ミュージカル女優を夢見るあなた

新型コロナウイルスが日本で感染者を出し始めてから一年と少し経過した。

いままでの生活が揺らいだ人もいるだろうし、仕事を失ったり、事業をたたまなくてはならなくなった人もいるだろう。

 

一方で、これからの機会を失う人も少なからずいるはずだ。たとえば先日、こんな記事を読んだ。

コロナ禍における若者の機会損失について

 

むろん、匿名のダイアリーに書かれたものなので、真偽はわかりようがない。

しかし、この「コロナ禍にミュージカル女優を目指して上京したばかりの20代前半女性」のような人も少なくないはずだ。

そのような人がチャンスを失う可能性は十分に考えられる。

 

おれはこれを読んで、「人間とはつくづく時代から自由になれないものだな」と思った。

もちろん、ミュージカル女優を目指してミュージカル女優になれる人は一握りかもしれない。

しかし、そこへのチャレンジする機会まで失われてしまうのは悲しいことだ。

 

人生に夢も目標もなく年齢だけ重ねてきた、おれのようなダメ人間ですらそう思う。

おれのような人間の同情は一銭の価値にもならんが、そう思う。

 

反出生主義者はこう思う

時代から、自由になれない。

そもそも自分がいつ生まれるかも選べない。

それを言い出すと、どこの国に生まれるかも自由ではないし、どのような親のもとに生まれるかもわからない。

どんな環境で、どんな遺伝をもって生まれるか、選びようがないのだ。

 

そこをつきつめると、生む側と生み落とされてしまう側の圧倒的な不公平を見つけることになる。

生まれ持った能力。家庭の財力や文化資本。国の豊かさ。そして時代。

人間は選びようのないものに左右されずにはおられない。

当たり前の話だが、それが当たり前でいいのだろうか。

 

せめて、人間が生まれたら、衣食住その他の生活の基盤が死ぬまで最低限保証されなきゃおかしいんじゃないかと思う。

そのような用意すらできていないのに、人間が人間を増やすというのは、かなりいい加減な話のような気がする。

むろん、過去にはもっとひどい時代もあって、それでもいい加減に、あるいは宗教的な信念などによって人間は人間を生産しつづけてきた。

そして、いまの世界があるのである。

 

が、「である」と「すべき」は峻厳に分けねばならない。ヒュームのギロチンだ。

べつに今までそうだからといって、これからもそうである「べき」という話にはならない。

もう、やめてしまってもいいんじゃないのか。

 

 

というわけで、おれは反出生主義者を名乗っている。

どう思われようが構わない。

今現在においても、人間が人間を生むことには、それ自体になにか無理があるのではないか、考えてしまうのだ。

 

たしかに世界は昔よりよくなっている。

豊かさ、衛生面の充実、人権やらなにやら……。

それでも、まだ届いていない。おれはそのように思う。

全人類に死ぬまでの生活を無条件に与える、そんなことは夢想だ、無理だ、というのであれば、手っ取り早く生産をやめてしまえば問題は解決する。そうじゃないのか。

 

少子化、無産化によって人類が滅んでもよい、というのは危険思想だろうか。

まず、絶対に勘違いしてほしくないのは、生まれてきてしまった人間を死なせるつもりは一切ないということだ。自分自身を含めてだ。

望みもせずこの地獄に生まれてきてしまった共柄だ、同胞だ。

 

地獄の仲間に地獄を味わわせる必要などない。

せいぜいお互いに同情しようというだけだ。

親切にしようというだけだ。

……危険どころか平和で仲良しだ。悪くない。

 

まあ、少子化によって今生きている人間がけっこう苦しんで人間世界の店じまいをしなくてはならないということには、忸怩たる思いはあるが。

と、おれはいつも人間は滅んでもよいとか、たいそう大きなことを考えて、述べている……つもりでいた。

 

宇宙はきっと呆れてる

もっとすごい人がいた。

作家の石牟礼道子さんである。彼女が残した言葉にこんなものがある。

 

「生きていることには無理があるなぁという気がします」

(『死を想う われらも終には仏なり』)

 

この言葉については以前も触れたが、やはりあらためて考えてみたくなる。

なにより、スケールが違う。

生命を描いてきた人間が、その上で無理がある、という。

 

考えてみたら、生命には無理があるのかもしれない。

なにせ、かなりすごくなっているはずの人間の宇宙観測において、まだ地球外生命を発見できていないのである(東スポの一面では発見できるかもしれないが)。

相当遠くまで探しても、見つからんわけである。

 

宇宙はやばいほど広いが、人間の観測力もけっこうなはずだ(このあたり言い回しがいい加減なのは、ろくな知識がないからです)。

もし、生命に無理がないもの、当然のもの、必然のものであるとすれば、そこらへんの宇宙にも知的だか知的でないかわからんが生命くらい見つかってもいいはずだ。

痕跡くらいあってもいいだろう。でも、無いのである。

 

(以下、擬人的でいい加減な記述が続きますが、読者各人の知識によって科学的な言い回しに脳内変換してください)宇宙の星々にしてみれば、「なんだ、あの地球とかいう星は。生命なんて無理があんだろ」とか思ってるに違いない。

馬鹿なことしちゃってって思ってる。

 

月なんかも、「なんでおれはこんな変な星のまわり回ってるんだろ。旗とかさすなよ」とか言ってるに違いない。

生命なんてナンセンス、そんな無理しないで、黙って宇宙で石っころとしてたたずんでればいいのに。

 

まあ、人間原理、人間が観測していることにより宇宙が成立しているなんてことがなければ、宇宙意識はそう思っているに違いない。……え、宇宙意識ってなんだよ。

 

ともかく、それなのに、なんかわからんが、この星は生命いうものを生み出してしまったのだな。

それでいて、無理があるからべつの生物同士で争うことになるし、同じ種で争うことにもなる。

食い食われ、生きて死に、あらゆる不幸が日々生まれている。

 

COVID-19にしたってそうだろう。

感染症とか呼ばれるものは、病原体にとって本来の宿主でない人間とかいう生き物に入り込んでしまったがために起きている、とかいう話だ。

うっかり人間なんてものに寄生してしまったから、なんか目の敵にされちまってる。

いや、おれはべつにウイルスに同情するほどの博愛主義者じゃあないけれど。

 

ともかく、生命には無理がある。……って、ウイルスって生命なのだっけ。

ダーウィン進化はするよな? まあいいや、むずかしいことわかんねえや。

 

諦めて生きるしかないのか

まあ、そこまで諦めちまうってのもいいかもしれない。

宇宙が誕生してからすごくすごい時間が経っていて、その中のほんの刹那に生命とかいう無理のあるものが発生してしまい、なんだかわからんが、苦しんでいる。

 

そう考えると、去年や今年もないだろう。

十年、二十年、それがなんだっていうんだ。

弥勒菩薩がわれわれを救うまで五億年だか五十六億年だか待つのも、すこしうたた寝していればあっという間のことだろう。

 

……って、言えるか? 本心から言えるか?

言えないよな。問題は、今、ここ、これだ。

なんか間違った感じで生じてしまった生命の子孫だからなんだ、この時代の日本に生まれてしまったからなんだ。

問題なのは、この生をどれだけ苦痛から遠ざけるか、それだけだ。

病気になりたくない、痛い思いはしたくない、暗い気持ちになりたくない、できることなら死にたくもない、ミュージカル女優になって歌っていたい。

 

本当に、むごいものよな。

なにもかも生命に期限があるのがいけないし、老いていって若いころにしかできないことがあるというのもいけない。

「いけない」と言ったところでどうすることもできない。

ミュージカル女優になれるかもしれないし、なれないかもしれない。

 

畢竟ずるに、人間を苦しめているのはこの身という頼りないものと、宇宙史におけるなにかの間違いという、大きなスケールの、大きな行き違いよな。ミュージカルにしたいほど壮大よな。

 

そう、この身の頼りなさ。

この人間の身体というものからも自由になれない。

なにせこの身、いろいろあるが、飲み食いせねば生きていけない。

どの時代にどんな環境で生まれてこようが、そこから逃れられない。

 

では、どうやって飲み食いするのか。いや、器官的なことではなく、社会的な手段として。

いま、この国では、基本的に金を使って水や食べ物を得る。

自給自足で湧き水を飲み、森の果実を食べて生きている人もいるだろうが(いるのか?)、ちょっと例外とさせていただく。

 

金がなくては生きられぬ。

えらく即物的で虚しく、また、当たり前の話だが、問題はそこなのだ。

宇宙に比べたらいかにも卑小だが、問題はこの身なのだからそういうことになる。

身体から自由になれない。

 

このコロナ禍において、おれの仕事はありつづけるのだろうか。

給料は出るのだろうか。

ミュージカル女優は日本に何人いるのだろうか。

この街にピアノの調律師は何人いるのだろうか。

わからないことだらけだ。

 

一気通貫するなにかが知りたいんだ

愚か者で社会の下の方を漂っているおれには、わからないことが多すぎる。

賃労働によって稼いだ金によって栄養を得なければ死ぬ身体。

開闢以来、宇宙の中に稀に生まれてしまった生命というもの。

あまりにもスケールがかけ離れすぎている。

 

おれはどうにかなりそうになる。

どうにかなっているのかもしれない。

 

その極小と極大とをつなぐものはないのか。

一貫した説明はないのか。

おれはおれに問いかける。

おれは無知ゆえに答えられない。

 

だれか、そこのあんた、あんただよ、おれより賢いあんた、これを、このすべてを説明してくれないか。

おれに全部、全部の種明かしをしてくれないか。

そうしたら、おれだって、あんたのために歌ってやろう。

銀河の西の方までとどく、素晴らしい歌を。

 

あ、でも、おれは歌が苦手だし、恥ずかしがりなんで、ちょっと待ってもらっていいか。

56億年くらい練習する。

まあ、気長にやろうや。人生は長いようで短い。短いようで、案外長いかもしれないのだから。

 

 

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(2021/08/4更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

 

Photo by malith d karunarathne