ここ最近、老後2000万円問題が話題となっていた。
(参考:言ってはいけない年金制度の真実 「老後資金2000万円不足」の本当の意味(橘玲))
この問題をみたときに僕が思ったのは、長寿社会というものの負の側面が徐々に現れてきたなという事だった。
ご存知の通り、日本人の寿命は非常に長い。
厚生省の発表によると、男性は81歳程度。女性に至っては87歳程度にもなるという。
65歳を定年とする今の日本社会においては、約20~30年、人によっては40年近くもの歳月を”働かず”に生き抜かなくてはならない。
その老後の生活を安心して過ごすための年金制度だったわけだけど、その根幹が揺るがされた、との事で今回の件はここまで燃えているのだろう。
この問題をみたときに、即座に思いつく回答のうちの1つが「だったら働けばいいじゃないか」という事だろう。
実際、僕もそう思ったのだけどこれはかなりの割合の人には死刑宣告にも近いような回答だ。
65歳以上で強い市場価値を保ち続けるのは多くの人にとって非常に難しい
例えば、医者のような高度専門職であれば65歳になろうが引く手数多である。年収だって軽く1000万円は維持できる。
一方で、普通の産業に従事している人はどうだろうか?
例えば肉体労働者は、65歳ならまだ筋骨がそこそこある方かもしれないけど、さすがに70を超えてきたら随分と厳しくなってくる。
このように、肉体に消耗性があるタイプの職種に「働けばいいじゃないか」というのは非常に厳しい話だし、他の職種につけというのも相当に苦しい。
少なくとも僕は、いったい何の職業を斡旋すればいいのかあまり想像がつかない。
普通のサラリーマンだって相当に苦しい。
たまたま運良く、現代でも重宝されるようなスキルを身につけられた人ならそれなりの年収を継続して得られるだろうが、普通に働いていた人の多くは学んだ知識が使い物にならなくなる事も当然出てくるだろう。
65歳にもなって、今から新しいスキルを身に着けろと言われても、多くの人にとってはかなり難しいだろう。
少なくとも僕は今からもう一度新卒のような狂った働き方はできない。
結果、職歴をキチンと積み重ねられなかった人かどうかで極端な格差が生じる。
そしてこの格差は”死ねない”現代社会においては、ほぼ寿命が来るまで固定化する。
キチンと職歴を積み重ねられた人は65歳以降も高収入が持続する一方で、それができなかった人は誰にでもできるとされている低賃金・単純労働の仕事を斡旋されるのだとしたら、行き先は
……Amazonの倉庫みたいな場所になるのだろうか。
(参考:【社会の底辺】アマゾンの倉庫で絶望し、ウーバーの車で発狂した。 | Books&Apps)
65歳まで嫌な上司の仕打ちに耐えて、やっとこさ開放されたと思ったらAmazonの倉庫で絶望するような社会だとしたら「そりゃちょっとないよ~不二子ちゃん」だろう。
知識社会の逆は知識がないと稼げない社会
さすがに高齢者をAmazonの倉庫送りにするのはいろいろと政治的にもアレだろうから、もう少し真面目に試算してみるとしよう。
元院長の話題で、高齢者の運転免許証返納問題が話題になっていたけど、人間は高齢化すると身体もそうだが脳の機能認知も除々に低下していく。
オレオレ詐欺の集団はこれを「バグる」と表現するようで、脳が「バグった」かの確認の為に高齢者の家に定期的に電話をかけるのだという。
非常に聡明そうな高齢者でも、ある日をさかいに「バグ」ったら、簡単にお金を引き出せるようになるのだ。
知識社会において、肉体機能が低下したり、脳が「バグ」った人は、はたしてどれほど稼げるのだろうか?
単純な比較は難しいが、1つのモデルケースとして障害者の雇用状況を比較対象とする事ができよう。
やや古い情報ではあるが、厚生省の平成25年度における障害者雇用実態調査の結果を参照すると、フルタイム勤務で身体障害者は月25万1千円で知的障害者が月13万円である。
もちろん、高齢者と障害者は全く同一の存在ではないので単純に同じような金額をスライドすべきではないだろうけど、まあだいたい月20万程度というのは体感的にもそんなもんかなという感じがするし、そこまで見当はずれな金額でもないだろう。
知識社会とは、知識がある人に優しい社会だ。
そして知識というのは、心身が共に健康であるが故に発揮されるものでもある。
人生100年時代においては、肉体と頭脳のメンテナンスがこれまで以上に価値のある事とされていくだろうし、実際問題グローバルエリートの世界では肌感覚的として既にそういう社会になっている。
長寿社会において、健康である事の期待値はすさまじい。
65歳以降も働くのだとしたら、いかにバグらずにレースを駆け続けるかで期待値は何倍も変わってしまう。
そしてこれは、グローバルエリートレベルの人間ですら、心身の健康を失い身体と脳がバグったら残りの人生を働ける期間は年収240万円で過ごせというのとほぼ等しいことでもある。
そんな感じで本当の意味で働けなくなるまで働かされるのが100歳時代のライフ・シフト!という事になるだろう。
必死に働いて、知識社会を走れなくなった途端、今度は新卒ならぬ老卒の就活が始まるのかと思うとなかなか胸が熱くなるものがある。
こんなの、まるで長生きする事自体が何かの罰ゲームなんじゃないかといわんばかりの対応である。
長生き社会で増えた人生成分は幸福ではなく、生き抜くことのシンドさなんじゃないかと思わずにはいられない。
突然死のない社会はこんなにもシンドかったのか
私達は肥料の開発により、飢えから開放された。
そして医療の発達により、健康寿命が増えた。
今では餓死する人はほぼいないし、医療が受けられずに死ぬ人はほとんどいない。
結果、とても長生きとなったわけだけど、その結果どうなったかというと、ご覧の有様である。
こうした現状をみると、運がいい人間、強い人間には長寿社会はとても莫大な恩恵をもたらす一方で、強く慣れない人にはまだ突然死の要素があった時代のほうがある意味では優しさがあったのではないかとすら思わされてしまう。
感染症などのSudden death(サドンデス)はある意味では平等だった。
弱者は弱者で、良くも悪くもゲームから降りられた。
強者も等しく執行対象となるから、ゲームバランスの調整が起きて、強くない人間にもワンチャンあるんじゃないかと思わせてくれる何かがあった。
しかし今では強者はずっと強く、また難易度調整も全く行われない。
というか強者は職歴を積み重ねたり自己研鑽が習慣化されているから、知識社会においてはドンドン強くなるし、ますます健康的で強靭な肉体を獲得するような社会を形成するようになるだろう。
一方で強く慣れない人間は、それらを積み重ねる事自体が非常に難しくなるだろう。
普通に生きているだけだと、65歳から死ぬまでの間、ずっと年収240万円のベルトコンベアーへと一直線である。
そして死なない社会においては、この2つはほぼ固定され約束された未来への一本道なのである。
これが誰もが病で亡くなること無く、腹いっぱい白飯が食える健康な社会の実情だっただなんて、いったい誰が想像できただろうか?
昨今の都会の中学入試の盛り上がりは、年収240万円ベルトコンベアーからどれだけ逸脱できるかのラットレースをみているかの如くである。
全部が全部、自己責任といえば確かにそういうものなのかもしれないけど、いやはや、ほんとこの問題、本当にどうすればいいんでしょうね・・・。
長生きって本当に難しい。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
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(Photo:Anita Hart)