「好きで働いているんだろ?」
精神科医である斎藤環の『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』を読んでいたら、このような記述にいき当たった。
このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。
これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。厳しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。
しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずには成立しないからだ。
それゆえこの尊敬は小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。
これには前段があって、ネット(当時の2ちゃん)に書き込まれたコピペがあげられている。
そのコピペ(詩)は見つけられなかったが、「働いたら負け」のインターネット・ミームは多くの人が知るところだろう。
それにしても、「好きこのんで仕事をしている」と言われたら、どう思うだろうか。
おれは「好きこのんでねえよ」と言いたくなる。
おれは働きたくない人間である。精神障害者の手帳も持っていて、働くに向いていない人間でもある。それでも働いている。
仕事を「好きでやっている」と言いうるのは、ほとんどの職業人が、誰からも強制されずに「職を失う」ことよりも「辛い仕事を続ける」ことを、あるいはホームレスよりは職業人たることを、自由意志で選択しているからだ。
「好きでやっている」ことを自慢したり、相手に恩を着せたりすることはできない。それでもつい、そうした身振りに陥ってしまう点に「就労の加害性」が宿るのだろう。
と、こうまで言われてはぐうの音も出ない。
たしかにおれは大学を中退して社会的ひきこもり、ニートであったこともある。
それでも、その境遇にいられなくなったら、働いていた。働いて、金を稼ぐことを選んでいた。
福祉の保護よりも、労働を選んだ。たしかに自由意志かもしれない。
その後、おれは精神を病んだ。精神障害者になった。
それでも、なおそれをオープンにして、底辺の零細企業で働きつづけている。
それはおれが、福祉を頼りにするよりも(頼ったところで応えてくれるわけでもないだろうが)、働いて、衣食住と、わずかなギャンブル(競馬)という楽しみを得るためにやっていることである。
なるほど、「好きでやっている」。これを誇ることは、加害的なことかもしれない。
加害というと大げさに聞こえるかもしれない。
ただ、おれは精神障害者だし、かつて社会的ひきこもりのニートであった人間である。そちら側の意識もいくらかわかると思ってほしい。
なるほど、「圧」がある。そのように思える。
一方で、こういう意見について不服に思う気持ちもわかる。
おれは現に底辺の「職業人」であるし、ホームレスよりましというだけで働いているだけだからだ。
それが加害的であると言われたら、やるせねえよな、というところもある。
働きたくねえよな
それでも働きたくねえよな。これは勤勉とされる日本人として特殊なことなのだろうか?
また斎藤環と、與那覇潤の対談本である『心を病んだらいけないの?』を読んでいたら、労働に対する言葉が出てきた。
與那覇 ……オンラインサロンや自己啓発本の広告を見て感じるのは、勤勉とされる日本人がその実、潜在的には自分の仕事を憎みだしているのではということです。
「『好き』を仕事にして社畜をやめよう」とか、とにかくそういったフレーズが多い。今日の平均的な日本人にとって、理想のライフスタイルは「働かないで稼ぐ」ことなのではという気がしています。
「働かないで稼ぐ」。魅惑的な言葉だ。
何もしないで口座にお金が振り込まれれば最高だし、自分が苦にならないことをしていたらお金が入ってくるというのもいい。
なにもしないのも最高だが、楽しんで金が稼げれば、それでもいい。
実際、そうやって生きている人もいるだろう。
地主の家系に生まれれば、なにもしないでお金が入ってくるのだろうし、プログラミングかなにか、金になる技能を持ち、それが楽しい人には最高の世の中だ。
すごく限られたところでは、アーティストと呼ばれる人たちも、楽しんで稼いでいるかもしれない。
もちろん、そこに努力と呼ばれるものがあるかもしれないが、それは社畜の苦しみとは別のものだろう。
おれなどは赤字人間なのであって、楽しんでもいなければ、実質稼いでもいない。
「働いているし稼いでもいない」という最悪のコンビネーションだ。これは心も病む。
楽をしたいな。なにもしたくないな。うう、辛い。でも、それを口に出せるだけまだましかもしれない。
機能している日本人
また『心を病んだらいけないの?』から
斎藤 ……日本人は「機能している人間」であることへのこだわりが異常に強いというのが私の考えです。だから「インフルエンサーも働いてる」というのは、正確に言いなおすと、彼らのやっていることが労働かどうかわからないが、少なくとも「機能している」と見なされるのだと思います。
なるほど、「機能している人間」。これを重視する日本人。
これは現代の特徴なのか、もうちょっと長いスパンでのことなのかわからないが、そういうところはあるかもしれない。
似たようなことは、ブレイディみかこも『THIS IS JAPAN :英国保育士が見た日本』でも
述べていた。
日本の貧困者があんな風に、もはや一人前の人間ではなくなったかのように力なくぽっきりと折れてしまうのは、日本人の尊厳が、つまるところ「アフォードできること(支払い能力があること)」だからではないか。
それは結局、欧州のように、「人間はみな生まれながらにして等しく厳かなものを持っており、それを冒されない権利を持っている」というヒューマニティの形を取ることはなかったのだ。「どんな人間も尊厳を(神から)与えらている」というキリスト教的レトリックは日本人にはわかりづらい。
けれどもどんな人間も狂わずに生きるにはギリギリのところで自尊心がいる。自分もほかの人間と同じ人間なのだ。なぜならその最低限のスタンダードを満たしているから、と信じられなければ人は壊れる。
「機能すること」は金を稼げること。地主であれ、サロン主催者であれ金を稼げるということは「アフォードできること(支払い能力があること)」。これである。
これを欠いた人間が引け目を感じる、生きる価値を感じない、そうなる。
そして、おれなどは、それを内面化しすぎているので、「それはそうである」となる。
そして、病む。病むのはあまりよくない。よくないが、なぜか日本の労働は病むようにできている。
一部の才能ある人、環境に恵まれた人は別だろうが。
これはなんだろうか。
「最強の自分」になれないおれたち
また、『心を病んだらいけないの?』から。
與那覇 おそらく日本人は共産主義の教訓を取り違えていて、国家や経済のような「マクロなもの」を計画的に管理しようとしたから失敗しただけで、ミクロなレベルなら「最強の自分」を設計することはできるんだと、いまも信じている。
これなのか。
この「操作主義」への信奉が自己責任論になり、われわれを息苦しくしているのか。われわれって誰だ? まあいい、おれのような人間もいくらかいると思おう。
しかしなんだろうか、そうか、計画的になら自分を設計できる、管理できる、成功できると思うところが誤りなのか。
そうできる人間もいるだろう。だが、そうできない人間もいる。
できない人間の方が多いとは言わないが、少なくない人間が「できない」のではないか。
そして、「最強の自分」、自己実現できない自分の前にやぶれ、病んでいく。
おれのような底辺だと、自己実現なんて大層な言葉ではなく、「食っていく」こととのせめぎあいになる。それに負けたら死ぬ。
けれど、おれにはおれの計画的な管理などできない。そういう能力がない。
流されるままに働き、流されるままに無能で、貧乏だ。
精神も病んだ。そこに尊厳はないし、もちろんアフォードする能力もない。
これは苦しいが、現実でもある。そうできなくとも、おれにはこれがあるという「これ」もない。
あれもない、これもない自分が生きていくのは辛い。働くのが辛い。
とはいえ、かろうじて働ける能力があるだけでも、まだ恵まれているほうだ。
働きたくとも働けない人もいる。それを考えたら、おれの愚痴も加害になる。
とはいえ、おれももう限界に近い。精神障害を抱え、床に臥せって動けない日もある。文字通り、本当に動けないのだ。
それでも衣食住を満たし、ちょっとは娯楽もしたく、そして、「好きこのんで」働いている。
これは、板挟みの地獄のように思える。
働きたくとも働けない人に申し訳なく思いながらも、ろくに儲けを出せない赤字人間として苦しみながら働き、充足感のようなものも抱けない。そこになにがあるのか。
そこに人生がある。……とか、言うつもりもない。
あるのはただ、疲労と苦痛ばかりである。そればかりが人生である。
そればかりが人生だ。
毎年、新社会人となる人たちもいるだろう。能力のある人は、仕事をやりがいに生きていけることだろう。たくさん稼げることだろう。自己実現をできることだろう。
でも、そうでもないおまえたち。おれたちの仲間にようこそ。
もう、ここには地獄しかない。それでも死ぬ勇気がないだろう。這いつくばって、流されて、せいぜい生きるしかない。
その覚悟で、せいぜい勝手に生きてくれ。ろくでもない人生の先達からは、それだけだ。
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【著者プロフィール】
著者名:黄金頭
横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。
趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。
双極性障害II型。
ブログ:関内関外日記
Twitter:黄金頭
Photo by Keenan Beasley