うちの長男も、中学受験が迫ってきました。
僕自身は、中学までは地元の公立だったので、こんな早くから受験のために勉強させられるなんてかわいそうだよな、という気持ちもあるのです。
その一方で、勉強はしておいて損はないし、通っている私立の小学校も、みんなが受験をするような環境なので、あえて「中学受験をしない、させない」という選択をする根拠も見いだせないんですよね。
勉強をするのが善いことだと考えている集団にいたほうが、たぶん、本人の将来にとってもプラスになるはず。
……などと自分なりに理論武装してはみるものの、子どもも時々「なんでこんなに勉強しなきゃいけないのかなあ、いい学校に行くことに、そんなに意味あるのかなあ」なんてボソッと尋ねてくるのです。
そんなとき、親としてしばしば口にするのが「勉強をしておけば、選択肢や可能性が広がるから」という言葉なんですよね。
言っているほうも、半ば苦し紛れではあるけれど、世の中には、学歴を求められる専門職というのがあって、今の日本の仕組みでは、医学部を卒業していないと医者にはなれないし、弁護士や官僚や研究者になるにも、学歴があったほうが圧倒的に有利です。
最近読んだ、『麻布という不治の病: めんどくさい超進学校』(おおたとしまさ著/小学館新書)という本のプロゲーマーの「ときど」さんの章で、著者のおおたさんは、こんな話をされています(「ときど」さんも、おおたとしまささんも、麻布の卒業生)。
社会的に見れば”成功者”たちが、ときどさんの生き方を見て「かっこいい」と認めてくれるわけですよね。ご著書にこんなフレーズが出てきます。
「『東大まで出て、なんでプロゲーマーになったのか』必ず聞かれるこの問いに、問い返してみたいことがある。『もし東大を出ていたら、あなたは何になりますか?』」。
これは深いです。職業柄、いろんな東大生に取材するんですが、「なぜ東大を選んだんですか?」と聞くと、「選択肢を広げるためです」というのが多いんです。
でも東大まで出て弁護士になったのに町弁護士なんてやったら負け組とか、東大の医学部出たのに町医者なんてやってられないとかいう話も聞くんです。つまり、東大に行ったことによって増えた選択肢のなかでしか選択できない人生を生きている。「東大まで出たのに……」が逆に選択肢を狭めることがある。
僕の場合は大学院でどうしようもなくなって、レールが敷かれていないと何もできないんだなと気づきました。
それに気づくと、いままで背景でしかなかったものがいきなりリアルに浮かび上がってきて、昼間に公園のベンチに座っているスーツ姿のおじさんなんて、いままで全然目にとまらなかったのに、「ひょっとしてこのひとたちもつらい思いをしているのかな」なんて思えてくるようになりました。
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「できる人たち、超エリートたちの世界」であり、不文律として「授業中の出前は禁止。校内での鉄下駄は禁止。麻雀は禁止」の三項目があるだけ、という「自由な校風」を紹介する定番ネタを持つ「麻布」。
そういう「麻布らしさ」を、訳知り顔で「理想の教育」だと信じてしまう人たちに、著者は「そこで思考停止しないでほしい」と、繰り返しているのです。
そして、「選択肢を広げる」とは言うけれど、そういうエリートコースを歩むのは、本人にとってはプレッシャーになることもあるし、かえって人生のハードルを上げ、選択肢を狭めてしまうこともある、という現実を訴えています。
麻布にも、超人ばかりがいるわけではないのです。
いま話題になっている『東大なんて入らなきゃよかった』(池田渓著/飛鳥出版)も読んだんですよ。
このタイトルをみたときの僕の率直な気持ちは「なら僕が入りたかったよ……」だったのですが、たしかに、「東大卒」として生きるっていうのもけっこうハードだな、と感じてしまう、卒業生たちの肉声がたくさん収められていました。
著者の池田さん自身も東大卒なのですが「東大は人生の幸福を決して約束などしてくれない」と述べています。
著者の個人的な感覚では、「(東大に入ってしまったがために)人生がつらくなってしまった人のほうが多いのではないか」とも。
この『東大になんて入らなきゃよかった』のなかには、さまざまな「人生の袋小路にはまってしまった東大の卒業生」が出てきます。
大手銀行に就職したものの、仕事が自分に合わず、営業が苦手で、鬱を発症してしまった人。
官僚になったものの、激務と異常な時間の残業に薄給で疲れ果て、「せっかく東大に行ったのだからと官僚になったけれど、東大に受からなければ、地元の大学で憧れていた獣医になって幸福を実感できていたのではないか」と述懐する人。
大学に残って研究をしようとしたものの、担当教官とそりが合わず、実績もあげられずに学校の先生になることを考えている人もいます。
親の介護をしようと地元の市役所に就職したら、そこで「東大いじめ」にあった、という話も出てくるのです。
「原因はハッキリしています。ぼくの直属の上司と部内の先輩です。その人たちは関西大学の出身で、それまで職場では『高学歴で頭がいい人』として周囲から持ち上げられていたんです」
関西大学の出身者はほかにも何名かいて、職場では大学名を冠した派閥ができていたそうだ。
そんなところに東大卒の吉岡くんが入ってきてしまったものだから、「その人たちがすっかりすねてしまった」と彼は言った。
「事あるごとに皮肉や当てこすりをされて、ずいぶんとやりづらかったですねぇ。なにかにつけて『自分(お前)は東大出で頭がええのかもしれへんけど、うちらはそうやないねん』と言われてなじられました」
特定の人に対する皮肉や当てこすりを関西の人たちは「いじり」というのかもしれない。しかし、「いじり」も「いじめ」も「他者をないがしろにする」という点で行為の本質は同じだ。
いじる側は軽い冗談のつもりでも、いじられている側が不快に感じるならば、それはいじめである。こんなこと、小学校の道徳教育レベルの話だ。
「先輩たちは新人のぼくが知らないことがあると大喜びするんですよ。『東大を出てるのに、自分はほんまはアホなんちゃうか』なんてことをよく言われました。
そこで『そうなんですよ。東大にもぼくみたいなアホはいるんですよ』なんて言って下手に出て、業務のやり方を習得していきました。その場で口だけでもアホだと認めておけば事がスムーズに運ぶので。
正直、屈辱ですよ。でも、からかうのはやめてほしいと訴えても、まともに聞き入れてはくれません。こちらは一人なのに対し相手は大勢ですから」
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吉岡さんは「お前は頭がいいんだから、これもできるだろう」と、難しい仕事をたくさん押し付けられることもあったそうです。
これを読んで、「東大いじめなんて、ちょっと信じられない。この吉岡さんの性格に問題があったんじゃないの?」と思う人と、「ああ、こういうのあるある」と納得する人に分かれるのではないでしょうか。
僕は長年「中途半端に勉強ができる人たちの世界」に身を置いてきたので(僕自身もその一員です)、ちょっと偏差値が高い程度の学歴の人たちには、自分の出身大学や学歴に対するプライドやコンプレックスを露わにする人が多いと感じています。
ずっとその偏差値の世界で競争してきただけに、ちょっとした「格差」へのこだわりが抜けなくなってしまうのです。
それまでのこの職場では、この先輩たちが、自分たちがいちばん良い大学を出ている、ということによほどプライドを持っていたのでしょうね。
関西大学出身者たちも、先輩に「お前、いい大学出ているのに、こんなこともできないのか」と嫌味を言われたことはあったのではないかなあ。
部活のシゴキと同じで、自分がやられてイヤだったことを、自分だけ「やられ損」なのは悔しいから、後輩にもやってしまうのだろうか。
著者は、東大生には「天才型」「秀才型」「要領型」の3つのタイプがいると指摘しています。
「天才型」は、まさに天性の能力で、積んでいるCPUが違うというか、「努力しなくてもできてしまう」「学生時代から頭角をあらわし、研究者に混じって学会で発表したり、起業したりする」人たち。
努力型は、天才ではないけれど、置かれた環境に応じた努力をコツコツと積み重ね、確実に成果を残していく堅実派。
そして最後の「要領型」は、受験勉強を要領よくやることに特化してしまっており、東大合格というゴールのあと、燃え尽きたり、レールが敷かれていないところではどうしていいかわからなくなったりしてしまう人たち。
「東大」といっても、それこそ、学生には一番からビリまでいるわけです。
プロ野球選手がみんなイチローや菅野ではないように、東大生がみんな超人なわけじゃない。
でも、東大生にはドラフト指名順のような、わかりやすい「それぞれの期待値」が明示されてはいない。
「天才型」にとっては、「東大」も通過点でしかありません。
彼らは「東大」をステップとしてさらに上を目指していくのです。
ところが、「要領がよくて東大に入ってしまったけれど、とくに将来の目標もないし、対人関係も得意ではない」という人にとっては「天才との格差を思い知らされるし、授業にはついていけないし、世間からはやたらと期待され、何か要職に就くか、すごいことをやって当然だと思われてしまう学歴」なんですね、東大って。
彼らにとっては、まさに「東大なんて入らなきゃよかった」はずです。
この本に「東大を出て、年収230万円の警備員の仕事をしている人」も出てきます。
「なんで、東大卒で『そんな仕事』を?」って思いますよねやっぱり。
でも、単に「年収230万円の警備員の仕事をしている人」と書いてあったら、「ちゃんと働いて自活しているんだから、立派だよね」というのが、多くの人の反応でしょう。
「東大まで出たのに……」が逆に選択肢を狭めることがある。
ただ、それなら、自分の子どもが東大に行くチャンスがあっても、諦めさせよう、とは僕には思えないのです。
結局、「東大なんて入らなきゃよかった」って言うことが許されるのは「東大に入ることができた人」だけなんだよなあ。
【安達が東京都主催のイベントに登壇します】
ティネクト代表・安達裕哉が、“成長企業がなぜ投資を避けないのか”をテーマに東京都中小企業サイバーセキュリティ啓発事業のイベントに登壇します。借金=仕入れという視点、そしてセキュリティやDXを“利益を生む投資”とする考え方が学べます。

こんな方におすすめ
・無借金経営を続けているが、事業成長が鈍化している
・DXやサイバーセキュリティに本腰を入れたい経営者
・「投資」が経営にどう役立つかを体系的に学びたい
<2025年7月14日実施予定>
投資と会社の成長を考えよう|成長企業が“投資”を避けない理由とは
借金はコストではなく、未来への仕入れ—— 「直接利益を生まない」とされがちな分野にも、真の成長要素が潜んでいます。【セミナー内容】
1. 投資しなければ成長できない
・借金(金利)は無意味なコストではなく、仕入れである
2. 無借金経営は安全ではなく危険 機会損失と同義
・商売の基本は、「見返りのある経営資源に投資」すること
・1%の金利でお金を仕入れ、5%の利益を上げるのが成長戦略の基本
・金利を無意味なコストと考えるのは「直接利益を生まない」と誤解されているため
・同様の理由で、DXやサイバーセキュリティは後回しにされる
3. サイバーセキュリティは「利益を生む投資」である
・直接利益を生まないと誤解されがちだが、売上に貢献する要素は多数(例:広告、ブランディング)
・大企業・行政との取引には「セキュリティ対策」が必須
・リスク管理の観点からも、「保険」よりも遥かにコストパフォーマンスが良い
・経営者のマインドセットとして、投資=成長のための手段
・サイバーセキュリティ対策は攻守ともに利益を生む手段と考えよう
【登壇者紹介】
安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
著書『頭のいい人が話す前に考えていること』(ダイヤモンド社)は累計82万部突破。2023年・2024年と2年連続で“日本一売れたビジネス書”に(トーハン/日販調べ)。
日時:
2025/7/14(月) 16:30-18:00
参加費:無料
Zoomビデオ会議(ログイン不要)を介してストリーミング配信となります。
お申込み・詳細
お申し込みはこちら東京都令和7年度中小企業サイバーセキュリティ啓発事業「経営者向け特別セミナー兼事業説明会フォーム」よりお申込みください
(2025/6/2更新)
【著者プロフィール】
著者:fujipon
読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。
ブログ:琥珀色の戯言 / いつか電池がきれるまで
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