「本当に頭がいい人は説明がうまい」
こんな主張をよく耳にする。
頭が良ければだれもがわかるように説明できるはずだ。
説明がうまい=ちゃんと理解している証拠。
などなど……。
たしかに、むずかしい内容を簡潔に解説したり要約したりする能力は、「頭がいい」要素のひとつだとは思う。
でも、説明のうまさと頭の良さは、本当に比例するんだろうか?
頭の良し悪し=説明がうまい・へた?
本屋に行けば、「だれでもわかる○○入門書」「サルでも理解できる△△の基本」「1日10分で学ぶカンタン××」といった書籍がずらりと並んでいる。
いったいどれだけわかりやすく書かれているのだろう……とワクワクしながら目を通してみるも、わりと高確率で「やっぱりわかんねーよ!」となるのはわたしだけじゃないはずだ。
「はじめに」からすでに専門用語のオンパレード、よくわからん偉人の言葉を引用してカタカナ語であれこれ書いている。
文章自体が堅っ苦しくて読む気がしない。というか、なんの話をしているのかさっぱりわからない。
結構な頻度でこういうことが起こるから、ふと思ったのだ。
「頭がいい人は説明がうまい、という通説は本当なのか?」と。
その理論でいくと、「説明がへたな人間は頭がよくない」ということになる。
でもその本を書いたのは、その分野に関しての第一人者だったり大学教授だったりするのだ。
当然、「頭がいい(知識があり深く理解している)」に決まってる。
それでも実際、頭がよくても説明がへた(素人に解説するのが苦手)な人は存在しているわけで。
まぁ
「頭がいい人は説明がうまいが、説明がへただからといって頭が悪いとはかぎらない」
ともいえるわけだけど、それなら頭の良し悪しと説明スキルは比例しないことになる。
では、説明スキルの高さはなにに影響されるんだろう? どんな要素が「説明力」を決めるんだろう?
説明スキルは頭の出来や表現能力だけでは決まらない
説明スキルにおいて、「そもそも頭のつくりがちがう」ということは多いにありうる。
たとえば、「数式を見たらなんとなく解き方がわかる」「一度見れば覚えられる」という天才タイプが、凡人にわかりやすく解説するのはむずかしい。
また、言語化能力のちがいも大きい。
考えていることを言葉にして伝えるのが得意な人もいれば不得意な人もいるし、単純にことばによる表現能力が足りないときもある。
でもそれに加えて、説明スキルを大きく左右するのは、「いろんな人と関わった経験があるかどうか」だと思う。
いろんな人との会話経験が多ければ多いほど、説明がうまくなる気がするのだ。
ちなみにここでいう「いろんな人」とは、年齢や性別、社会的立場や生活環境がちがう人、という意味である。
伝える配慮に慣れれば説明スキルが上がる
改めて考えると、わたしは小さい頃からいろんな人と会話する機会が多かった。
小学生のときはピアノ教室で一緒だった高校生とよく話したし、中学生のときは個別塾でよく顔を合わせた小学生の相談を聞いたし、高校生のときは塾のチューターをしている大学生と仲が良かったし、大学生のときは留学を機にさまざまな国籍の人と交流していた。
バイト先の40代の主婦や50代の男性店長とも休憩時間にふたりでランチをしたり、父親の同僚の方との飲み会にお邪魔したりしたこともある。
そうやっていろんな年齢や性別、立場、生活環境や家庭環境の人と話すと、「知っている」という前提条件が共有できないことに気がつく。
たとえば両親世代に「死亡フラグじゃん」「クソゲーすぎてワロタ」といっても、あんまり伝わらない。
同年代であっても、SNSをやっていない人に「リプ」や「インスタストーリー」と言っても「なにそれ?」という反応が返ってくる。
タピオカだって、おばあちゃん相手なら「きれいな写真が撮れてまわりに自慢できるオシャレな甘い飲み物だよ」と説明しなきゃ伝わらないだろう。
バックグラウンドが大きくちがうと、会話のいたるところで「共有できない部分」が現れるのだ。
その小さな認識のちがいを埋め合わせていかないと会話にならないから、しぜんと、「伝える配慮」に慣れていく。
この人と共有できる部分はどこだろう、共有できない部分はどこだろう。
そうやって、話す内容や言葉遣いを調整してコミュニケーションをとっていく。この調整が、説明スキルを大きく左右するんじゃないだろうか。
相手に合わせて話を調整することが大切
もちろんそこには言語化能力のようなスキルも必要なわけだけど、これはある程度「慣れ」でどうにかなる類のものだ。
『個人を幸福にしない日本の組織』という本では、
「日本人はきまったメンバーできまった仕事をするのは得意だが、新しいメンバーで新しい仕事をすることができない」
という国際経営者たちの意見を紹介したあと、こう続けている。
おそらく多くの日本人は自分からプロジェクトを企画して仲間を募ったり、プロジェクトをリードしたりするような経験を積んでこなかったからだろう。
異質な人を包摂し、多様な考え方を生かすノウハウも学んでいない。学校教育や、ボランティア活動などの経験不足も関係しているはずだ。
たしかにわたしも、以前記事でも書いたように、日本人(といってもみんなじゃないけど)は異質で多様な人とのコミュニケーションに不慣れな人が多い気がする。
ただこれは、能力うんぬんよりも、経験値のちがいだ。
外国人に話しかけられてドキッとする人と、語学力がなくともうまいくコミュニケーションがとれる人。
性格的なものもあるとはいえ、多くの場合「外国人に慣れているかどうか」で反応が決まる。
事実、外国人が多く訪れる観光地では、外国人の対応に慣れている人が多い。
そういう人たちだって、きっと最初は訪れる外国人に戸惑ったはずだ。
しかし外国人観光客と毎日のように接するなかでしぜんと、「相手にわかるように伝える」という説明スキルを身につけていったのだと思う。
逆に、ふだんから同じような環境・立場・年齢・性別の人とばかり付き合っていると、相手に合わせて調節せずともある程度理解しあえることが多い。
そうすれば説明スキルは向上しないし、そもそも磨く必要もなくなる。
冒頭で挙げた「初心者向けの本でやたらむずかしいことを書く」という人たちはきっと、ふだんから「その分野に精通した人たち」と接していて、そのグループでしか共有されていない知識や語彙を「当然のもの」と思っているのだろう。
だから、筆者が想定する輪から外れているわたしなんかには「さっぱりわからん」となるわけだ。
説明べたな人はいろんな人と関わることからはじめてみては
結論として、説明のうまい・へたは、「相手がわかる範囲の言葉と知識に調整できるかどうか」にかかっている。
そしてそれは、「慣れ」の部分が大きい。
幼稚園教諭や保育士だって、最初から子ども目線でモノゴトを説明できたわけじゃないと思う。
子どもの突飛な疑問や意見を日々受け取るなかで、「子どもと共有できるエリア」を体感で身につけていったはずだ。
親子ほど年が離れた部下と仲良くやっている管理職の人も、最初は「相手のことがさっぱりわからん」からはじまったことだろう。
でもそこで匙を投げず、相手の話を聞きながら「お互いが共有できるエリア」にたどり着けるよう、知識や言葉選びを調整していったにちがいない。
相手がわかる範囲の言葉と知識に調整して伝える。これが、わたしのなかの「説明スキル」の定義だ。
そしてそれは、「自分と共有部分が少ない人とどれだけ関わったか」によって決まる。
説明が苦手、という人にはまず、年齢±10歳くらいの人と積極的に会話することをおすすめしたい。
自分との共有部分が少ない人と抵抗なく話せるようになるころには、しぜんと説明もうまくなっているんじゃないだろうか。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
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(Photo:Ethan Hu)