すこし前の話。

 

あるサービス業の現場で、経営者が「顧客満足を徹底せよ」という方針を打ち出していた。

朝礼でも、役員会でも、部長会でも、課長会でも、グループミーティングでも、その話は伝達されたため、末端の社員までメッセージは確実に届いていたようだ。

 

無論、現場は反対する理由もない。

だれだって、会社に勤める人間なら知っている。

お客さんの満足は必要だ。

 

「そりゃそうだよな」と納得し、誰もトップの言うことに対して疑問を持つ人はいなかった。

もちろん経営者も「方針が徹底された」との手応えを持っていたようだ。

 

ところがその後。

経営者が、得意先の社長とたまたま会食したときのこと。

 

彼は思わぬ事実を、聞いた。

曰く、

「最近は現場同士の交流が少ないので、ウチの若い連中を、飲みに誘ってあげてください」と。

 

経営者は驚いた。「顧客満足」をあれほど徹底せよと言っていたのに。

お客さんと飲みにすら行っていないのかと。

経営者は得意先に「ご忠告をいただいてありがとうございます」と丁重に礼を述べた。

 

だが、彼は内心、腹が立ってしょうがなかった。

あれほど言ったのに……と。

 

経営者は翌日の朝、全社にメールを飛ばした。

「顧客満足をあれほど徹底せよと言っていたのに、私はたいへん嘆かわしく思う。お客さんの接待を怠る担当者は言語道断である。今度こそ顧客満足を徹底するように」と。

 

 

さて、もちろん多くの人が気づく通り、これは完全に経営者が悪い。

なぜかといえば、「顧客満足」の言葉の意味を明確にしていないからだ。

 

たとえば現場の経験上、少なくとも、企業が施策として顧客満足を打ち出す場合には、

 

1.「顧客満足」を適用する範囲(どの顧客の、どのサービスの満足度についての話か?)

2.「顧客満足」の定義(何を持って、顧客が満足したとみなすか?)

3.「顧客満足」の実現方法(接待をする、クレームの迅速対応、サポートの強化……など)

 

の3つについて決定し、かつ、それらが現場の行動に落ちているかをモニタリングする必要がある。

 

もちろん、経営者が「単なるスローガン」を打ち出すときもある。

だが、それが現実的には一部の「自発的な社員」以外には、何の効力も持たないことは、すこし考えればわかることだ。

 

殆どの人は、指示を受けても、それがあいまいであれば、行動に転換したりはしない。

仮に「自発的な社員」が自主的に動いたとしても、その社員が考えたことが、経営者のイメージに一致しているとは限らない。

 

もちろん、「言葉の定義が重要」なのは、上の話だけではない。例えば

議論をする場合。

指示を人に与える場合。

誰かしらを説得する場合。

なんであれ、なによりも「言葉の定義」を大事にする人の仕事は非常にやりやすいし、成果も出しやすい。

 

逆に、言葉を大事にしない人との仕事は非常にやりづらい。

「曖昧な」議論。

「人により異なる解釈」が発生する指示。

「何について話しているのかはっきりしない」説得。

そうした、共通認識が存在しない状態での仕事は、極めてやりにくいし、そもそも成果が何なのか、よくわからないままウヤムヤになるのがほとんどだ。

 

だから上の経営者は知る必要がある。

「あいまいな言葉で指示を出したのだから、実行されなくても、それは指示を出した側の責任だ」と。

 

 

「定義することが重要」

これは、日々の仕事だけではなく、何かしらのイノベーティブな仕事をするときにも、言うことができる。

例えば。

 

マネジメントの祖である、ピーター・ドラッカーは、企業におけるマネジメントの必要性を説くために、「企業とは何か」「企業の目的とは何か」と言葉の定義を行うところから議論を開始している。

この定義は非常にエレガントなもので、私はこの一文を読み、「この本には究極的に重要なことが書いてある」と確信するに至った。

企業とは何かを知るためには、企業の目的から考えなければならない。

企業の目的は、それぞれの企業の外にある。企業は社会の機関であり、その目的は社会にある。

企業の目的の定義は一つしかない。それは、顧客を創造することである。

 

歴史の教科書にも出てくる「能」を大成した世阿弥は、著書「風姿花伝」で「良い能」の定義を最初に行っている。

さて、よい能というのは、典拠が正統的で、新鮮味のある趣向を凝らし、山場があって、作風が優美であるようなのを、もっとも優れたものと考えてよい。

 

幾何学の祖であるユークリッドがなぜ「祖」なのかといえば、「定義」と「公理」を用いるルールを精密に決めたからだ。

ユークリッドの著書「原論」では「点とは何か」「線とはなにか」「面とはなにか」といった定義を出発点とし、そこから高度な数学の議論を行っている。

 

 

Googleがなぜ検索技術でwebを支配できたのかといえば、「ページの価値」をページランクという技術で、新しく定義しなおしたからだ。

ガレージで活動していたグーグルは、その4年間のハンデを克服し、すでにポピュラーになっていたLycosやAltaVistaを検索品質の面でどのようにして出し抜いたのだろうか。この問いに簡単な答えはない。

しかし、検索産業の初期の時代ということを考えると特にそうだが、もっとも重要な要素の1つは、グーグルが検索結果のランキングのために使っていた革新的なアルゴリズムだったことは間違いない。それは「ページランク」と呼ばれているアルゴリズムである。

 

哲学者ジョン・スチュワート・ミルの偉業の一つである「自由論」の書き出しはこうだ。

本書のテーマは、いわゆる意志の自由ではない。本書で論じるのは、誤解されやすい哲学用語でいう必然にたいしての意志の自由ではなく、市民的な自由、社会的な自由についてである。逆にいえば、個人にたいして社会が正当に行使できる権力の性質、およびその限界を論じたい。

 

新しい定義が、新しい認識を生み出し、それは時としてイノベーションとなる。

 

もちろん、自由闊達な議論をしたい、アイデアがほしい、発想を広げたい、等の場合には、あえて「何も定義せず」に指示を出したり、ディスカッションをしたりすることもある。

 

ただ、それは過程で重要なだけであって、人の行動や、学問の基礎となるためには、最終的に明確な「定義」が必要だ。

 

 

思い起こすと昔、コンサルタント時代の上司は、言葉の使い方に関しては人並み外れたこだわりを持っていた。

 

例えば、「問題」と「課題」のちがいについて、何時間も議論した。

あるいは、「コミュニケーション」と安易にいわず、「会話」のほうが適切だと直された。

または、「失敗」ではなく「成長ネタ」と訂正された。

「実行しやすい」という提案書の言葉を、「かんたん実行」とキャッチに作り直した。

 

私には最初、その価値がわからなかった。

駆け出しの私には「些細な違いだろう」としか思えなかったのだ。

 

だがお客様先で、話をすると、練られた言葉と、そうではないことばでは、恐ろしく相手に与える印象が変わることを、身を持って知った。

「言葉一つで、こんなに相手の行動が変わるのか……」と、何度思ったことだろう。

 

実際、コンサルティングの現場では「言葉のつかいかた」や「定義」がすこしずれただけで、大問題となることも多い。

「ウチは特殊だからね、「顧客満足」の意味が違うんだよね〜」

と、コンサルタントに絡む人もいた。

 

上司はまた、社内の勉強会では、必ず「辞書」を持ち込むことを要請した。

「勉強会には必ず、電子辞書をもってこい」と彼は口を酸っぱくして言っていた。

そして、

「理念とはなにか」

「目標とはなにか」

「品質とは何か」

「顧客満足とは何か」について、延々と数時間も議論をした。

それらはすべて、血肉となっている。

 

 

厳密に定義された言葉は、行動を促し、正確に意図を伝える大きな助けとなる。

 

 

優れた思考は、練られた言葉に現れる。

私は現場の仕事で、痛いほどそれを感じた。

 

だから思う。成果を上げる仕事をしたいなら、上司が「しっかりやれ」と言ったら、「「しっかり」とはどういう意味ですか?」と聞きかえすくらいの癖をつけたほうがいい。

 

もちろん短期的には「面倒なやつだ」と、嫌われるかもしれない。

だが、その厳密さと、言葉の持つ影響力を知る人のみが、力を持つのだ。

 

 

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(2024/1/22更新)

 

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