とても難しい気分になる本を読んだ。「ケーキの切れない非行少年たち」である。
ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)
- 宮口 幸治
- 新潮社
- 価格¥836(2025/06/10 05:13時点)
- 発売日2019/07/12
- 商品ランキング966位
本書を書かれたのは児童精神医学の専門家である。
筆者はこの本の中で非行少年達が
「なぜ非行へと走ってしまったのか」
「どうしたら非行へと走らずにすんだのか」
を延々と考察していくのだが、そこで明らかになる事実は色々と示唆的である。
筆者は多くの非行少年たちと出会う中で「そもそも反省という行為がキチンと行えない」子供が沢山いるという現実に驚かされたのだという。
彼らに少年院にて何度も何度も「こういう事はしてはいけない」「ここはこうすべき所である」というような教育を行っても、まるでヌカに釘のごとく、話した内容が右から左に抜けてしまい、全く頭に入っていかないというのである。
「ひょっとして、この子たちは正しい形で認知機能が働いていないのでは?」
そう思い様々なテストを行った所、やはりどうも認知機能障害があるとしか思えないような結果が次々と出てきたのだという。
これらに加えてIQテストを行ったところ、少年院にいる人達のかなりの人数がIQ70~84に相当する事を発見したのだというのだ。
つまり、非行と低いIQが強く相関関係にある事という現実に突き当たったわけだ。
一般的に、日常生活を難なくおくれるとされているIQの基準は100とされている。だけど多くの人が心の中で密かに思っているように、最近の先進国で要求されている普通に生活を行う基礎力の基盤は、いろんな人が思っている以上にハイレベルだ。
OECDの国際調査でも「日本人の3割が日本語が読めない」事が判明しているが、私達の思っている”普通”は、旧石器時代の”普通”とは完全に異なる。
”普通”とされている現代の生活は、偏差値50以下の人に酷く厳しい。
<参考 言ってはいけない!「日本人の3分の1は日本語が読めない」 | 文春オンライン>
現在の医学では知的障害のラインはIQ70未満とされているのだが、筆者はIQテストのボーダーライン上にいるIQ70~84の子供達は、義務教育期間中に認知機能を発達させる機会を失っていると指摘する。
どういう事かと言うと、つまり今の義務教育のルールでIQ70~84の子供達にIQ100向けの教育をやったところで、彼等は何をやってるのか全く理解できない。
勉強ができないだけならまだしも「人の話をキチンと理解し、要求に答える」という日常生活上で基盤となる認知機能が育つ機会を奪われるが故に、そこから発展する社会生活を営む上で基本となるソーシャルスキルの獲得に繋がらず、結果として社会に適合できずに非行に走ってしまったのではないか、というのだ。
頭が悪いから非行に走ると短絡的にこの本を読んではいけない
この本を読む上で、気をつけておかなくてはいけないのは「頭が悪い人間が非行に走る」という風に短絡的な読み方をしてはいけないという事である。
社会には様々な明文化されていないお作法がある。
電車の中で他人の身体を触るのは犯罪だけど、暗黙の合意が取られたパートナーがホテルで何をしようがそれは自由恋愛の範疇となる。
数万円のお金を支払って、風俗店で指名した人と遊ぼうが、それも合法的行いなので社会からなんら咎められる事はない。
けどよくよく考えてみれば、どれも本質的には何ら変わらない。
どこで、だれと、どのような行動をするのかは全部異なるけど、行動だけ切りとってみれば、むしろ逆に後2者の方がもっと凄い事をしていたりもする。
これらの違いについて、私達は個別に親や教師から「何がよくて何が駄目なのか」を一からすべて教えられるわけではない。
義務教育期間中に全ての理解の土台となる「認知機能」が向上した結果、様々な媒体から社会性を獲得し、規律に反しない”社会的に正しいお作法”を暗黙のうちに理解できているが故に、社会生活を”正しく”営めてているのである。
つまり、IQ70~84の子供達も、すべての学習の土台にある「認知機能」が高める事さえできれば、適切な社会性を獲得する礎となる最低限の基盤ができると筆者はいうのである。
認知機能がキチンとあれば非行に走らないというような単純なものではないけれど、少なくとも認知機能を全く高めないまま、少年院なおで認知行動療法のような「すでに認知機能が備わっている」ことが前提となるプログラムを施しても、あまり効果は望めないというのは言うまでもない。
結論として、筆者はIQが低い人達のみならず、全ての人達の認知機能を高めるために、自身が開発したコグトレを小学校の朝礼の時間を使って毎朝5分やればよいのだと提唱するが、それで適切な形で認知機能が育つのなら、それこそ真の意味での”義務教育”といえるだろう。
ケーキをキレイに三等分できるのは、ある種の文化資本である
SNS上ではこの本の題名にもなっているケーキの等分図を取り上げて「DQN文化だ」と嘲笑している人が散見されたが、本質的には「ケーキを3等分してください」という文章そのものを正しく理解できないが故の行いであり、文化的お作法を学習する機会を今までの生活の中で誰も与えてくれなかったという悲劇なのである(注・DQNはネットスラングで”どうしようもないバカ”に近いニュアンスの語)
これが話題となっている、非行少年達に「ケーキを3等分してください」といって切らせた ケーキの模式図である。
引用:https://toyokeizai.net/articles/-/292381?page=4
この図を見て「なんて馬鹿なやつだ」と思う人は根本から色々と理解を誤っている。
「ケーキ三等分してください」といわれ、すぐに正解が思い浮かぶような人達は、自分の人生がいかに恵まれたものであったかを感謝すべきなのだ。
あなたが偶然それなりに頭が良く、偶然よい教育を受ける機会があったからこそ、適切に認知機能が向上したのである。
その結果として、学校や家族、会社などの社会生活上で適切な社会性を身につけられたからこそ、あなたの今があるのである。
ケーキを正しく三等分できるという事そのものが、ある種の文化資本のようなものなのだ。
教育の難しさ
IQ70~84の子供たちというのは、全体の16%をしめるそうだ。
これは小学校だと30人クラスで下位5人に相当する。
僕も小学校は街の公立校出身なのだけど、確かにいわれてみると「なんでこんな事もわからないんだろう?」と思うような子供は確かにいた。
昔は小学校や中学校で授業中に黙って授業をうけられない人をみて「なんでそんな事をするんだ?」と思っていたけど、今になって考えてみると、あれは彼等なりの抗議活動だったのだな、とこの本を読んで気が付かされた。
よくよく考えてみると、僕もつまらなかったり、難しすぎて何を言ってるのか理解できない講演を延々と聞かされ続けるのは非常に苦痛である。
「あれは子供なりの”苦しさ”の表現だったのだな」と妙に物哀しい気持ちになる。
教育というのは誠に難しい。
様々な知能を持つ子供に対して、画一的な授業を施すと、中間層はよくても、高知能層は退屈だし、低知能層に至っては単なる拷問である。
というかそもそもの大前提として、勉強なんてしないでさっさと働いた方がいい人間なんてのは山程いるだろう。
そういう人間を机に縛り付けて、英語やら歴史の授業やらを各人の適性を何も考慮せずに無理やり押し付ける今の教育手法は、ある意味では物凄く残酷な事をかなりの数の子供に強いているという事から、目を背けてはならない。
三角関数なんて理解できなくても、スマホは使えるんだからそれでいいという人がマジョリティとして成立する世界の方が本当は正しい
確かに、教育はその人の人生を切り開く事はある。
福沢諭吉は学問のすゝめの中で実学の重要性を述べ「学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となる」と書いたが、これが本当の意味で刺さる層は全人口の数%だ。
残りの90%以上にとっては「勉強って何の意味があるの?三角関数なんてわからなくても、スマホがキチンと使えるんだからそれでよくない?」だろう。
現状では、学歴がある種の高所得者層へのフィルターとして機能しているので、勉強に合わない人間を王道ルートである”現在の教育環境”から切り離す事には誰もがある種の恐怖感はあるだろう。
けど「拷問のようなワケノワカラナイ授業を座って受けさせられる苦痛」と「認知機能を向上させる機会を奪われ、社会性の獲得という実生活を送るにあたって極めて重要なものを獲得できない事」が割と非人道的な事であると認識されれば、もうちょっとマシは第三の道があるだろ、と僕はこの本を読んで思わずにはいられない。
頭の善し悪しは生まれでほとんど決まってしまう。けど、それだけで全部が決まるわけではない
残念ながら知能というのは生まれつきのものなので、誰もがビリギャルのように下剋上できるわけではない。
小学校の頃、頭がよかった子供はずっとクラスで上位に居続けるし、頭が悪かった子供は延々とテストの点数は低空飛行のままだ。
けど、だからといって頭がいい人間が誰でも社会で成功するわけではないし、頭が悪くても社会で成功したり幸せな社会生活をおくれている人もたくさんいる。
いまの学校教育は、誰もが少年ジャンプで異能バトルモノで単独連載を持つのを目指すかのように、偏差値という、ある種の王道だけが良しとされているようなフシがある。
学歴と年収がある程度の相関関係があるように、確かに偏差値教育にコミットできるか否かがその後の人生にある程度影響するのは事実だろう。
けど、世の中はそんな単純なものではない。
確かに王道少年漫画であるドラゴンボールはめっちゃくちゃ面白いけど、アイズみたいな、ちょっとエッチなラブコメみたいな脇道に逸れた漫画がないとジャンプが雑誌として成立しないように、世の中はバランスが肝心である。
多くの人がキチンと社会にコミットできるよう、たくさんの子供達が本当の意味で適切な教育を受けらればいいのですけどねぇ。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます→ https://note.mu/takasuka_toki
(Photo:Simon_sees)