしまう。
冒頭に書いた東大生の彼は、東大に入るにはこんな血の滲むような努力が必要だと書いていたけど、僕の経験上、そういう事をして入った人間は、本来はその階層には適さなかったはずの人間である。
真ん中から上に位置する人間は、努力はしたっちゃしたのだろうけど、苦行みたいな努力なんて全然していない。
多くの人達は空気を吸うかの如く、目の前にある課題を黙々とこなす事ができた人間ばかりである。
僕はこの本来ならいるべきではない低いポテンシャルを持った人間が、上位組織に編入する事を「階層を超える」という風に呼んでいる。
まあ、平民階級が努力で貴族階級に無理やり入り込むの似たようなものだ。
現代社会は身分制度はほぼ撤廃されて平等だから、努力という頑張りで、元々のポテンシャルには全くそぐわない地位へと個人を送り込む事が可能なのである。
とはいえ、親の行為を完全には否定し難い
ここまで読んで、何を思うかは人それぞれだろう。ペンギンが空を飛びたいと言ったら誰もがあざけるが如く
「能力のないやつが東大とか医学部なんかに入ろうとするのがそもそも間違いであり、そういう事をやらせる親も悪ければ身の程知らずのお前達が勝手にルサンチマンを爆発させてるなんて、片腹痛いわ!」
と多くの人は思ったんじゃないだろうか?
とはいえだ。今になって振り返ってみると、僕は親の行為を完全には否定し難いのである。
もし仮にだけど、僕が親に呪いを植え付けられなかったらどうなっていたのかを想像してみよう。
たぶんだけど、理系の僕はその当時クローン羊のドリーが産まれた事もあってバイオ系が流行っていたから、生物系学部へと進んだことだろう。
僕の本来のポテンシャルを考慮すると、あんまり無理して勉強を頑張らなかったとしたら、大学は一浪で東京理科大学かMARCHあたりが妥当だ。
きっと理系だから院に進んだ後に、あんまり研究は向いてないと判断した後に、就活に繰り出したに違いない。
そうなると僕の卒業年次は2011年(平成23年度)である。この頃はリーマンショックと東日本大震災の直撃で日本の就活が驚異の氷河期だった頃である。
求人倍率の推移 出展・厚生労働省 https://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/0000212893_00007.html
これを読んでいる方の中にも、当時就活を行い非常に大変な思いをした方もいただろう。僕も周りの友人から散々
「就活は運ゲー。運が良けりゃいいけど、悪いと本当に酷い」
と散々嘆かれたけど、あの当時就活をしていた人間の苦しさたるや、同じ世代を生きるものとして本当になんて酷い話だと頭を抱えた事を昨日のように思い出せる。
そういう大変な目にあった人には重ね重ね申し訳ないとは思いつつ、僕はありがたいことに医師免許という、景気に全く左右される事がなく、それどころか人手不足でどこでも好きな所で働けるという黄金のフリーパスを手にしていた。
きっとオタクである僕の本来のコミュ力と知的ポテンシャルの低さを考慮すると、氷河期で自分が就活をうまく乗り越えられたとは、とても考えにくい。
大企業なんてもっての外、たぶんどこぞの末場のブラック企業で使い潰されていたに違いない。
親の愛、あるいは呪いは、1人の人間をこの未曾有の危機から逃れさせる事に成功したのである。
これだから、僕は32歳になった今、親のあの狂気ともいえる暴力と呪いについて、一方的には批判ができないのだ。
子供に階層を超えさせるべきか否か、答えが見えない
僕は医学部に合格者最低点で合格したような人間だから、親の試みが成功したのは本当に幸運の賜物と神様の気まぐれでしかない。
きっと失敗していたら、僕は今でも医者になれなかった自分の事を呪って、いつまでたっても医学部コンプレックスに悩まされていたに違いない。
僕がいま就職氷河期に合わず、こうして心穏やかに文章を書いていられるのは、親の大博打が大成功したからに他ならない。
勉強なんてさせず、放置プレイの育児をしていたら就職氷河期に晒されてブラック企業で使い潰されていただろうし、博打に失敗して医学部に入学できなかったら、それに加えて医学部コンプレックスの塊を今頃抱えてわけだ。
どう考えてもヤバイ未来しかみえない。親はなんて期待値の悪い博打を打ったのだろうかと、身震いがとまらなくなる。
けれど後から振り返ってみると、あの時親が博打を打たなかったら、僕がいま恵まれた場所にいた確率は著しく低かっただろう。
まるでラクダが針の穴を通り抜ける方がごとく、困難な道程である。
今後、たぶん僕も子育てに関わる事になる。子供の知能は親と比較的相関関係にある事が多いから、きっと僕の子供は僕と妻のポテンシャルとほぼ同等ぐらいの知的能力を持って産まれる事だろう。
きっと、僕の多くの医学部の友達のように、素晴らしいポテンシャルに恵まれる事はない。
血の滲むような努力をすれば、運が良ければ東大や医学部には入れるかもしれないけど、普通に放置してたら絶対にそういうところにはたどり着けない、それぐらいの個体値と考えるのが妥当だろう。
その子供を見た時、自分が果たして自分の親が僕にやった事と同じように、自分の能力に見合わない努力を押しつけるべきなのか、それとも勇気をもって放置するべきなのか、未だに僕は答えが見いだせない。
凡人に呪いをかけてコンプレックスを植え付ければ、アドラーのいうとおり確かに人は大きく羽ばたけるかもしれない。
きっと本来のあるべき場所よりも高い場所に進めるのかもしれない。
けどその道はとても暗く、そして苦しい道だ。そこに我が子を送り込む愛は、果たして本当に愛なのか。
今日も正しい答えが見えぬまま、日が暮れてゆく。
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(Photo:Marco Nedermeijer)