部屋を片付けられない人間
おれは「片付けられない人間」だ。世の中の人間を片付けられる人間と片付けられない人間に分けたら確実に後者。普通に片付けられる人間を100とすれば、おれはマイナス100だ。そんな人間の言い分は以前書いた。
おれの部屋は衣料と本で積み上がり、わけがわからなくなった。ただ、上の記事に書いたように不潔は嫌いだ。
おれのなかの基準である「不潔」だ。食べ終わったコンビニの弁当のパッケージが部屋に転がっていることはない。埋もれていることもない。そこは切り分けている。
とはいえ、おれがおれの城、Ein im Müll versinkendes Schlossにも限界というものがある。いや、おれ一人だけの世界であれば限界はなかったのかもしれないが……。
部屋も見せられない人間は信用されない
手短に言えば、干支が一回りより下の彼女に、「二年間も付き合っていて、部屋も見せられない人間とはずっと一緒にいられない」と言われた。
唐突な話ではない。ひと悶着、ふた悶着あった末のことばである。そこは割愛する。
部屋の前までは来たことがある。近くで待ち合わせをしていて、おれが財布を忘れたときのことだ。
そこでもおれは「中を覗かないで下さい。外の盆栽を見ていてください」といって、一歩たりとも我がゴミ部屋に入れようともしなかった。盆栽の多くは枯れた。
が、年貢の納め時である。おれは部屋を片付けねばならない。だが、おれはマイナス100の人間である。どうすればいいのか?
そこで彼女の側から提案があった。プロに頼めばよいのではないか? と。その発想はなかった。そして、「ゴミ屋敷バスター」のようなYouTube動画を一緒に見た。……なるほど、プロか。
とはいえ、ケースにもよると思うが十数万円かけて何人もの人間が入るほど我がアパートは広くないし、先ほど述べたように「狭義の」ゴミはない。ちょっと違うかもしれない。
さすがに胸の高さほどには「広義の」ゴミも積み重なっていない。ゴミ屋敷バスターはちょっと違うかもしれない。
そして、AIなどに聞いたりしつつ出た結論が、「暮らしのマーケット」みたいなところで片付けのプロにお願いすることだった。
さっそく地元のプロを探してみると、レビューの件数と評価が非常に高い個人の人がいた。レビューの内容はというと、褒めちぎりというか、崇拝というか、本当にありがたがっている人たちの声に溢れていた。「この人に頼むべきでは」ということになった。
ただ、その人(女性)は、基本的に女性の部屋専門である。しかし、女性の家族などが同席していれば、男性の部屋もやってくれる。彼女が有給を取って同席してくれることになった。
1時間4,000円で6時間、おれは依頼を出した。依頼は受諾された。おれも一日会社を休む。そのくらいのことは、当たり前だろう。しかしなんだ、ココナラにせよ、暮らしのマーケットにせよインターネットとは人と人をつなげる便利な面もあるものだ。
大掃除の下準備
大掃除はプロの来る前日から始まった。プロが来るのは月曜日だった。
まず、彼女がおれの部屋の中に入り、惨状を見た。見たうえで買い出しに出た。ドンキ、100円ショップ。ゴミ袋や清掃グッズ。
おれには理解が及ばないが、必要でいて最小限。いろいろ買った。100円ショップでスリッパも3足買った。素足で入れる部屋ではない。いや、おれは素足で暮らしていたのだけれど。
おれのアパートは1DKというのか、ふた部屋に分かれている。プロに写真を送ったのはベッドがある方の部屋だ。
プロがどのくらいの速度で仕事をするかわからない。とりあえずおれはシステムベッド下の衣料をなんとか収納してほしかった。
一方で、キッチンのある部屋は自分たちで下処理しなくてはならない。
まず彼女に言われたのは、「玄関を塞いでいる靴を全てゴミ袋に入れろ」ということだった。ゴミ袋に入れるからといって、捨てるわけではない。とりあえずスペースを作る、人が通れる動線を作る、それが目的だ。おれは大量のメレルの靴をゴミ袋に入れた。
彼女も清掃のレベルが100くらいの人だった。同じようにテキパキと指示を出し、キッチンの部屋側にあった衣料を整理していった。
こちらの部屋にはほかにも未開封のレトルト食品や、清掃グッズや未開封のゴミ袋にあふれていた。清掃しようという意思だけはあったようだが、行動にはつながらなかった。
おれはかなり思い切ってたくさんの服を捨てた。残った服はゴミ袋に詰めてベッドのある部屋に放り込んだ。
放り込んだ先はプロがなにかやってくれるに違いない。そう信じたいところだったが、「この量を?」という疑念も残った。
そしておれのキッチン側の部屋の床が見えた。床は多くの部分が変色しており、どうにもならない。アニメ『ヤニねこ』の部屋の畳でも想像してほしい。
でも、床が見えた。ゴミも大量に出た。すごい量だ。しかし、十年、二十年のゴミと思えば当たり前の量だろう。
片付けのプロ
さて、プロの来る朝だ。まだキッチン側のゴミ捨てなどしていたら、それらしい人がアパートの前を通った。
「プロの人ですか?」と声をかけた(いや、文言は違うけど)。その人だった。女性の人について歳のことを書くのは気がひけるが、おれよりけっこう若いのかな、と思った。
スリッパを履いてもらって、奥の部屋に入ってもらった。おれのベッドの下にはプラスチックの収納ケースが大中小7つあった。
そこから衣料が溢れていた。収納があるのはよいことらしかった。ボックスの棚をキッチン側の棚に出して、「いらないものは捨ててください」(本当はもっと丁寧な言い回し)となった。
おれはまた捨てるマシーンになった。捨てられない人間だからこうなったのだ。捨てなければならない。
がんがんゴミ袋に衣料を突っ込んだ。とくに、かつてやっていて、またやるかもしれないと思っていたサイクリング系の衣料は全て捨てた。おれは去年の12月に希少がん(大腸)の手術をして、LARSという排便障害にもなり、運動どころではなくなったからだ。
かつて長距離ライドをするときに着たウェアも捨てた。がんになる前通っていたちょこざっぷ用に買ったスポーツウェアも捨てた。あとはもう、「着ていないかな」とちょっとでも思える服も捨てた。おれとしては、捨てに捨てた。
プロの人は捨てることを強要することはなかった。そこは徹底していた。ただ、「これ、どうします?」と、掛け物などを見せてくる。
その手にあるものは汚いゴミにしかみえなかった。だいたいもう使っていない。選択肢はない。その塩梅がプロだった。捨てるものはどんどん増えていった。
なかでも印象的なのは洗濯ハンガーだった。25年以上前に、一家離散して、おれが一人暮らしを始めるときに母から必要品として買ってもらったものだった。
あまり大きくはないが、メーンの洗濯ハンガーに収まりきらないものを干すのに使っていた。そのハンガーは20年ものとしては丈夫だった。が、あるときうっかり踏んで割ってしまった。自分としては思い入れのあるものなので、ビニールテープで補修したりした。でも、結局は使わなくなってしまった。
そのハンガーをプロの人が手に取り「これはもう……」と言った。なんの異論も反論もなかった。
第三者の手にあるそれはゴミそのものだった。そうとしか見えなかった。おれは「それはもう捨ててください」といった。なんの後悔もなかった。
それが、掃除というものだった。おれが避けて、逃げて、あるいは元からまるで理解していないものだった。
全てを保存できる無限に近い空間を持つ人間など限られている。われわれは生きていくうえで捨てていかなければならない。よほど小さなものなら別だろう。でも、そこに思い入れなど不要なのだ。
結局、キッチン側は彼女の努力とおれの微力な助力で床がすっきり見えた。ベッドの方はプロの人の迷いない最速の作業と、空間の把握によって片付いてしまった。
どちらも驚愕だった。あれだけの衣料がこのスペースに? いや、無理だろう。でも、無理じゃない。これはやばい。やばいプロの収納術だ。
今回、プロの収納術を間近に見て、服のナイスな畳み方など教えてもらおうと思っていたが、おれはおれで片付けとゴミ捨てに集中していたので無理だった。
でも、残されたものから畳み方や収納の仕方は学べる。大きな財産だ。なにより、このスペースを維持していかなくはならないという、妙な義務感が生まれた。残されたものでもまだ捨てるものはあるだろう。それは正直しんどい。でも、悪くない。
その後
まだ、おれの部屋には暗黒部分がある。ベッドとは反対側のわりと広い収納スペースに、大量の本がある。そちら側は床も見えない。とはいえ、今回の大掃除で3/4は片付いたといっていい。床の変色などはどうにもならない。
部屋の床が見えるようになって、おれは正直戸惑った。会社から帰ってきて、こっちの部屋、あっちの部屋、うろうろして、どうしていいかわからなくなった。
あと、部屋に収納器具が足りないと彼女から指摘された。収納器具がないから、床に物を置くことになるのだと。
ちょうどAmazonでセールをやっていたので、大きめなキッチンラックを買ったりした。あと、台所の収納器具も。全て彼女のアドバイスだ。今までおれが置いていたものはなんだったのだろう。片付けるのが苦手な人間は、ものをしまう器具を買うのも不得手だ。そう実感した。
そうしておれは、古いアパートの整頓だの掃除だのを、遅々としながら進めている。
まず掃除が必要だった掃除機も動く(汚れていたものを発掘したのだ)。
これでおれの人生は変わるだろうか。よくわからない。1/4の本の部分もある。でも、なにかは変わった。たぶん良い方へ。
おれのように片付けられないやつへ。彼女がいるかどうかは知らんが、お金を払えばプロがやってくれる。プロはおまえに不快感を与えないようにやるだろう。
人生における第三者の目の必要性、これをおれは実感した。そのことを伝えておく。
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(2026/8/3更新)
【著者プロフィール】
黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
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