学生時代に将棋や囲碁の棋士に夢中になった事がある。

何が良かったかって、みな本当に独特の個性があったのだ。

あれは当時、個性の確立に悩んでいた自分に見事に刺さった。

 

個性とは不思議なものである。

考えようによっては豊かになった現代の方が余裕があるからキャラクター差を出せそうにも思えるのだが、実際はそうではない。

現代社会はむしろ逆に余裕がなく、どちらかというと優等生的な立ち振舞い方をする人が目立つ。

 

棋士の生き方もそうで、昔の時代は本当におおらかで余裕?があった。

かつての人達は本当の意味で破天荒だ。

その代表格といってもいいのが、囲碁の藤沢秀行氏だ。

<参考 『野垂れ死に』新潮新書 >

 

破天荒を極めていた棋士がいた

藤沢秀行氏は本業である囲碁では異常感覚とも称されるほどに鋭い手を打つ一方で、私生活は本当の意味でハチャメチャだった。

女性関係は本妻のほかに4人の女性と関係を持ち、子供は本妻を含め3人ずつ計15人。

ギャンブル狂いでもあり、それに関連した借金は億単位。

極めつけに重度のアルコール依存症と、最近は珍しい本当の意味での飲む打つ買うをやる芸人だった。

 

自伝も出版されているのだが、奇想天外な破天荒エピソードの数々に本当に圧倒される。

後年になって、本妻であるモト氏も本を執筆されており、その中で秀行氏がいくつか格好をつけて大嘘をついていたとバラされたりしているのがまたチャーミングで笑えてしまう。

 

アルコール依存症?依存症じゃない?

彼関連のエピソードで一番印象に残ったのが、都合六連覇した棋聖戦に挑む際の話だ。

当時、彼は朝からウイスキーを一本空けるような見事なまでのアルコール依存症だった。

が、保持していたタイトルである棋聖戦の前だけは借金返済の為にも酒を抜いて挑んだ。

 

6回もこれを繰り返したというのだから、本当に普通ではない。

文字で書くと単調な文面になってしまうが、重度の薬物依存症患者がこんな芸当をやり遂げるのは常識的には不可能だ。

 

依存症の人が薬物から抜けられないのは薬が楽しいからではない。

薬を定期接種しないと、苦しみから逃れられないからだ。

薬を入れないと苦しみや幻覚のようなものに襲われてしまい、とてもシラフではいられないのだという。

 

藤沢秀行氏も例にもれず、アルコールを抜くと体中を虫が這い回るような酷い症状に苦しんだそうなのだが、彼は棋聖戦の前だけは酒をキチンと抜き、キチンと試合を完遂した。

彼の担当医はこの有様を聞いてぶったまげたそうだが、確かにこれは現代医学の常識に反している。

 

勝負に勝って「もう酒はコリゴリだ」となるか、またアルコールで身を持ち崩して破滅するのならまだ話はわかる。

だが、彼はこの苦行を六回も繰り返して生き抜いたのだから、意志が強いのか弱いのかもはやワケがわからない。

 

なんというか本当に凄い人である。

時代が産んだ寵児というか、とても現代ではこんな人は頭角をあらわあせいだろう。

 

依存症は自発的ではなく動機づけで抜けられるのかもしれない

このエピソード自体は随分と長い間忘れていたのだが、最近自分の身近な人がアルコールの沼から抜け出した方法がこれと近似していて驚いた。

彼は自分とアルコールを好む人で、特に一人で深酒をやるのが好きな人だった。

特にストロングゼロが好きで、あれを高速でキメると脳にある新しい扉が開きそうな感覚が脳髄にきてたまらないのだという。

 

実はこれは典型的なアルコールの作用だ。

最近読んだ”もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学”という本によると、酒を大量摂取すると脳内にドーパミンの洪水が押し寄せ、脳がこれにヤミツキになり、アル中が完成するのだという。

<参考 もっと! : 愛と創造、支配と進歩をもたらすドーパミンの最新脳科学>

 

この楽しさにヤミツキになってしまったという事もあり、彼はつい翌日に本業があるにも関わらず飲みすぎてしまう事が何度もあったそうだ。

その度に翌日後悔し、体調不良を抱えて必死にミスがないように仕事を回す。

だが、人間というのは愚かなもので、しばらくするとまた同じことを繰り返してしまう。

よくないなぁとは思っていたようだが、都合5年近くもこの生活をやってしまっていたという。

 

そんな彼だが、最近は少なくとも酒を平日はスッパリ辞めたのだそうだ。

いったい全体どうやって?

それは仕事で物凄く気に食わない上司がやってきた事がキッカケだったという。

 

彼はあまりにもその上司とソリが合わず、意見が物凄く対立するそうなのだが、何度も何度も対立を繰り返した後になって

「酒で疲れた身体で憎い宿敵と戦うだなんて、あまりにも自分は愚かすぎる」

と心の底から納得し、次の日の戦に備えて週末以外はほぼ酒を断つようになったというのである。

 

彼はこの現象を「殺意の波動に目覚めると、アルコールなんて飲んでる場合じゃなくなる」と説明していた。

打ち倒すべき敵の姿が見据えられると、人はアルコールの快楽を克服できるのかもしれない。

 

被害者に甘えず、したたかに生きる

僕がこの殺意の波動の話を面白いなーと思ったのは、逆境を自分の都合の良いように利用した彼のしたたかさである。

 

世の中というのは複雑なものだ。

いいと思っていた事が甘えに繋がり人生が破綻する事もあれば、最悪としかいいようができない経験から奇跡のような何かを掴み取る人もいる。

 

実は人間は最悪から最高を生み出す事だって可能なのである。

その極ともいえる芸当をやってのけたのは”夜と霧”を書いたヴィクトール・フランクルだろう。

<参考 夜と霧>

 

知っている人も多いだろうが、彼は戦時を生き抜いたユダヤ人で、かの悪名名高いナチスによる強制収容所での収容体験を経験している。

その時の己の体験を独特の視点でもって書いたのが”夜と霧”であり、この本は世界中でベストセラーとなった。

 

強制収容所での体験書というと悲惨で恐ろしい記述が並んでいるのかと思いきや、夜と霧はそういうものではない。

この本は極限状態に置かれた監視役と囚人の心に何が起きたのかを淡々と記述したもので、そこには怨みつらみのような記述はほぼ皆無である。

 

冷静に考えるとこれは凄い事である。

フランクルは主観的にも客観的にも被害者であり、普通の人ならば被害者意識を爆発させて世を嘆き恨み悲しんで一生を終えても何もおかしくはなかった。

だが、彼はその人生を選ばなかった。

僕はここにフランクルのしたかさを感じるのである。

 

仮にだが、フランクルが周りの慰めに甘え、被害者意識を爆発させるがままだったとしよう。

彼はそれによって一時的には癒やされたかもしれない。

だが、その道は永遠に被害者であり続ける道でしかない。

今のような尊敬の念を持たれるような存在からは程遠い何かだ。

 

彼は恨みやつらみを脇にどけ、被害者というスタンスから一歩足を踏み出す事に成功した。

その結果、単なるナチスドイツによるかわいそうなその他大勢のユダヤ人ではなく、夜と霧のヴィクトール・フランクルとして莫大な名声を手にする事に成功したのである。

 

これをしたたかな生き方だという以外、なんと形容できるだろう?

人間は最悪から最高を産むことだって可能なのだ。

 

生まれてきた理由を問うのではなく、目の前の人生に意味を問う

私達はよく生まれてきた事の意味のようなものを模索しがちだ。

僕も昔は随分と人生の意味のようなものを考えた記憶がある。

 

人は早い段階で己の人生ともいえるようなものを見つけ出す事に成功したタイプの人に強いあこがれを持つ。

「自分はいったい何のために生まれてきたのだろう?」

人間はこのように己の人生の中に何らかの意味を見出したいという強い願望がある。

だがフランクルはこの人生の意味論のようなものを一蹴する。

 

「あなたが人生に何かを問うのではなく、人生の方が常にあなたに何かを問いかけている」

「そこに意味を見出して、生き抜くのが私達に課されたものである」

 

改めて振り返ってみると、藤沢秀行氏とフランクルの生き様は実は結構似ている。

 

人生の早い段階で好きに意味を見い出しつつも、辛酸を舐め、それをオレ流で花開かせた藤沢氏の生き方に私達が強く惹きつけられるのは、彼が最悪から最高のドラマを咲かせたからに他ならない。

あの破天荒さが単なる喜劇ではなく共感を呼ぶのは、やっぱり最悪から最高を生み出せるという事に人々が強い希望を感じるのだろう。

 

フランクルも強制収容所での体験中、きっと何度も「なんで自分がこんな目に」と思ったに違いない。

それこそ、こんな苦しい思いをするために生まれてきただなんて、神はなんてあまりにも酷い仕打ちを自分達に課すのだろうと世を儚んだ事だってあっただろう。

 

だがそこで恨みの感情に飲み込まれずに、淡々と目の前の人生に意義を見出す事に成功した。

結果、彼は後世になって莫大な名声を手にする事になった。

 

先程記述したアルコールの沼から抜け出した彼の立ち振舞いもフランクルに少し似ている。

彼だって、意見が合わない上司の悪口を酒を煽ってぶちまける事だってきっとできただろうし、その結果としてもっとアルコールの沼に深くはまり込む自由だってあった。

 

けど、結果的には彼はそうしなかった。

人生が彼に与えた不快感満載の上司という苦境を通じて、彼は殺意でアルコールをコントロールするという術を身に着ける事に成功した。

 

世の中は良いことだけが良いものをもたらすわけではない。

一見すると物凄くストレスフルで嫌なことだって、意味さえ見いだせれば別の良いものを生み出すキッカケとしても利用可能だ。

 

決して不幸や加害行為を許すというわけではないが、こうしたしたたかな生き方に、コロナ禍という苦境にある私達が学ぶことはきっと多いはずだ。

 

未来はいつだって己の力で明るくできる。

そう信じて、したたかに生き抜こうではありませんか。

 

 

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【著者プロフィール】

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高須賀

都内で勤務医としてまったり生活中。

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twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように

noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます

 

Photo:Mike Bean