とても魅力的な本を読んだ。”こんな夜更けにバナナかよ”である。

本書は鹿野靖明さんという重度障害者の物語だ。

 

彼は筋ジストロフィーという難病にかかり、自分一人では生きる事ができない障害者になったものの、数多のボランティア達の手を借り、施設に入らず自宅で何十年もの間、日常生活を送り続けた。

 

完全に進行してしまった筋ジス患者は全身の筋肉が使えなくなる事から、自分の意志で肉体を動かすのがほぼ不可能となる。

いわゆる全身不随みたいなもんで、1人では食事すら食べられないし、胸と喉の筋肉が衰える事から人工呼吸器の装着ならびに”24時間”の痰の吸引が生きるにあたって必要となる。

 

普通、このような状態になったら病院あるいは介護福祉施設での世話を余儀なくされる。

傍から見れば施設送りも仕方がないとしかいいようがないこの状況だが、自宅でない場所で介助される側の苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあるようで、鹿野靖明さんは施設を抜け出し、数十年もの間、ほぼ無償のボランティア達と自宅で生活をやり抜いた。

 

「あなた達だって仕事が終わったら家に帰るじゃないですか。僕だって家に帰りたいんですよ。障害者だってその権利はあるはずだ」

これは退院を渋った主治医と鹿野さんの対話で出てくる本音だ。

 

僕も一度入院した事があるのでよくわかるのだが、入院生活は本当に苦痛以外の何物でもなかった。

確かに、食事は黙っても出てくるし、介助もたっぷりしてもらえる。

 

けど、自由がそこにはない。

病院生活で自分が願った事はただ一つ。

一日でも早く自宅に帰りたい。

本当にその一心だけだった。

 

長期の入院や介護福祉施設での生活というのは、生きる歓びを大きく奪われる。

全身不随の障害者がその歓びを自分の力で再獲得していくこの本は、不思議な希望に満ちた傑作である。

 

なぜ無償で障害者に尽くせるのか、それは他人のキモさをみせてもらえ、自分のキモさを愛でてもらえるからではないか

本書を読んで何を思うかは、それこそ人それぞれだろう。が、いの一番に多くの人が思う事はこれだろう。

 

「なんで、タダで障害者に尽くせるんだ?」

 

最初に断っておくと、鹿野靖明さんは人格者ではない。

それどころか非常にワガママで”介護してもらってありがとうございます”というスタンスではなく、むしろ逆に「あれをしろ、これをやれ、俺が困ってるんだから当然だろ」という我の塊のような態度でボランティアと接していたそうだ。

 

そんなもんだから、多くのボランティアと一度は必ずといっていいほど大喧嘩し、あげく

「二度とくるな」

と啖呵を切りまくっていたのだという。

 

お金を貰うどころか、無償でわざわざ寝ずの介助をして、それでいて激高されて不快な思いもする。

普通に考えれば、こんなブラック企業も真っ青な場所でボランティアをやろうと思う人はいないだろうし、ましてこんな横柄な態度をとる障害者を好きになる人なんてこの世に存在しなさそうに思える。

 

が、実際はむしろ逆で、鹿野さんは非常に多くの人に慕われていた。

最終的には大往生といってもいい形で果てるのだが、葬儀には500人近い人が集まったというのだから、ちょっと尋常ではない。

 

なぜ、こんなキセキとしかいいようがない芸当が成し遂げられたのか。

読後、長い間考え続けていたのだが、僕が至った結論は”人間の一番キモい部分を見せてもらえ、その上で自分のキモい部分を愛でてもらえたから”というものだ。

 

キモさは動物としてのヒトの魅力に繋がる

二村ヒトシさんが書かれた”すべてはモテるためである”という本がある。

 

この本の冒頭で彼は

「あなたはなぜモテないのか。それは、あなたがキモチワルいからです」

という圧倒的事実を突きつけ、読者の心を揺さぶる。

 

数年前にこの本を読んだ時、僕は「己のキモさを正視して、それをカイゼンしろ」というニュアンスでこの言葉を汲み取った。

モテたければ、キモさを消してキレイになればいい。

確かにまあ、それができればモテるようになるかもしれない。

 

しかし”こんな夜更けにバナナかよ”を読んでから、この言葉の意味する事が、実は僕が最初に思った事の真逆といってもいいのではないか、と思えるようになってきた。

 

筋ジス患者である鹿野靖明さんは、まあこういっちゃなんだがキモさの塊だ。

身体はガリガリの骨身であり、ウンチもオシッコも垂れ流しだ。

手も動かせないから、性処理だってムラムラきたら誰かに頼まなくてはいけない。

おまけにそれでいて、ワガママときた。

 

この状態をキモいと言ってしまうのは語弊があるのかもしれないが、少なくとも絵になるような美くしさからは程遠い何かな事は間違いない。

それこそ、キラキラしたインスタグラマーの投稿には絶対に登場しない性質のものである。

 

キモくても我を突き通して生きてていいというのは、極上の許しである

しかし逆説的ともいえるのだが、このキモさを隠さない事がたぶん鹿野さんの人間としての魅力なのである。

気弱そうにとか、恥ずかしそうに介護を頼むのではなく、正々堂々と「あれをしろ、これをしろ。そうしないと俺は苦痛で辛いんだ」と己に真心から向き合った上で対話を心がけられる事で、たぶんボランティアの心の中で宗教における目覚めにも近い現象がおきる。

 

「ああ、人間って”駄目”でもいいんだ。助けてもらう事は”恥”ではないんだ。ワガママだって、生きる上で本当に必要な事ならば、正々堂々と主張するべきなんだ」

 

こうして人間の全くデコレーションされていない駄目な姿を正面から全力でぶつけられる事で、ボランティアの方々の心の枷のようなものが外れる。

その上で、たぶん鹿野さんもボランティアの方々のキモい部分を意図せずとも何らかの形で愛してあげていたはずだ。

その結果、ボランティアの方々の心の中にある”閉塞感”としか形容しようがない、現代社会に蔓延している”生きにくさ”のようなものが雪解けしたんじゃないだろうか。

 

人間というのは面白いもので、他人の駄目な部分がかわいらしくみえるようになると、今度は自分の駄目な部分を愛せるようになる。

人間は清廉潔白ではあり続けられない。

現代社会はそれこそ何でもかんでも他人の顔色をうかがって、自分の駄目な部分はカイゼンしないといけないというある種のドグマに満ちているが、実のところどうしても消しされないキモチワルイ部分が誰の心の中にも必ずある。

 

以前、熊代先生の”健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて”という本を読んだ感想を書いたのだが、僕はその結論として己の中にある動物性に向き合う事が現代社会に蔓延する生きにくさからの脱却に通じるのではないかと書いた。

この動物性だが、実のところ3大欲求のようなわかりやすいものではない。

少なくとも快楽を追求しても、動物性は決して満たされない。

 

では動物性とは何か。

それは自分では絶対に消したり改善することができない”己の最もキモい部分”だというのが僕の答えだ。

そしてそれを無視したり否定したりカイゼンしようとなんてせず、己の一部として受け入れた上で、素直に誰かに伝え、かつそれを愛してもらえるとヒトの心は本当に真っ白く浄化される。

 

その人のいい所ではなく、本当に駄目でキモい部分こそが本当の愛おしさに満ちた部分だ。

そして僕はその人間のキモさの根源が男性は”性欲”で女性は”お気持ち”にあると思う。

 

男性は52秒に一度セックスの事を考える。女性は(たぶん)24時間共感される事を求め続けている

橘玲さんの”女と男 なぜわかりあえないのか”という本の中で「男は52秒に一度セックスのことを考える」という衝撃的な研究結果が紹介されている。

 

「男って本当にバカねぇ」

 

これを読んだ女性の方はそう思われるかもしれないが、何も男性だって考えたくて毎分毎分エロい事を考えているわけではない。

”そういう風に、できている”としかいいようがない。

男というのは本当の本当にドスケベなので、性愛からの排除される事は男性にとって説明がしようがない程に苦しい。

 

「別にセックスなんてしなくても死なないでしょ?喉の乾きや飢えの苦しみとは違うのだから、性愛なんて必要なくない?」

 

確かにその通りである。本当の本当にその通りとしかいいようがない。

しかし…本当に苦しいのだ。

女性からすればバカバカしい話にみえるのだろうし、キモくも思えるかもしれないが、男というのはそういうものなのだ。

 

なにもキモいのは男性ばかりではない。

僕が思うに女性も一つのキモい根源的欲求を持っている。

それは”共感して欲しい、優しくして欲しい”というものだ。

 

実のところ、話を聞いてもらったり誰かから優しくされるという事は、ハッキリいってただ生きるだけならば全く必要がない。

しかし多くの女性にとって、これがない生活は苦痛としか形容がしようにないモノのようで、インターネットでは話を聞いてくれなかったり、女性として優しく扱ってもらわれなかった事をなげく女の怨嗟がそこかしこに蔓延している。

 

僕を含む多くの男性はこう思うだろう。

 

「共感なんて、なくても生きていけるでしょ?優しくだなんて、されなくても別によくないか?」

 

僕も本当にずっと長い間そう思っていた。

しかしこれを男性用に翻訳すれば、たぶんこういう事なのだ。

 

「一生、性欲を果たせない呪いをお前にかけた。ざまぁwww」

 

こう言われれば、やっとこさ女性の”共感や優しさのない”事がどれぐらい苦しいものなのかが理解できるのではないだろうか?

男も女も、生存するにあたって全く必要がないはずなのに、それが無いと苦しくて苦しくて仕方がない駄目な部分があるのである。

それがヒトの動物性であり、キモくて愛してもらいたい魅力的な場所なのだ。

 

奢り奢られ論争には女性のキモさが集約されている

古今東西、太古の昔から現代に至るまで延々と繰り返されているインターネット・ミームがある。

男女の奢り奢られ論争だ。

 

 

健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会に基づいて考えれば、奢り奢られの答えなど一択しかない。

”ワリカン”。それで全ておしまいである。

一切の議論の余地なくリベラルな模範解答だ。


制作・著作
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しかし、その回答には人類は全く到達しそうにはない。

何故か?それは奢り奢られ女が求めているものが、”女性として優しく扱って欲しい”というお気持ちだからに他ならない。

 

奢り奢られ女はなぜ「男らしく奢れ」とフンガフンガいってるのか?

それは奢られるという行為を通じて、”女性として優しく扱われている”という快楽に身を委ねたいからだ。

金額はその絶対評価であり、”ワリカン”はその人にとってはだが”女として優しく扱われていない”事の逆証明になる。

 

だから奢り奢られ女は絶対に”ワリカン”というリベラルな回答にはたどり着く事はない。

「女性はメイクなどの美容代がかかってるのだから、男性が多く負担を持つのは当たり前」といったような難癖を繰り返す。

 

そして男性は男性でアレコレ反論を提示するが、根本思想が食い違ってるので、いつまでたっても議論は平行線だ。

たぶん、日本と韓国が仲直りしても、まだ男女はこの争いを繰り広げているのではないだろうか。

 

しかしである。

仮にだが、女性が「奢ってくれなくてもいいけど、奢ってもらえたら、女性として大切にみられてる感じがして満たされるんだよね」って素直にあなたに言ったらどうだろうか?

 

僕を含む多くの男性は「奢ってもいいかな」と考え直してしまうだろうし、仮に本当にお金が無かったら、その事を素直に詫びつつも、女性に普段以上に優しくなろうと思えるのではないだろうか。

 

「そんな恥ずかしいこと、いえるわけないじゃないか」

たぶん、多くの人はそう答えるだろうが、それこそこの恥ずかしい事に向き合えないからこそ、奢り奢られ女が「キモい」のであり、逆に素直に言われたら割と多くの男性はその態度に愛おしさを感じるはずだ。

 

奢り奢られ女が己のキモさに向き合い、素直になったら割とそのダメさを受け入れられる男性は実際、多いように思う。

少なくとも高慢ちきに”ケチ”とか”男らしくない”とか他責的に言ってくる人よりも、数千倍は魅力的だろう。

 

欠損こそが人が愛し愛されるために必要な場所だった

恥ずかしさを乗り越えて、自分の絶対に消えない気持ち悪い部分を素直にみせる。

そういう姿に人は魅力を見出すものだし、その魅力こそがヒトの動物として、最も尊い部分なのだと僕は思う。

奢る事を通じて優しくして欲しいという、人間の醜い部分だって見せ方次第でいかようにもなる事を知ったいまの貴方なら、理解は容易いはずだ。

 

あなたも己の弱さや動物性に向き合って、それを大切な人に素直に伝えてみてはいかがだろうか?

大切な人の動物性をもっと尊重してみて、それをくすぐってみてはいかがだろうか?

”健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会”が生み出す形容しようがない息苦しさの正体は、キレイなものしか存在が許されないという空気であり、欠損を愛せる可能性の喪失だ。

 

なんというか「駄目でもいいんだよ」とか「むしろ駄目だからこそ、好きなんだ」って、大見得を切って言い合えるような世の中こそ”愛”があるって感じがしませんかね?

いつまでたっても”駄目”で居続けてくれるからこそ、終わることなく愛し続けられるわけですし。

 

お互いがお互いに足りていないからこそ、末永く愛する事ができる。

欠損こそが人が愛し愛されるために必要な場所だったんだって事に、僕はやっとこさ気がついたのである。

参考画像 プラネテス第4巻

 

 

 

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。

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