先日、奈良県の富雄という田舎町にある台湾料理の名店がひっそりと閉店した。

2017年ミシュランガイドのビブグルマンにも掲載された有名店だったが、所在していたのは物置かと見間違えるような雑居ビルの一角で、広さはたったの8㎡(2.5坪)。

つまり、お店全体で畳5枚分もなかったということだ。

 

そんなお店なので、店内は狭いというレベルではなかった。

席数はわずか2席で、注文をすると文字通り目の前にいる店主が目の前で料理を始める。

 

しかしその本格的台湾料理が、本当に美味しかった。

台湾点心に、台湾を代表する野菜料理の空芯菜炒め。台湾南部の名物料理・坦仔麺に、台湾名物のタピオカミルクティーも楽しめた。

もちろん、日本でタピオカミルクティーが流行するよりも遥かに以前からであり、軽薄な流行とは無縁だ。

 

そんなお店なので、食事中はやはり店主との会話も楽しい。

ご主人は流暢な日本語を話し、気さくなお人柄でもあったのでいつも会話が弾んだが、ある日、思い切ってこんな立ち入ったことを聞いてみたことがある。

 

「ご主人はなぜ、日本のこんな田舎でお店を開こうと思ったのですか?」

「もちろん、日本が大好きだからですよ!」

「本当ですか、嬉しいですね。でも、なぜ日本をそんなに愛してくれているのでしょう。」

「そうですね。私、実は台湾南部の高雄で30歳まで過ごしました。そこが生まれ故郷なんです。」

 

そしていろんなことを話してくれたが、要旨、自分の両親は戦前「日本人」であり、日本統治下の高雄で学校教育を受けたこと。

いつも日本統治時代の話を聞かされて育ち、いつか日本に行ってみたいと夢見ていたこと。

夢が叶い、こうして日本でお店を構えていることがとても幸せなこと。そんなことを話してくれた。

 

そして最後に、いつも両親が話してくれていたという日本人像についても語ってくれたが、

・親切で誰にでも優しい

・勤勉で、正直

・自分よりも周囲を優先する強さと思いやりに溢れている

など、聞いていてくすぐったくなる想いを次々に話してくれた。

 

私はこの想いをお聞きしながら正直いたたまれなくなり、

「いえいえ・・・お気持ちはありがたいのですが、少なくとも私はそんな立派な人間じゃありません・・・。」

と答えたが、

「またまたー(笑)」

と、店主は人懐こい笑顔を返してくれた。

 

しかし複雑な思いを感じたのは、正直偽らざる思いだった。

台湾の人たちは親日だというが、彼らが見ている日本という国と日本人は、今もまだ実在できているのだろうか。

 

想像以上に親日だった台湾の人たち

実は同じような不安をちょうど10年前、2010年頃にも感じていたことがある。

当時、私は技術系の小さな会社でCFO(最高財務責任者)をしていたのだが、株主の勧めもあり台湾証券取引所への株式上場を検討していた。

そして台湾に渡り、3泊4日の強行軍で台北から高雄、つまり台湾全土を北から南まで全国行脚することになった。台湾で上場するためには現地企業との太い取引を持っていたほうが有利という助言に従い、取引先を開拓するための旅程だった。

 

そしてこの時、私たちをアテンドしてくれたのが現地証券会社のRobin。

彼の日本語は完璧で、通訳は別にいたにも関わらず、彼一人で十分というほどに流暢な日本語を話した。

なお台湾では多くの人が本名以外に欧米風のビジネスネームを持っており、Robinも生粋の台湾人である。

 

彼の会社は台湾2位の大手総合証券会社だが、しかしRobinが日本語に堪能であった理由は決してエリート証券マンだったからではない。

私自身、きっとRobinがごく一握りのトップエリート層なんだろうと思いこんでいたが、3泊4日の時間をともに過ごす中、台湾新幹線の中で彼にこんなプライベートな質問する機会があった。

 

「それにしても、Robinの日本語は驚くほど堪能ですね。日常会話だけでなくビジネス会話も完璧で本当に頼りになります。どこか日本の大学に留学していたのですか?」

「いえ、どこにも留学していません。それどころか、実は日本に行ったこともないんです。いつか日本に行くのが私の夢です。」

「えぇ!?冗談ですよね?であれば、どこか日本語スクールに通って猛勉強されたんですか?」

「いえ、語学学校にも特に通ったことはありません。」

 

その返事に半ば驚きながら、じゃあどこで勉強したのかとさらに質問を重ねると、彼は日本のアニメが大好きなのだと教えてくれた。

そして、台湾で販売されている吹替版アニメを見るだけでは本当の世界観を知ることができないと考え、日本で販売されているオリジナルのアニメを片っ端から直輸入までしたそうだ。

さらに、どんな言い回しも徹底的に日本語でダイレクトに理解できるよう努力し、作品の世界観にハマり込んでいった結果、いつの間にか日本語が話せるようになったと説明してくれた。

 

「すごいですね。台湾では、Robinのような若者が多いのですか?」

「私たちの世代は、アニメを通じて日本が大好きな人が多いように思います。アニメから日本語を覚える人も少なくありません。」

「嬉しいですね、感動的です。」

「私の祖父母は日本統治時代の台湾で育ちました。両親は日本統治時代を知りませんが祖父母の影響でやはり日本が大好きだと話しています。しかし私たちの世代は、どちらかというとアニメを通じて日本のことが大好きです。」

「・・・なるほど。」

「今回訪問した企業に、日本に戻った後に電話することもあると思います。その時は『Is there anyone who can speak Japanese?』と、取り次ぎをお願いしてみて下さい。どこの会社にも、日本語を話せる人が必ずいるので驚くと思いますよ。」

 

話は少し後のことになるが、この時にRobinから聞いた話は本当に正確だった。

後日、別件で一緒に仕事をすることになった台湾の中堅弁護士も日本語が堪能であり、まさかと思い「どこで日本語を覚えたのですか?」と質問してみたことがある。

するとRobin以上のヤバさで日本アニメの話を延々と始めてしまい、仕事にならなかったことがあった。

また帰国後、現地企業に国際電話をする際、教えられたように取り次ぎを依頼するとすんなりと日本語が話せる社員に代わってくれて、本当に驚いた。

 

理由や事情は様々だが、こんなにも多くの台湾の人たちが日本を識り愛してくれているのかと。

彼らとはいつも、気持ち良く取引をさせて頂いた記憶しかない。

 

ヤバい相手だからこそ、競い合える

しかしながらこのお話はもちろん、「だから日本凄い」などと言いたいわけではない。

台湾の人は誰でも日本のことが大好き、などというようなデマを一般論化する意図も、もちろん無い。

むしろ、台湾の人から「日本が好きです!」と聞かされるたびに、私は落ち着かない思いになる。

 

10年前の強行軍でお会いした、ある台湾の上場企業の董事長(会長=最高経営責任者)のお部屋には、松下幸之助の揮毫による「素直」の額が飾られていた。

董事長は、日本企業の凄さと経営者の高潔さ、精神性、学ぶべきことをまるで自分のことのように自慢して聞かせてくれた。彼もまた、流暢な日本語で。

 

そして松下幸之助の経営哲学に惚れ込み、その著書を日本語で読んでいるうちに日本語を覚えてしまったと笑って話してくれた。

その両脇では、家庭用ゲーム機で有名な日本の大手家電メーカー出身の日本人副総経理(副社長)が2人、董事長をサポートしていた。

 

つまり彼らは、日本のことが大好きで、日本から学び尽くし、日本に必死にキャッチアップしようとしていたということだ。

それが10年前、2010年頃の話だが、その後2016年にはご存知のように、台湾の鴻海(ホンハイ)がシャープを買収し日本企業の凋落を大きく印象づけた。

 

これが脅威でなくて、何だというのだろうか。

日本のことが嫌いで、日本に追いつきやっつけたいと考えている相手なら、正直大した脅威ではないだろう。

しかし、日本のことが大好きで、日本のいいところを全て吸収したいと願い学び続けた結果、日本に追いついてしまった競争相手などヤバいに決まっている。

 

茶道や武道、芸事の世界には、「守破離(しゅ・は・り)」と言う言葉がある。

何事も最初は、師匠や流派の教えを守り型を身につけること。型を身につけたら、その型を破りより良いものに改良していくこと。

そして最後には、型を離れいわばイノベーションを起こしなさい、と言う教えだ。

 

台湾に限らず、親日と呼ばれる多くの経済新興国はまさにこの守破離の、「離」の段階に進みつつある。

いや、もはや離れていると言って良いかも知れない。

しかしそれでも、私たち日本人の多くは、どこか楽観的な思いを抱き続けているということはないだろうか。そして、台湾をはじめとした親日と言われる諸国から寄せて頂く好意や敬意を、永遠のものと勘違いしていないだろうか。

 

日本を愛してくれている台湾の人たちが見ている日本と日本人像は、明らかに過去のものだ。

百歩譲っても、私たちが絶えざる努力をし続けなければ、維持できるようなものではない。いわば私たちは、先人の遺産である日本人像や、強い日本という国家像を消費し続けているということである。

維持する努力すら怠るのであれば、それはやがて時間の問題で完全に消えてなくなるだろう。

 

「台湾の人たちは、みんな親日!」などと浮かれていたら、私たち日本の末路は、本当に大変なことになる。

しかしそれはそうとしても、台湾の人たちと競い合えるのなら、それはそれでお互いを高め合える、最高のパートナーになれるとも思っている。お互いに敬意を持てる相手と切磋琢磨する関係性こそが、本当のライバルと言えるのだから。

 

余談だが、冒頭の台湾料理店主は閉店後、自宅を改装したらしい完全予約制の形で、お店を再興したという噂を聞いた。

失われてしまった台湾との絆がまた繋がり、とても嬉しく思っている。

近いうちに必ず、また訪問したい。

 

 

【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

先日、40年ぶりに祖父母が住んでいた空き家を訪問することがありました。

記憶の中ではとても大きな庭付きの家だったのですが、40年ぶりに見たそれは驚くほど狭小な物件でした。

それだけ自分が小さかったのですね。

twitter@momono_tinect

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