学生時代、イケてる系のビジネスマンが猫も杓子もジム通いで身体を鍛える事を推奨し、かつ実際に鍛えている事に本当に驚いた。
ジャニーズJr.みたいな細マッチョならまだしも、中にはプロレスラーかよと言いたくなるような肉体を保持するものもいた。
(出典:田村耕太郎)
「そんな事する暇があったら、もっと知力を鍛えればいいのに」と正直、僕はそのマッチョイズムの理解に苦しんだ。
当時の僕が憧れてた生き方は元2ちゃんねる管理人のひろゆきさんのようなロジカルで全てを論破し尽くすスタイルだ。
鋭い切り口でズバッと物事の本質を突くようなその物言いに僕は心の底から惚れ込んだ。
何より、彼の身体は筋肉とは程遠いヒョロっとした出で立ちであり、意識の高そうなビジネスパーソンとは真逆にみえた。
「意識高い系のサラリーマンはジムとか通って身体を鍛えてるけどさ」
「誰が言ったかではなく何を言ったかが大事な時代である現代において、脳より筋肉に生活コストを割くのなんで無駄やろ」
「そんな暇あるなら頭脳を鍛えて、より尖った言葉を使えるようになればいいのに」
しかし最近、僕はこの考えが間違っていたという事を心底痛感した。
というわけで今回は平和に暮らす為には筋肉が必要だったという話をしようと思う。
見た目は何よりも強い
少し前にTwitter上でチー牛という単語が話題になった。
#チー牛顔 って検索した。 ある申請を受ける職業を体験した人が書いてたけど、8割この感じだったとか。顔の筋肉が衰退するとか(^^;) https://t.co/jCdQAFkDD7
— naruu (@naruu1972) June 3, 2020
これはチーズ牛丼・特盛温玉付きを頼みそうな顔をしたイケてない人物を指すインターネットスラングで、いわゆるオタク的な男子を想起させる力強さを端的に備えた名言として一気にインターネット社会に定着した。
今ではチー牛顔というと、上の写真のような顔が即思いつかれるような有様である。
理想を言えば “誰が”言ったかではなく”何を”言ったかが大切だ。
しかし…やはり見た目というものの印象は強い。
チー牛顔をした人がカッコいい事を言ったとしたら、失笑が拭えない感じは否めないし、007の主役であるジェームズ・ボンド役をチー牛顔の人が張って美女を侍らせてたら、やはり違和感が先立ってしまう。
見た目で人を判断してはいけないとはいうけどさ…
「人を肩書や見た目で判断してはいけない」
こんな感じの言葉を聞いたことがない人はいないだろう。
しかし現実はどうだろうか?
例えばアマゾン・プライムの人気番組であるバチェラーでは美女が美男子を取り合って争う様を皆が熱中してみている有様だが、あれをルッキズムを助長させるから良くないという人の声はほぼみられない。
仮にアンチ・ルッキズムを掲げてバチェラーをチー牛に取り替えたところで、残念ながらそんな番組は好事家しかみない。
バチェラーが美男美女で溢れているのは必要悪として世の中で暗黙の了解を得ているように僕にはみえる。
現実問題としてだ。
私達は見た目や印象といったものから逃れる事は不可能である。
僕だってスタイルがよくて容姿端麗な女性をみたら脊髄反射で可愛いと思ってしまうし、その可愛いという印象は悪い方向よりも良い方向に作用してしまうだろう事は否定しがたい。
そうして見た目というものを必要悪として受け入れた後、やっとこさビジネスマンがジム通いをする理由を心の底から納得した。
あれは無駄な争いごとを産まないための必要経費だったのだ。
圧が無いやつは無駄な争いを産む
確か元Appleのシニアマネージャーをされていた松井博さんだったと思うのだが、外資系企業に転職してから身体つきがヒョロヒョロだと舐められて無駄な争いごとに巻き込まれる事が多いので、意識して肉体を鍛えていると言ってて驚いた事がある。
その当時は人生経験が乏しかった事もあって
「争いごとに巻き込まれたら、ひろゆきさんみたいに全部ロジックでねじ伏せればいいじゃないか」
としか思わず、ふーんと軽く流していた。
けど最近、仕事や私生活であまりにも無駄な争いごとに巻き込まれる事が多く、いったい何が問題だったのかを本当に、真剣に、鬱になるほど考え抜いた。
その結果、まさしく松井博さんが仰っていた事の通り過ぎるという事に数年遅れてやっとこさ気が付けた。
僕に筋肉が無かった事が全ての元凶だったのだ。
悲しいが、チー牛は無駄な争いごとに巻き込まれる
人間はルッキズムに支配されている。
その影響はバチェラーに出てくる俳優のような天上人だけに適応されるわけではなく、むしろチー牛ライクな一般人にこそ及ぶ。
僕は正直、僕に争いごとを持ちかけてくる奴らには人間性に問題があり、そいつらが悪いと考えていた。
けど、それは違った。
僕が争いごとに巻き込まれるのは、僕の弱そうな見た目が全部悪かったのである。
僕がチー牛的な雰囲気を醸し出して、ドラクエのスライムのようにチョロチョロっとやったら簡単にぬっ殺せるような印象を身にまとっていたから、一部の人は争い事をけしかけてきていたのだろう。
実際にはひろゆき信徒だった事もあってそこまではチョロくなく、物凄い執念で徹底してロジックをもって反撃をしていたのだが、何度それで撃退しても追撃が止む事はない。
残念ながら少し議論が得意なだけでは争いごとの抑止力にはならない。
何度も何度も無駄な争いごとを繰り返したあとになって、ようやく僕は
「ひょっとして…戦ってる時点で、もう実質負けなんじゃないか」
と本当に遅ればせながら気がつく羽目になった。
戦ってる時点で負けだった
改めて振り返ってみると、元2ちゃんねる管理人のひろゆきさんのスタイルが栄えるのは、彼がその他人類99.999%を超越する頭脳の持ち主だからに他ならない。
というか他に似た人が全然いないからこそ、彼のスタイルは結果として成立するのであり、普通の人がやれたら、それはもう全然栄えない。
元Appleでシニアマネージャーをやり、現在も3つの企業を運営している松井博さんだって頭脳でいえば人類でも超上位に位置するだろう。
そんな超人ですら、無駄な争いをけしかけてくる不思議な人間が現実問題としていたわけだし、そんな超人であった松井博さんですら肉体を鍛えて、無駄な争い事を避けていた。
見た目がたるんでると舐められて、結果として無駄な争いに巻き込まれて人生が摩耗する。
孫子の兵法にも戦わずして勝つのが極上だとあるが、ビジネスマンにおける筋肉はまさしくこの戦わずして勝つ為の鎧として機能する。
ゴツい相手にわざわざ面倒事をけしかけようと思うやつはいない。
その逆…ヒョロいやつに面倒事をけしかけようという人間は…残念ながら沢山いた。
僕の身に起きていた事は、それだけの話だったのだ。
考えてみれば憲法9条で戦争を禁じられている我が国ですら平和のために自衛隊という形で武力を保持している。
残念ながら、人間の本性は清くない。
隣国がチョロイと本能で思えてしまったら、争わない事の方が難しいのだろう。
平和は安くない。
毎年、国防費としてかなりの額が予算として必要になるように、私達も真に平和を願うのならば肉体を改造して圧を身につける必要がある。
真に争いのない世の中の実現の為には、肉体改造は必要なコストだったのだ。
チー牛をやりつつ平和を望む事を諦める
先週、プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略という本を読んだ。
本書の主張は100個の欲しい物があるとして、1つの本当に欲しい物があるのだとしたら99個の事を諦めればそれが手に入るというものだ。
実際に筆者は社会人として働く事を諦めたり、自分の家を借りる事を諦めたりと、本当に欲しいものを獲得する為に極端な人生の傾斜をかけている。
正直な事をいうと彼の人生観は僕とはあまり合わず、所々で別の惑星で生きてる人間みたいだなぁという感想を持ったのだけど、考えてみると自分は今までの人生において
「肉体を鍛えず、争いごとに巻き込まれないで心穏やかに過ごす事」
を諦めていなかったんだなという事に読後気がついた。
正直な事をいえば、運動はダルい。
筋トレなんて本当はやりたくないし、そんな事をする時間でもっと他の事をやりたいと心の底から思う。
なによりマッチョは僕の美観に強く反する(;_;)
ただ…残念な事に、チー牛をやりつつ平和を望むのは無理だった。
四六時中好戦的にならず、心穏やかに過ごすためには…僕は肉の鎧を身にまわない事を諦めなくてはいけないのだろう。
ひろゆきさんになるのを諦めて、冒頭写真にあげた田村耕太郎さんを目指す。
こうして僕も、立派なマッスル教の信徒となってしまったのでありましたとさ
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