身近に、常に不平不満を言っている人がいる。
その人は口を開けば「私はこんなに頑張ってるのに誰も褒めてくれない」やら
「会社の誰それが全然働かないからムカつく」だの、言う。
それを聞く度に思う。
なんでこの人はこんなにも他人に”期待”しているんだろう、と。
世界で”人間”は自分一人だけ?
ある高校の入試問題の話だ。
出典は残念ながら忘れてしまったのだが、そこで
「自分以外の他人が、自分と同じような自由意思を持っている事を証明するのは不可能だ」
という極めて大胆な話が出されていた。
その問題文では他人をロボットに置き換え
「仮に技術が発展してロボットが自由意志を持ったとしても、心のメカニズムがわからない以上、本当に自分の頭でモノを考えているかは私達にはわからない」
「私達にはロボットが単なる決まりきった定形文を返しているだけなのか、それとも自由意志に基づいた言葉を発しているのかを区別するのは不可能だ」
「じゃあ、あなたが普段話している他人が、あなたと同じようにモノを考えて喋ってるか、本当に区別できるのだろうか?」
「他人も意思なんて持ってなくて、プログラムにもとづいて定型文を返しているだけなんじゃないの?」
という風に結論づけていたように思う。
中学生の頃の僕はこれを読んでゾッとした。
目の前で話している塾の教師も、隣で頑張って問題を問いている塾の友達も、それどころか家族でさえ、RPGでいうところの村人Aと同じで自由意志などない無機質な存在である可能性を全く否定できない事に気がついてしまったからだ。
ひょっとして、この世界で本当の意味で”人間”といえるのは自分一人なのではないか。
冗談でもなんでもなく、本当にそう思ってしまったのだ。
世界が自分を中心に回ってると思う?
僕も昔は他人についての愚痴をいっていた。
「なんであいつは僕に嫌がらせをするのだろう」だの
「あんなに頭がいいなら、さぞ人生が楽だろう。羨ましい」だの
「こんなに身を焦がす程にあの子が好きなのに、なんで僕に振り向いてくれないのだろう」だの
まあ散々な有様である。
登下校の時の思考回路の99%はこんな感じであった。
しかし先程の文章を読んでからは、これがRPGでいうところの村人Aが定形アクション以外の反応を期待する位に馬鹿げた考えだと思いなおした。
嫌がらせをする人間はそういう村人Aなのである。
嫌がらせをしない村人Bにはならない。
頭がいい彼はそういう村人Aなのである。
彼をいくら羨んだところで、僕の頭はよくならないし、人生も全く楽にならない。
物凄く可愛い彼女はそういう村人Aなのである。
村人Aにどんなに情熱的に恋心を抱こうが、残念ながら彼女は自分には振り向いてくれない。
僕が今まで愚痴に使ったエネルギーは、全て無駄だったのである。
無駄どころか、逆に、それまで自分が世界が自分中心に回る可能性を一ミリでも信じていた事を強く恥ずかしく思うようにすらなった。
念じるだけで、自分の都合のいいように他人が動く。
当然だが、そんな事は絶対にない。
世界は自分を中心には回っていない。
世界は世界を中心に回っている。
愚痴をいい、他人が自分の思うどおりに動く可能性を一ミリでも信じている時点で、既にどうしようもないぐらいに傲慢なのである。
他人に期待してる人は、RPGの村人Aが勝手に魔王を倒してくれるとでも思ってるのだろうか?
まったくもって片腹痛しである。
人生には強い粘性がある
かつて堀江貴文さんがブラック企業に努めている人に対して「嫌なら辞めればいいじゃないか」と言って炎上していた。
これは極論ではあるが真実ではある。
が、しかし多くの人達は辞めたところで物事が物凄く好転するわけではない。
現実には強い粘性がある。
これまでの人生は、これからの人生と強い関係性があり、一朝一夕でバラ色に突然輝いたりはしない。
パチンコの確変みたいに、ある日突然ボーナスタイムがやってくる事は人生においてはファンタジーである。
しょうもない人生の人はしょうもない人生が続くし、輝いた人生が続いている人はだいたいその後も輝いた人生が続く。
そういう事を考えると、先の双方のやり取りがどれだけ違う景色に基づいたものかがよく見えてくる。
堀江さんがもし仮にブラック企業に所属する事になったら、辞めればいいだけの話だ。
彼の人生はブラック企業務めのような暗い概念とは一ミリも関係がなく、相関性はほぼ皆無である。
辞めれば暗い人生を縁を切って、明るい人生が始まる。
しかし、ブラック企業に努めている普通の人がブラック企業を辞めたところで、まあ残念ながら同じような企業に転職するハメになるだけだろう。
そういう人生と強い相関関係があったんだから、まあ多分これからもそんな感じだ。
堀江さんにように、突然輝くはずもない。
3/11や9/11のように人生はあるとき突然崩壊する事はあるけれど、突然良くなる事は絶対にない。
残念ながらこれが人生のリアルである。
この事を理解した上で、人生には2つの戦略が産まれてくる。
僕はこれを
”置かれた場所で咲くしかない戦略”と、
”制度の穴をついて上手くやる戦略”と
よんでいる。
置かれた場所で、咲くしかない人。仕組みをハックする人。
(出典:なるたる第一巻)
どんなに不平不満をいったところで、世の中は世の中を中心に回っているのだから、基本的には変わらない。
だから最初の頃は色々と身悶えしていた人も、だんだんと世の中の非条理さをうけいれて、世界のカタチにあわせて自分を削るようになる。
こういう人間は”置かれた場所で咲く”以外に最適解がない。
咲けないのなら枯れるだけである。
残酷に聞こえるかもしれないけど、世の中はそんなもんである。仕方がない。
なお、こういうタイプの人間の特徴として、他人の不幸や損を異常に喜ぶ傾向がある。
この手の人間はセカイが完全に固定しているのだから、何をしても自分が得する事はない。
唯一、自分が他と比較して利するのは、周りが全損した時だけである。
相対値に生きる、まったくもってあわれな存在である。
一方で、世の中にはシステムがある以上、抜け道やバグのようなものが必然的にある。
だから九州のド田舎で産まれた人間が大都会・東京で億万長者になる事も可能だし、公権力に潰されてムショ暮らしを余儀なくされても、刑務所から自筆でメルマガを書き綴り莫大なお金を稼ぎつづける事もできる。
人生は突然好転する事はありえないが、ちょっとずつなら変える事は全然可能である。
制度の穴をつき、これまでの過去のしがらみから抜け出そうと画策する。
すると驚くことに、だんだんと世界が自分のカタチにあわせて削れてくる。
これは嘘ではない。マジだ。
一度こうなったら、現実には強い粘性があるから、ちょっとやそっとじゃ元のやもめぐらしには戻らない。
なお、この手のタイプの人間は周りの幸福を素直に喜べるタイプの人間が多い。
相対に生きておらず絶対値で自分を自分で評価しているから、他人の損得にマジで1ミリも興味がなく、何の気遣いもしないで本音で話し合う事ができる。
一緒にいて、本当にラクになれる存在である。
昔、タイを旅して見えた日本人に産まれてよかった感と、そこから垣間見える新しいシンドさ
”制度の穴をついて上手くやる”
そんな事は自分にはできないと思う人もいるだろう。
まあそう思ってしまうのも仕方がないかもしれない。
現実は実際強い。
世界を自分に合わせて削るだなんてマッチョな事が、誰にでもできるとは僕も思わない。
かつて僕が小学生ぐらいの時である。
僕は家族旅行でタイに行き、そこで信じられないぐらい貧しい人達をたくさんみた。
新宿でもホームレスの姿をみた事はあったが、タイのそれは桁違いである。
物乞いをマジマジと見ていた僕に母はこう言った。
「日本に産まれて、よかったって思わない?」
タイの貧民街で暮らしていたあの人達が、”制度の穴をついて上手くやる戦略”を用いて個人でのし上がれる可能性は、恐らくほぼゼロだ。
今では経済が発展しただろうから多少は生活環境がよくなったのだろうが、それは個人の努力ウンヌンの話ではない。
そういう風に世界が勝手に良くなる事もあるが、それは個人の力ではどうにもならない因子だ。
貧しい国では、運命は受け入れるものでしかない。
少なくとも、決して切り開くものではないのは確かだ。
一方、日本でそれをどうにかやる難易度は、さすがに20年前のタイよりかはイージーだろう。
日本は個人の努力で世界を自分の形で削り取れる可能性が、そこそこある。
悪魔ダイスを振りまくれば、6が出る事もあるだろう。
*
けど・・・だからこそ、悪魔ダイスを振れる人間や、そもそも悪魔ダイスを振らなくてもいい人間に嫉妬してしまう気持ちも・・・わからないでもない。
となりに可能性が満ち溢れているからこそ感じる個人のシンドさというのは、確かにある。
「あいつができて、なぜ俺にはできない」
そういう新しいタイプのシンドさは、発展途上国にはない先進国独特のものだろう。
運命を切り開ける可能性がみえてしまうのも、それはそれで人に苦しみをもたらす。
コロナショックで短期の経済発展が絶望的になり、世界が急速には良くなりそうにも無い今、改めて思う。
制度の穴がみえない人間にとって、先進国の豊かさはかえって残酷なのかもしれないな、と。
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