就活シーズンが始まった。

毎年このシーズンになると、学生の方々からの相談が増える。

 

多いのは「仕事のやりがい」についての質問だ。

「今の仕事は、やりがいがありますか?」

「どんなときにやりがいを感じましたか?」

「やりがいがないな、と思ったときは、どんなときですか?」

 

そんな時、いつも考え込んでしまう。

仕事のやりがいは、たとえルーティンワークなど些細なことであっても得られるので、「どんなところからでもやりがいは感じられます」と言いたいが、それを丁寧に説明するのは非常に難しい。

私は聞く。

「なぜ、そんなにやりがいが重要なのですか?」

 

その学生は

「やりがいのない仕事は、楽しくないから続けられないと思って。」

という。

 

私は答えた。

「どんな仕事でも「やりがい」を作り出すのはそれほど難しくないです。でも、それが「楽しいか」と言われると、相当の疑問が残ります。例えば、プロスポーツ選手の厳しいトレーニングは「楽しそうだ」と思いますか?」

 

学生はキョトンとして聞き返す。

「やりがいがある仕事は、楽しいのでは?」

私は言った。

「それは嘘です。やりがいと、楽しさは別です。ですから、楽しく仕事をしたいなら、やりがいを求めすぎると、実は楽しくなく、期待はずれに終わる可能性が高いです。」

 

「やりがい」と「楽しさ」は別で、両方があってこそ、人は幸福になる。

行動科学では、「やりがい」(=自分のやっていることに価値を感じる)は幸福感にとって、非常に重要であることがわかっている。

たとえ金持ちであって、快楽(=楽しい、気持ちいい、美味しい など)に好きなだけおぼれることができても、何かしらの「やりがい」のない人生は、幸福を得づらい。

 

一方で、「やりがい」だけでは、人は疲弊してしまう。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの行動科学教授、ポール・ドーランは「幸福には、快楽とやりがいの両者が必要」という。

公共政策に役立てるという前提で人生における幸福について問うと、〝日常的な幸福と不幸〟を重視すると答えた回答者は、〝自分のやっていることに価値を感じるか〟を重視すると答えた回答者とほぼ同程度だった。

言い換えれば、快楽とやりがいの両方が私たちにとって重要だという結果だ。

(出典:ポール・ドーラン 幸せな選択、不幸な選択――行動科学で最高の人生をデザインする)

つまり、「やりがい」と「快楽」は別であり、幸福な生活には「快楽」と「やりがい」の両方のバランスが取れていることが必要なのだ。

 

長時間労働(=極端に快楽が少ない状態)も、毎日寝てばかりの生活(=極端にやりがいの少ない状態)も、幸福になりにくいのである。

 

仕事は、手頃に「やりがい」を得ることができる

ただし、人は、ある程度どんな仕事でも、工夫次第で「やりがい」を感じてしまうことができる。

 

実際、「フロー(=精神的に集中しており、活発な状態)」の研究で知られる、米国の心理学者、ミハイ・チクセントミハイは、

「人は仕事中に頻繁にフロー状態を報告し、余暇にフロー状態がまれであった」

というデータを報告している。

仕事中、人々は能力を発揮し、何ものかに挑戦している。したがってより多くの幸福・力・創造性・満足を感じる。

自由時間は一般に取り立ててすることがなく、能力は発揮されておらず、したがって寂しさ・弱さ・検体・不満を感じることが多い。

 

さらに、現代社会では、仕事は財貨と社会的な地位を得る、最も重要な手段だ。

それゆえ、職業が「人となり」を表していると考える人も多い。

実際、ほとんどの大人が初対面の人に尋ねる質問は、「お仕事は何をなさっていますか?」である。

 

だから、現代人は「仕事」に多くを求める。

例えば、リクルートの調査によれば、「仕事には働く喜びが必要」と考える人が8割にのぼる。

(出典:https://www.recruitcareer.co.jp/company/vision/pdf/research_report.pdf)

 

「やりがいの搾取」はどこにでも存在する

以上の事実が示す通り、人は仕事にやりがいを求め、仕事はやりがいを生み出し、やりがいは幸福感を生み出す。

それはそれでよい。

 

しかし、「仕事のやりがい」を餌に、そこに付け入ろうとする組織も後を絶たない。

 

例えば、社会学者の本田由紀は、「やりがいの搾取」への警告を発する。

若者たちのなかにも、こうした「〈やりがい〉の搾取」を受け入れてしまう素地が形成されている。

「好きなこと」や「やりたいこと」を仕事にすることが望ましいという規範は、マスコミでの喧伝や学校での進路指導を通じて、すでに若者のあいだに広く根づいている(①趣味性の素地)。

しかし、実際には、企業組織内のハイアラーキー(ピラミッド状の階層構造)の底辺部分に位置づけられて、何の権限も与えられないことも多い若者にとって、裁量性や創意工夫の余地がある仕事は希少価値をもつものとして憧憬の対象となっている(②ゲーム性の素地)。

また、日本の若者のあいだでは、自分の生きる意味を他者からの承認によって見いだそうとするためか、「人の役に立つこと」を求める意識がきわめて強い(③奉仕性の素地)。

さらに、「夢の実現」などの価値に向かって、若者が自分を瞬発的なハイテンションにもっていくことによってしか乗り切れない、厳しく不透明な現実も歴然と存在する(④サークル性・カルト性の素地)。

これらの素地につけいるかたちで、「〈やりがい〉の搾取」が巧妙に成立し、巻き込む対象の範囲を拡大しつつあるのが現状だと考えられるのである。

 

実際、職場では「やりがい」を追求した結果、疲れ切ってしまっている人も少なくない。

内閣府の調査では、仕事の内容・やりがいに満足している人は全体の約半分程度であり、特に男性の40代は、不満を抱えている人のほうが多い。

(出典:https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/cyousa21/net_riyousha/html/2_4_2.html)

やりがいは挑戦を作り出すことで生まれるので、どんな仕事でもやりがいがあるように変えることはできる。

だが、「やりがいがない(と自分が感じる)仕事をしている」=「自分には価値がない」と容易に考えてしまう人も多く、これは、現代人の病の一つなのかもしれない。

 

でも、本当はそうではない。

例えば、元名古屋大助教授であり、小説家の森博嗣は「仕事にやりがいを見つける生き方は素晴らしい 」という価値観にNOという。

なんとなく 、意味もわからず 、 「仕事にやりがいを見つける生き方は素晴らしい 」という言葉を 、多くの人たちが 、理想や精神だと勘違いしている 。

それは 、ほとんどどこかの企業のコマ ーシャルの文句にすぎない 。そんな下らないものに取り憑かれていることに気づき 、もっと崇高な精神を 、自分に対して掲げてほしい 。

 

趣味にやりがいを見出す人もいれば、ボランティアや子育てにやりがいを見出す人も数多くいる。

無理に仕事に「やりがい」を見出す必要はないし、どんな仕事であっても、それなりに「やりがい」を見つけることはできる。

 

また、やりがいを追求すればするほど、楽しさはなくなり、鍛錬の要素が強くなり、「楽しさ」は遠ざかる。

結局、人は、やりがいをもとめて働かなくても、幸せになれるのだ。

 

そういうことを、どうやってうまく伝えていけばよいのか。

就活シーズンが始まるたびに、相談を受けるたびに、悩むのである。

 

 

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