少し前に”仕事辞めて数年経った友人が老害みたいになってきてつらい”という記事を読んだ。
最初の1年ぐらいは楽しげに趣味に生きてて「いいなー、羨ましいなー」とか話してたけど、2年目の途中ぐらいから如何にもネットがどこかで拾ってきたような浅い知見を披露することや、著名人を含め他人を非難するような発言が増えてきた。
3-4年ぐらい経った今となっては話しててもすぐに何かの批判になったり、自分の経験だけから何かを決めつけるような発言が増えて、話すのもしんどくなってきた。
表題通りなのだが、一応あらすじを簡単に述べよう。
知り合いが仕事を辞めてアーリーリタイアをキメたところ、最初の1年ぐらいはマトモだったのに3~4年でいわゆる老害になり、一緒に居てキツくなってきたという話である。
これには自分も既視感を覚える事が色々ある。
仕事を辞めると、人は劣化する。
いったい、私達は仕事を通じて何を得ているのだろうか。
最近、この事について自分の中で一つの答えが出たので、今日はこの話をしようと思う。
人はみな、老害になりたい願望が自分の中にある
「最近の若者はけしからん。俺が若い頃は…」
いかにも現代的なワードにもみえるが、この言葉は数千年前のエジプトのものだ。遺跡から発掘された粘土板に書かれていたのだという。
現代では”老害”という単語でいやらしいタイプの大人が侮蔑されているが、上のエジプトの粘土板に書かれたような立ち振る舞い方はまさに”老害”だ。
「こんな大人にはなりたくない…」
私達は誰しもが若かりし頃、こんな願望を持っていたはずだ。
それにも関わらずである。老害化は数千年前から繰り返し繰り返し起きているのである。
なぜそんな事が起きるのか。
考えられる結論は一つしかない。
それは「実は私達は誰もが老害になりたい」という願望を持っているという事だ。
「えええっ?」
最初にこの考えを知り合いから聞いた時、僕は心底ビックリした。
あんなにも嫌っていたはずの存在に、実はみんながなりたい願望があるだなんて……
けど、そう考えると確かにものすごくシックリくる。
人間は本当にやりたくない事は基本的にはやれない。
老害的立ち振舞いだって、本当の本当にやりたくないのならやらないはずだ。
が、それでもやってるという事はだ。人に老害願望があるというのは理にかなっている。
「老害とは、ある種の人間の理想が行き着いた先なのではないか…」
その着眼点にたどり着けた事で、僕はようやく老害の本質が理解できた。
老害とは、他人の目をうかがわなくてよくなった、人間の行きつく先なのだ。
この事を理解する為には、人間が社会で生きる動物であるという事をまずはおさえる必要がある。
「誰の目も意識せず、自分の好きをやる」のはヤバい
人間は社会的動物だ。その人の評価は他人からどうみられているかで決まる。
「あの人は仕事が凄くできる」
「立派な人だよ…あの人は」
こう言ってもらえると、人は物凄く満たされる。というかそう言ってもらいたいからこそ、人は色々と頑張れる。
そのためにはやりたくない事だったり面倒事すら引き受けられる程である。
「みんなに自分の事を良く意識して欲しい」
私達は誰しもがそう思っている。
けど…他人の目ばかり気にするのは疲れる。だから
「もう誰の目も意識せず、自分の好きにやりたい」
という願望も同時に持っている。
他人に良く意識して欲しい…けど、人の事を考えないで自分の好き勝手もしたい。
多くの人は様々なしがらみもあって、後者の願望のみを自由気ままには行使できない。
けど、十分なお金が手に入ってアーリーリタイアをキメられるような人や年金生活者は話が別だ。
この手の人達には経済的自由があるから 「他人の目を気にせず、自分の好きな事だけをやる」という権利のみを行使できるようになる。
「ああ羨ましい。組織のしがらみにとらわれず、自由気ままに生きられるだなんて…」
誰もがそう思うだろう。が、事はそう単純ではない。
人の目を気にしなくなったら、人から評価されるポイントが意識できなくなる
私達が人の目を意識して行動していたという事はだ。
逆説的に言えば他の人もあなたの事を少しは意識していてくれたという事だ。
組織の中にいるからこそ、私達は他人が何をして欲しいかを態度や言葉で言ってもらえる。
結果、私達は他人が何をやってもらったら喜ぶかが理解できる。
じゃあ逆はどうだろうか?
仕事を辞めて、組織から逸脱するという事はだ。誰もあなたの事なんて意識しなくなるし、何をして欲しいかなんて全く教えてもらえなくなるという事だ。
結果、あなたは他人が何をしてもらったら喜ぶかがどんどんわからなくなる。
人の目を気にしなくてよくなった人は、それまでなら察知できた人に評価される為のポイントが見えなくなり、結果として他人が何をして欲しいかの焦点がどんどんズレていく。
これはかなりマズい。こんな風になってしまったら、いくら頑張ろうが他人から評価されなくなる。
だってこの人は相手が欲しいものを、与えられないのだもの。
老害とはウォーリーを探せなくなった人
ここで例え話を一つしよう。
僕が小学生の頃、ウォーリーを探せという本が流行っていた。
知らない人用に説明すると、これはある種のモノ探し本で、見開きの中に隠れているウォーリーを探し出す本だ。
この本だが「ウォーリーを探せ」と言われれば私達は絵の中からウォーリーを面白がってみつける事ができる。
けど「ウォーリーを探せ」と言われなければ、誰もあの本を同じようには面白くは読めないはずだ。
多分、ものすごく退屈なイラスト集にしか見えないだろう。
このように”目的”の有無は本当に大きい。そしてそれは”他人の目”を気にして生きるという事にも同じ事がいえる。
組織で他人の目を気にして生きていた人が、他人の目から解き放たれる事を選んだ瞬間、もうその人の中からウォーリー的何かは雲散霧消し消えている。
その人はもう二度とウォーリーは探せなくなり、後には無目的で退屈なイラスト集だけが残る。
それまで他人の目を気にして築き上げてきた社会的評価は、その人が本当の意味で人の目を気にせず、自分の好きにやる事で維持できる程には容易いものではない。
「前と同じような事をしている”はず”なのに、なんでみんな評価してくれなくなったんだろう?」
自由気ままにをキメた人は当然そう考えるのだけど、行動基軸がブレてるのだから同じことをやってる”つもり”でも実際にやってる事は全然違う。
こうして、他人の目から解き放たれた人からは能力が消える。
それに伴って、自尊心もなくなってゆき、だんだんと良心やモラルといったものが崩れ落ちてゆく。
その結果どうなるのか?それが老害だ。
老害とは”他人の目をビクビクと気にしたくない”という、私達の”なりたかった姿”の果てなのだ。
他人の目を強く意識する動物だったからこそ、ヒトは地球の覇者となりえた
私たち哺乳類は、元々がビクビクしないと生きていけない生物だった。
太古の昔は被食者だった私達の祖先は、本当の意味で好き勝手やってたら恐竜や肉食獣といった捕食者にガブリとやられて死んでいた。
そうして身の回りを強く意識する事を通じて、私達は社会性を獲得するに至った。
だが、敵は何も外からやってくるだけではない。
身内だって、時には敵となり立ちはだかってくる事もある。
そういう他人の目を強く意識する動物だったからこそ、ヒトは地球の覇者となりえた。
高度に政治的な立ち振舞いをして国家元首に上り詰めようという野心を抱いたり。
他人よりもいち早く真実を見つけ出して歴史に名を残すような大発見を成し遂げようと、知恵をフル回転させたり。
若き私達の心の中には常に目に見えない”他人”がいる。
あるいは
「組織や業界内でよりよく生き抜く為には、何をすればいいだろうか?」
このような意識を持ち続ける人に対して、 目に見えない”他人の目”は常に味方として立ち振る舞う。
その人に良心を授け、人に評価される為の指針を与える。
けど
「他人の目を気にせず、自分一人で好きにやろう」
こう思ってしまった人の元からは、心の中にあった”他人の目”は旅立ってゆく。
そしてその人の中から”人としての面白さや良心はいつしか崩れ去り、一人の老害がまたこの世に爆誕する。
ちょっとくらい他人の目を気にしてビクビクしている位が、たぶんヒトとして丁度いいのだ。
それが私達の本当の意味での親友といってもいい存在を、心の中に映し出してくれる。
”他人の目”というイマジナリー・ベストフレンド
普通を逸脱して、それでもなお普通の人以上に立派に生き続ける事は本当に難しい。
かつてサラリーマンはオワコンだといって、高知の山奥に自らを追い込んでいった人がいた。
「満員電車にゆられて、東京で消耗するような生き方してて、何が楽しいの?」
一見すると、非の打ち所がない、本当にごもっともな意見である。
しかし個人的な意見ではあるのだけど、そのごもっともな意見を言い放った人の今の生き様を僕はあまり美しいとは思わない。
その一方で、満員電車にゆられて東京で消耗している僕の友人たちは本当に見事に”立派”をやっていけてる。
満員電車にのって、会社にいって、同僚や部下、上司にあう。
傍から見れば、それは確かに馬鹿げていることなのかもしれない。
苦痛に身を投げているだけの、愚かな行いなのかもしれない。
けど、それは目に見えない”他人の目”というイマジナリー・ベストフレンドを私達に授けてくれる。
それは金銭や情報のような分かりやすい”良いもの”ではない。
けど、それがあるから私達は”立派な大人”をやっていけてる。
”組織で働き続ける”
若い頃はそんなものに何の価値も見いだせなかった。
けど、歳をとったいまなら、それが本当に尊いものだという事が嫌というほどよくわかる。
「勤め人はいい事ばかりではないけれど、まだもうちょっと頑張って働いてみるかな」
そんな事を、僕はやっとこさ考えられるようになってきた。
人手不足 × 業務の属人化 × 非効率──生成AIとDXでどう解決する?
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登壇者紹介:
松原 亮 氏(株式会社TOKIUM 取締役)
東京大学経済学部卒業後、ドイツ証券に入社し投資銀行業務に従事。
2020年に株式会社TOKIUMに参画し、当時新規事業だった請求書受領クラウド「TOKIUMインボイス」の立ち上げを担当。
2021年にはビジネス本部長、2022年より取締役に就任し、経費精算・請求書処理といったバックオフィスDX領域を牽引。
業務効率化・ペーパーレス化の分野で多くの企業の課題解決に携わってきた実績を持つ。
安達 裕哉 氏(ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO)
Deloitteで大手企業向けの業務改善コンサルティングに従事した後、監査法人トーマツにて中小企業向け支援部門を立ち上げ、
大阪・東京両支社で支社長を歴任。2013年にティネクト株式会社を設立し、ビジネスメディア「Books&Apps」を運営。
2023年には生成AIに特化した新会社「ワークワンダース株式会社」を設立。生成AI導入支援・生成AI活用研修・AIメディア制作などを展開。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計71万部を突破し、2023年・2024年と2年連続でビジネス書年間1位(トーハン/日販調べ)を記録。
日時:
2025/5/16(金) 15:00-16:00
参加費:無料 定員:50名
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
こちらウェビナーお申込みページをご覧ください
(2025/5/8更新)
【プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます