前回、凡人が何者かになるためには大当たりがいつか出ると信じて、ガチャを回し続けるしかないという記事を書いた。
凡人が何者かになるためには大当たりがいつか出ると信じて、ガチャを回し続けるしかない
内容を簡単に要約すると、凡人が何者かになるには最低でも10年程度の地道な努力が必要で、それを複数分野にわたって分散投資し続け、いつか当たると信じて頑張っていくしかないという話だ。
あの記事を書いている時に気がついたのだけど、最近僕は「若さ」が自分から失われつつある事について、昔とは違ってそこまで恐ろしさを感じないようになっていた。
以前の自分は、歳を取ることが凄く怖かった。2017年に僕が書いた記事から引用すると、こんな感じのマインドであった。
太く短く生きたい若者が、細く長く生きたい中高年層になる瞬間について
「あんまり長生きなんてしたくないんだよね。若い頃にしっかりと人生を楽しんで、太く短く40歳ぐらいで死ぬほうが、細く長く生きるよりも全然いい」
こんな事を考えていたのは、高校生ぐらいから大学を卒業する手前ぐらいだっただろうか。
当時の自分は、何者かになれる自信が全く無く、それゆえに自分自身に残された若さというたった1つの武器をどう使えばよいのかしか考えていなかったのではないかな、と思う。
それから10年たって、たまたま運良く様々な努力が花開き、結果として「何者かになれた」と思えるようになった自分の前に現れたのは、大人としての自覚であった。
若者からうまい具合に卒業できた自分は、かつて最も良いと思っていた「太く短い」生き方に全く憧れる事がなくなっていた。
今の自分は、あの頃に持っていた不安から解き放たれ、とても安定した心で大人を楽しめている。
あんなにも太く短い生き方に憧れていた僕だけど、今ではもう二度と若者をやりたいとは思わない。
大人になった今では、大人ってなんて平穏で楽なんだろうという思いで一杯である。
結婚して大人になれば、もう恋愛ガチャを回さなくてもいい
婚活は多くの人にとってかなりシンドイ作業だ。僕の友達も、かなりの多くの人が現在進行系で苦労している。
「出会いがない」
「出会いがあってもいい人がいない」
「たまたま付き合ってるけど、果たして本当にこの人と結婚してもいいのだろうか?」
「もっといい人と付き合えるのではないか?」
これを読んでいる人の中にも、こんな事を考えながら婚活沼にズブズブ沈み込んでいる人も多いのではないだろうか?
僕自身は、マジで全然モテなかった事もあり、最初の人に付き合うまでにふられまくりで、心身ともにボロッボロになっていた。
そういう事もあって、正直あの作業を二度と繰り返したくなかった。
「恋愛なんてマジで茶番じゃねぇか。こんなクソゲー、サッサと終わらせよう」
こう思っていた事もあり、最初に付き合った彼女と3年ぐらい付き合ってサクッと結婚を決めてしまった。
結婚を決めた時、周りの先輩医師の方々は口々にこう言っていた。
「馬鹿だなぁ。これからが人生で一番モテる時期で、恋愛が楽しめる時期なのに」
この言葉自体は残念ながら(?)事実ではあった。
結婚が視野に入ってからの医者のモテの加速度愛は凄い。様々な医師の過激な話を聞いて、僕は医師免許のモテパワーってこんなに凄いのかと圧倒されたものであった。
モテなくて本当によかった
しかしこれはあくまで恋愛の話である。
結婚して、妻との間にできるのは、そういう火遊びとかロマンチックな刹那的なものではなく、どちらかというと人と人との付き合いであり、あえて近い言葉でいえば友情のような感じが最も近い。
あれから数年たって、未だに「恋愛」という沼にはまり込み、「結婚」を決断できていない周りの医師をみる度に、さっさと「プレイヤー」から降りて「家庭人」になるという決断をした過去の自分の選択は自分にとっては最上だったなと思う。
もちろん、これはたまたま僕と妻の人間的な相性が良かったからこその結果であり、運が悪かったら今頃は離婚していた可能性だって当然あっただろう。
ただそれは、どの年齢だろうと言えることだ。
僕は今頃になって、自分がモテなくて心底良かったと思っている。
モテなかったからこそ、「自分はもっとよい人と結婚できるはずだ!」なんて幻想に惑わされる事なく、サッサと結婚してしまおうと決断できたのは間違いなく事実である。
選択肢がないというのは悪いことばかりでない。選択肢が少ない分、決断が凄く楽になるのである。
人生何がどう作用するか本当にわからないものである。
社会から居場所を与えてもらえて、初めて「何者かに」なれる
恋愛は今でもクソゲーだと思っているけど、何度も爆死しながらガチャを回しといて心底よかったとは思う。
僕は「若者」の特権である恋愛はかなり早急に終わらせてしまったが、その分「大人」の特権である家庭人は心底楽しめている。
家庭人という「大人」は本当に楽だ。それに「若者」の特権である恋愛とはゲーム性が全然違う。
あなたもひょっとしたら皇室の人と結婚できるのかもしれないし、アイドルと結婚できるのかもしれない。
このように、確かに「若者」は何ものにもなれる可能性を有している。
けど、逆に言えば、「若者」とはまだ何ものにもなってない。
この「何ものでもない」という焦燥感にずっと突き続けられるのは、普通の人にはかなりシンドイものがある。
だからこそ、太く短く生きたくなってしまうのだろう。
仕事だってそうだ。働くまでは僕は、経営者に使われるという事に強い忌避感があった。
ちょうど「社畜」という言葉がバズっていた事もあり、学生生活最後の夜は絶望感しかなかったのを実によく覚えている。
しかし今になってみれば、キチンと真面目をやっておいて本当によかったなと思う。
7年近い労働により、確かに僕は人生の数割を労働に吸い取られたのかもしれない。
けど、その7年の間に手に入れた職能は、それ以上に増して自分の中では大切なものとなっている。
僕は確かに「社畜」だったのだろう。毎日毎日、眠そうな顔をして会社に通っていたいたのは事実だ。
けど、今では自分の築き上げてきたキャリアを使用して、僕はいろんな所で働く事ができるし、それを後輩に伝える事で、自分でもまた擬似的な成長を体感する事ができる。
学生という「若者」を辞め、社会人という「大人」に参画させてもらったおかげで、今では自分は社会からキチンと居場所を与えてもらえている。
これがどれだけ自分の自尊心を補佐してくれている事か。動労には感謝しかない。
普通も、ちゃんとやれば大きなリターンになって帰ってくるのである。
普通を徹底して何者かになるのは、インデックス投資に似ている
思うに、普通の人生をちゃんとやるのはインデックスファンドにドルコスト平均法で投資するのと似ている。
インデックスファンドというのは、すっごく簡単にいうと日経平均とかダウ平均株価みたいなものだ。
ドルコスト平均法というのは、毎月毎月5万円とか10万円といった決まりきった金額をコツコツ投資していく事をいう。
例えば、下の表は1802~2001年において、投資商品がどういう変遷を辿ったかのグラフだ。
(出典:「株式投資」(ジェレミー・シーゲル著) )
こうしてみればわかるけど、最悪の世界戦争(第一次世界大戦・第二次世界大戦)や、史上最大規模の世界的株価大暴落であるブラックマンデーなどがあったとしても、基本的には世界経済というのは一貫して上向きに成長しているという事がよくわかる。
これを考えれば、投資のド素人が資産形成をする最適解は、あまり難しいことを考えずに毎月コツコツとインデックスファンドに投資していくことだ。
ただこのインデックスファンド・ドルコスト平均法投資法は一つだけものすごい弱点がある。
とてつもなく退屈で、かつ10倍とか100倍になる投資商品が頻繁に横目を過ぎ去っていく事だ。
2年前の、あの仮想通貨の熱気を覚えている人もいるかもしれないが、投資の世界では時に物凄く爆発するタイプの商品がある。
インデックスファンド・ドルコスト平均法は長い目で見ればかなり勝率が高い戦略なのだけど、こういうジェットストリームみたいな上量気流にのって大成功できるというわけではない。
仮想通貨でタケノコのように湧いて出てきた億り人をみて「自分もああなりたい」と思ってしまう気持ちは痛いほどよくわかる。
けど、自分がそういうラッキーに乗れるとは、凡人はあまり思わないほうがいい。
コツコツ、コツコツと20年後、30年後を見据えて、淡々とインデックスファンドにドルコスト平均法をやっていくのが、凡人が勝てる唯一の方法なのだ。
何ものでもない「若者」が、普通を淡々とやり続けるのがつまらないのは、それをやった自分が一番良くわかる。
しかし普通の人生を否定して、例えば大学を辞めてYoutuberに転身したりするというのは、それこそ暗号通貨に全財産をぶっ込むようなものなのである。
確かに、数人ぐらいはたまたま運良く大成功するかもしれない。
けど、所詮数人だ。ほとんどの欲に目がくらんで「普通」を降りた人に待ち受けているのは、悲惨な結果である。
“普通”は、かけ合わせると驚くほど凄くなる
ちゃんと大学を卒業して普通に働き、結婚して家庭を持ち、趣味の世界で友達とのつながりを作る。
1つ1つみれば、それは凄く些細で面白みのないものかもしれない。けど、普通が本当に凄いのは、それをかけ合わせると爆発的に凄くなるという点にある。
クレヨンしんちゃんの野原ひろしというキャラを知っているだろうか?
彼は凄く普通のサラリーマンだ。埼玉県春日部市に家を持ち、愛妻と2人の子供、一匹の犬を持つ、まあどこにでもいそうな男である。
僕は子供の頃は、野原ひろしみたいな人生ではなく、シド・ヴィシャスのような刹那的な生き方に凄く憧れていた。
けど、今になって本当に思う。80歳になって自分の命の間際を目にした時、野原ひろしはきっと凄く幸福な人生の臨終に立ち会えるのではないか、と。
色々あった仕事の思い出、年老いた愛する妻、天国に行ってしまった愛犬。立派になった息子と娘。
凡人が、普通にコツコツとドルコスト平均法で投資して、最後に目にできる光景と考えると、なんて尊いのだろうと今更ながら圧倒される。
それこそ想像でしかないけど、シド・ヴィシャスの最後なんかとは比べ物にならないぐらい幸せなんじゃないだろうか。
僕と同じ、凡人のみなさん。普通を真面目にコツコツやるのは、確かに退屈ですよね。
けど僕らは凡人だからこそ、コツコツ普通に分散投資するのが、最高の勝ち方なんですよ。
さあ、あなたも今日も普通をやり続けましょう。
大丈夫。最後はきっと、幸せになれるから。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki
(Photo:Carol P.)