ゲームと親子関係の話をします。

最近、家庭内が何故かゼルダブームです。

 

長男がSwitch版「ゼルダの伝説 夢を見る島」にハマり始めまして、今もうオオワシの塔くらいまで進んでいるみたいです。

ゼルダの伝説 夢をみる島 -Switch

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方、それを見て「面白そう!!」と騒いでいた長女次女も同じく夢島を始めるのかと思いきや、どういうわけか「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(以下BotW)」の方を遊び始めました。

ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド

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次女は私が仕事中にちょくちょく電話をかけてきてはゲームの進捗報告をしてくるのですが、先日パラセールを取った後「初めて村についたよー!!」というのでてっきりカカリコ村かハテノ村に着いたのかと思ったんですが、「海のそば」とか「桟橋がある」とか「マックスサザエ」というような言葉を聞いている限りどう聞いてもウオトリー村で、「え、この子なんではじまりの台地からいきなりフィローネ地方に突っ込んでるの…?っていうか初期装備でフィローネのジャングル突破したの…???」と混乱していました。

 

後から足跡を確認してみると、どうもはじまりの台地からハイリア湖の方に降りて、塔もほこらも道も無視してモンスターからガン逃げ、何度か死にながらレイクサイド馬宿の辺りまでたどり着いたらしく、「こんなルート成立するんや…」とBotWの自由度に今更戦慄しました。

他人のルート後からおっかけるの超楽しいですよね。

 

本人曰く、「敵から逃げるのが鬼ごっこみたいでドキドキして楽しい」らしいです。

人に教わってではなく、自分でゲームの楽しさを見つけられるというのはとても良いことです。

次は是非ハイラル城でガーディアンと鬼ごっこして欲しい。

 

すいません、BotWやってない人には良く分からないと思うんですが、「そういうもんなのか」と思って納得頂けるとありがたいです。

 

一方の長男の方は、「夢を見る島」について「ダンジョンをクリアした時にすっごい気持ちいい」とか「アイテムが手にはいるごとに行ける場所が広がるのが凄い楽しい」とか言っておりまして、「そうそう、そうだよな!!!!!!」と物凄く共感してしまいました。

 

私に関する限り、ゼルダシリーズの楽しさって「ギミックを解いた時の達成感」と「少しずつ行動半径が広がっていくことによる解放感」の二つを中核にしていると思っていまして、長男の感想もまさにそこを射貫いていましたので、ついつい嬉しくなってゼルダ話で盛り上がってしまった、というわけなんです。

 

以前から思っていたことなんですが、こういう風に「子どもと同じ視点、同じレベルで盛り上がれるコンテンツってもの凄く貴重だなー」と。

夢を見る島なんて私が遊んだの30年近く前なのに、リメイクとはいえ同じゲームで同じ感想を抱けるなんて、滅茶苦茶幸せなことじゃないかと思うんですよ。ゼルダ凄い。

 

***

 

ただ。

私の周囲を観測してみたり、世間一般を観測してみると、「子どもが何かのコンテンツにハマっていることを否定的に捉える人」ってどうも物凄く多いような気がしています。

 

「子どもがハマっているものが大人に理解出来ない、何が楽しいのか分からない」ということ自体は、昔からよくある話です。

子どもは成長と共に色んなコンテンツに触れていくものでして、そしてコンテンツは時代と共に進化していきます。

新しく生まれたコンテンツについて、その面白さが子どもには分かるけれど、大人にはさっぱり分からない、なんてことはまるで珍しいことではありません。

 

我々は今まで、何度も何度もそういった、「新しいコンテンツに対しての旧世代と新世代の対立」を目にしてきました。

小説。漫画。アニメ。ゲーム。古くはロックミュージックだって新世代と旧世代の軋轢の対象になりましたし、新しくはyoutuberとかVtuberの動画なんかもそういう対象になるのでしょう。

「子どもがyoutuberの動画観てばっかで訳分からない」という話は、私自身結構な頻度で聞きます。

 

私も最近になってようやく実感できるようになったんですが、実際のところ世の中には、「趣味やコンテンツに真剣にハマったことが一度もない人」というのが実際かなりの数いるようなんですね。

で、そういう人たちには「ハマっている人」の挙動が時に薄気味悪くみえるようで、「不健康だ」とか「不良になる」といった言葉で、自分に理解出来ない趣味やコンテンツを封じ込めようとしたりする人たちも中にはいるんです。

 

人間、「理解出来ること」には好感を持ちやすいけれど、「理解出来ないこと」には不快感を抱きやすいんですね。

これはもう本能的な部分の問題なので、ある程度は仕方ないんですが。

 

ただ、これが親子間で起きてしまうとそりゃもう悲劇的でして。

子どもが見つけだした「大好きなコンテンツ」を親が理解出来ない。

だから、それにハマっている子どもたちに正体不明の不安を感じてしまって、時にはそれを取り上げたり、禁止したり、ひどい時にはコンテンツごと否定したりしてしまいます。

折角見つけた「好きなもの」が全否定されちゃうんですよ。

 

それによって、親と子どもの間には大きな断絶が産まれてしまいますし、時には後々まで残り続ける禍根になったりすることさえある。

これってとても悲しいことだと思うんですよ。

正直、今までも散々「これにハマると不良になる」とか言われるコンテンツが発生して、それでも我々は適当に折り合いをつけて人生を送ってきたわけなんですから、多少のコンテンツで不安になる必要なんてないと思うんですけどね。

 

いや、もちろん、TPOってのは大事ですよ?

ハマり過ぎて他のことが手につかなくなってしまうとか、日常生活にも支障をきたしてしまうとか、そういった事態にブレーキをかけるのは親の教育の内です。

なので、「メリハリはつけようね」とか「宿題はちゃんとやろうね」くらいは当然言うべきです。それはしんざき家でもちゃんと教えてます。

 

ただ、「コンテンツの面白さが理解出来ない」「そもそも「ハマる」ということ自体の価値や感覚が分からない」「だからそれを否定してしまう」というところまで行ってしまうと、それはちょっと人間関係的に不健康なんじゃないかな、と。

口では子どもに対して「自分のやりたいことを見つけ出して欲しい」とか言っているのに、いざ子どもが自分に理解出来ない「やりたいこと」を発見したらそれを否定してしまうんですか、と。

 

まず一つ、「たとえ自分には理解出来ないコンテンツであっても、それを否定するのではなく尊重出来るといいですよね」ということが言えます。

 

***

 

それを前提とした上で、「親子が同じ立ち位置で楽しみ得るコンテンツ」「親子が歩み寄れるコンテンツ」の貴重さはもうちょっと認識されていいんじゃないかなあ、と。

 

例えば私は、自分自身ゲーム好きであって、子どもたちもゲーム好きに育ってくれていること、子どもたちと同じ目線でゲームを楽しめ、子どもたちとゲーム語りが出来ることを、奇跡のように素晴らしいことだと感じています。

そして、自分が今まであんまり触れていなかったコンテンツであっても、子どもたちが「お勧め」してくれるコンテンツについては、なるべく摂取して楽しさを理解しようとしています。

 

例えば私はあまり動画コンテンツを観たことがありませんでしたし、その面白さもいまひとつわかっていなかったのですが、それでも最近「子どもにお勧めしてもらったから」ということでアニメを観始めたり、youtuberの動画を観始めたりしまして、段々そういうコンテンツの話でも盛り上がれるようになってきました。

 

別にゲームやアニメだけの話ではありません。

どんなコンテンツでも同じでしょう。

「子どもが何かにハマっている」って、なんなら「それに一緒にハマることが出来る」という一つの大チャンスだと思うんですよ。

 

親子ってどうしても複雑な関係になりがちですし、適切な距離感を保つことも難しいです。

子どもはいつかは親元を巣立っていくものですし、「親子関係」というものはいつかは希薄になっていくものです。

それは当然です。

 

ただ、「コンテンツ」を橋として、「趣味仲間」としてのチャンネルを一方で確保しておくことが出来れば、親子関係が緊張化した時も趣味の仲間としてはずっと対等でいることが出来るし、もしかすると長く良好な人間関係も築けるかも知れない。

それに、子どもの「好き」というパワーは、元来物凄いものです。

何かのコンテンツにハマるという力が、時には全く違う興味に繋がったり、色んな知らないことを学び始めたりする。

 

以前この記事でその辺の話を書きました。もしよかったら読んでみてください。

「好き」をここまでパワーに出来るのは強いなー、と思った話。

 

子どもの「ハマり」を否定している人を見ると、そういう可能性を考えないのかなあ、と思って、ものすごーく勿体ないなーという気がしてしまうんですよ。

 

***

 

しんざき家では、目下「ゲーム」「漫画」という趣味はもともと私の領分であって、子どもたちと同じ視点で楽しめておりますし、一方今でもお互いに「お勧めコンテンツ」を投げあって、当然無理には勧めないまでも、首尾よくハマってくれたらお互いにほくそ笑んでいたりします。

 

理解出来ないものであっても、最低限尊重する。

一方楽しさを共有できるものについては目いっぱい一緒に楽しむ。

そういう関係を、今後とも末永く続けていければいいなあ、と。

そんな風に考えているわけなのです。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

 

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【登壇者紹介】

安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00

参加費:無料
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(2025/6/2更新)

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

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