つい先日、twitterまとめのtogetterに『「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」まじか・・・』という文章が投稿されてバズっていた。

「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」まじか・・・ – Togetter

 

このtogetterで「長文」として挙げられていたのは、感染症の専門家としてすっかり有名になった岩田健太郎先生のブログ記事だ。

成人式を迎える年代の人々に対し、感染対策として成人式には行かないようお願いするそのの文章は、専門家が精一杯かみ砕いて語り掛ける内容であるよう、私には見えた。

 

しかしtogetterでコメントしている人々の声は辛辣だ。曰く、

・「日本人の5割くらいは5行以上の長文読んで意味を取ることができない」

・「たまたま見かけた5行以上の文字情報を見て最後まで読む人なんてほとんどいない」

・「日本人でいい歳した大人の3割はたった1行の文すら読み解けないどころか、そもそも文章読もうとしないってこと。」

どんなに優れた文章やかみ砕れた文章でも、5行までしか読めないなら伝えられることは限られる。

twitterの140字や、はてなブックマークの100字ともなれば尚更だ。

もし本当に日本人の5割くらいが長文を読めないとしたら、文章をとおして何かを伝えたり理解したりするのは絶望的と言わざるを得ない。

 

気が付けば、私も5行までしか読まなくなっていた

さて、この文章をここまで読んだ人はもう5行以上読んでいるはずなので、togetterの基準でいえば日本人のなかでも文章が読めるほうの部類、ということになる。

 

おめでとう!

あなたは5行以上の長文が読める日本人ですね!

 

5行以上の長文が読める日本人の一人として、あなたは「もっとみんな文章が読めるようになるべき」とか「読み書き能力は社会適応のカギ。社会の啓蒙にも必要だ!」などと考え始めたかもしれない。

それか、あなたが意地悪な人物だったら「世の中なんてそんなものですよ」とか「5行までしか読めないなんて、気の毒なことだ」などとニヤニヤしているかもしれない。

 

いずれにせよ、5行以上の長文が読める日本人勢には、こうした話を他人事とみなす資格がある……ようにみえる。

 

ある時期まで私もその一人のつもりだった。

自分は「みんな文章が読めるようになるべき」と言う側だと思っていた。

精神科医で書籍も書いている私は、文章が読めるほうの人間に違いない……そういう思い込みもあった。

 

ところがそれは思い込みでしかなかった。

現在の私は、「5行以上の長文を読んで意味を取ることができない状態」に頻繁に陥っている。

少なくとも、私は一日のかなりの割合を「5行以上の長文を読んで意味を取ることができない状態」のまま過ごしている。

 

参考までに、私の平日を振り返ってみよう。

朝。あわただしい朝の隙間時間を縫うようにメールチェックをし、twitterとはてなブックマークに目を通す。

メールはタイトルしか読んでいないし、twitterやはてなブックマークは飛ばし読みだ。

 

5行以上どころか3行も読めていないし、1行だって怪しいものだ。

画面が滝のように流れてゆき、目の焦点はどこにも合わない。

そうだ、ソーシャルゲームの朝の日課もやっておかないと。

 

昼休み。twitterなら140字ぐらいは読めている……ような気がする。

ブログ記事、ヤフーニュース、講談社ビジネスなどもぎりぎり読める。

それでも昼休みのインターネットは時間との戦いだ。

後で読んだほうが良いと思った記事があれば、はてなブックマークで [あとで読む] タグをつけて放置しておく。

 

夜、帰宅した後。疲れた目をこすりながらPCの前に座る。

その時間にはもう、新しい記事、新しいツイートが並んでいる。

興味のある文章・自分の感性になじみやすい文章なら読めるが、興味の乏しい文章・自分の感性になじみにくい文章を読むのは辛い。なにしろ仕事で疲れた後なのだから。

 

読んでいる最中に家事が割り込んだり、子どもに勉強のことで質問されたりすることもある。

そうなると、読みづらい文章はつい、3行ぐらい読むのをやめてしまいたくなる。

昼休みにつけておいた [あとで読む] タグのことはもう忘れている。

そうだ、ソーシャルゲームの夜の日課もやっておかないと。

 

こうやって振り返ると、私の一日のなかで「5行以上の長文を読んで意味を取ることができる状態」がいったい何%あるといえるだろうか。

時間にして、30分から1時間といったところではないだろうか。

 

仕事が無い日や資料や原稿を扱う日にしても、長文をちゃんと読めているとは言えない。

大切な資料、それに類する文章はできる限り丁寧に読むようにしている。

 

逆に考えると、本当に大切な資料を読むためにエネルギーを使い果たしてしまい、そうでもない文章、そうでもない記事は結構いい加減に読んでいるということでもある。

オンラインの文章や記事だけでなく、書籍が斜め読みの対象になることもある。

私は「速読は悪い読みかた」派だったはずなのに。

 

どうしてこうなった?

どうして私はこんなに読めない人間になってしまったのだろう?

思いつくことはたくさんある。

 

加齢。

仕事。

家のこと。

SNS。

ソーシャルゲーム。

どれも可処分時間を削りそうなファクターだ。

ということは、年を取るほど、仕事が増えるほど、生活が忙しくなるほど、文章や記事が読めない時間が増えるのではないだろうか。

 

もちろんアルコールも、文章や記事が読めない時間・読めていない時間を増やしているに違いない。

 

それと、読まなければならない資料や文章が増えれば増えるほど、普段のインターネットや読書がずさんになっていく、とも感じる。

若い頃から私は、可処分時間ならぬ可処分読書時間みたいな隠しパラメータがあると信じていて、その隠しパラメータのキャパシティが乏しいから私は読書家失格だと自分のことを思っていたが、今の私は、その可処分読書時間が完全にパンクしている。

 

こうした自分自身のこと、ソーシャルゲームばかりやっている他人のこと、忙しくて疲れて家のことにも忙殺されている人々のことを思い出すと、「私たちは意外に簡単に5行以上の長文が読めない状態に陥るものだ」という思いを禁じ得ない。

 

ネットニュース編集者として有名だった中川淳一郎は、インターネットに溢れる愚かさを『ウェブはバカと暇人のもの』と12年前に比喩した。

 

この本に記されている内容はいくらか古くなっているが、大筋は現在でも通用する。

確かにインターネットは馬鹿のものでもあり、暇人のものでもある。

なぜなら暇を持て余した人間が一番たくさんネットで活動出来て、「いいね」や「シェア」もたくさん繰り出せるという意味では、暇人はインターネットで最強だからだ。

 

しかし、そういう「暇人が猛威をふるってインターネットが馬鹿になってゆく」的な問題に加えて、暇のない人の問題も大きいと私は思う。

暇のない人が暇のないままにSNSをなぞって、適当なコメントをつけて、本当は5行以上読めてもいないか、タイトルしか読めていないのに「いいね」や「シェア」をつけ、そうやってインターネットがどんどん馬鹿になっていく側面もあるのではないだろうか。

 

さきほど私は、可処分時間を削りそうなファクターとして加齢、仕事、家のこと、SNS、ソーシャルゲームなどを挙げた。

だとすればだ。

この、どんどん高齢化して、高齢者までもが忙しくなって、みんなが忙し過ぎて余裕のない日本社会なるものは、ますますインターネットが馬鹿になりやすい素地となっているのではないだろうか。

 

暇人が猛威をふるってインターネットが馬鹿になってゆくと同時に、忙しくて仕方のない人々の流し読みコメントや、ものすごく適当な「いいね」や「シェア」によってもインターネットが馬鹿になっていくとしたら、インターネットが馬鹿になっていく両輪が揃ったも同然で、まるで救いがない。

 

こうした、インターネットが加速度的に馬鹿になっていく問題はたくさんの人が気付いているものでもあり、たとえば評論家の宇野常寛はこれからの方向性として「遅いインターネット」を提案している。

この国を包み込むインターネットの(特にtwitterの)「空気」を無視して、その速すぎる回転に巻き込まれないように自分たちのペースでじっくり「考えるための」情報に接することができる場を作ること。

Google検索の引っかかりやすいところに、5年、10年と読み続けられる良質な読み物を置くこと。

そうすることで少しでもほんとうのインターネットの姿を取り戻すこと。そしてこの運動を担うコミュニティを育成すること。そのコミュニティで、自分で考え、そして「書く」技術を共有すること。それが僕の考える「遅いインターネット」だ。

これからのインターネットをどうしていくかという問題は『遅いインターネット』などに任せるとして、では、私たち個人はどうすればいいのだろう?

 

どこまでも高齢化し、どこまでも忙しくなり、メディアもエンタメも争うように人々の可処分時間を奪い合う世の中で、私たちが5行以上の長文を読んで意味を取っていくのはかなり難しいと思う。

少なくとも、いまどきの情報環境にただ流されるばかりでは、しっかり読むなどできたものではない。

 

はっきりとした対策をここで私が提案することはできないが、たぶん、ある種の遮断やあきらめが必要になってくるのではないだろうか。

あるいは情報源としてのインターネットは放棄して、テレビや新聞のニュース、コラム、ドキュメンタリーといったものに回帰していくしかないのかもしれない。

 

エリートはこの問題にどう対処しているのか。それとも……

余談になるかもしれないが、最後に、この問題の延長線にある疑問について書いてみる。

 

私も含めた、大半の人が「5行以上の長文が読めない状態」に陥りやすい社会状況にあるとして。

それなら、世の中のほとんどの人より忙しくて、もっとたくさん読まなければならなくて、もっと責任の重い人々はいったいどうやって「5行以上の長文が読める状態」を維持しているのだろうか。

 

たとえば国会議員は、世の中のほとんどの人より忙しく、責任も重い。

そうしたなかで、政策に関わるために膨大な資料を読まなければならないし、社会動向についても該博な知識を期待されている。

 

もちろん国会議員は官僚やブレーンが作る資料に助けられているだろう。

それでも短時間で大量の文章や情報に目をとおし、判断を下さなければならないわけだから、たとえ官僚やブレーンの助けを借りられたとしても、たとえ本人の読み書き能力自体がハイレベルでも、「5行以上の長文が読めない状態」を免れることはなかなか難しいように思う。

 

ニュースキャスターや分刻みのスケジュールで生きているタレントたちもそうだ。

彼らは皆、人前で適切に発言できるよう期待されている一方で、短い可処分時間でより多くの情報に向き合わなければならない。

 

そういう人たちはどうやって「5行以上の長文が読めない状態」を免れているのだろうか。

それとも本当は「5行以上の長文が読めない状態」が頻発しているけれども隠しているだけなのだろうか。

 

それとも……。

あまり考えたくはないのだけど、本当はエリートたちも「5行以上の長文が読めない状態」のなかで、つまり「インターネットが馬鹿になっていく」のと同じ状況のなかで諸決断を下し、それで政治や運営が動いていたりするものなのだろうか。

 

いやまさか!

それではまるで、高度情報化社会とはその複雑さと情報の氾濫によって国の頭からつま先まで、いわばみんな馬鹿ばかりになってしまう社会ということではないか。

だけどもしそうだったらすごく嫌だな……とNHKの7時のニュースを見ながら、ふと思った。

 

 

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【プロフィール】

著者:熊代亨

精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。

通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。

twitter:@twit_shirokuma

ブログ:『シロクマの屑籠』

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