友だちの1人が、とあるゲームを辞めた。
理由を聞いてみると、「なんでも教えたがるマウンティングおじさんがうざかったから」らしい。
「ググれば全情報載ってるし、Youtubeでトッププレイヤーの動画をいつでも見られるんだよ?それなのに、たいしてうまくもないおじさんに絡まれて本当に面倒くさかったわぁ」とのこと。
おうおうひどい言いようだな、そのおじさんが聞いたら泣くぞ。
と思いつつ、求めてないのにいろいろと横で解説されるのはたしかに邪魔くさいよなぁ……とも思う。
くわしく聞いてみたところ、「マウンティングってほど偉そうではないけど、たしかにお節介ではある」という内容だったし。
そういえば数年前(もしかしたら10年以上前?)、ネット掲示板ではそこらじゅうで「ggrks(ググれカス)」が使われていた。
「そんな初歩的なこと聞いてくんじゃねーよ」
「話に参加する前にまず調べてから来い」
といった意味の言葉だ。
で、それが浸透した結果、「ググればわかるんだから聞いてくるな」が、いまでは「知りたきゃググるから口出しするな」に変化しているのかもしれない。
ググればわかるのにググらないってことは、アドバイスは余計なお世話?
「面倒くせーな」と思う友人の気持ちももちろんわかるが、そのおじさんはこのご時世、ある意味貴重な存在でもある。
親切のつもりで口出しして、面倒なことになりたくない。
それなら自分ががんばってクリアすればいい。
長くゲームをやればやるほど、多くの人はこう考える。
「教える」という行為が、いかに余計なトラブルを招くかを知っているからだ。
アドバイスの正当性に自信があって、一言伝えればクリア確率が大幅に上がる内容でも、「面倒くさいことになっても嫌だから」と沈黙することを選ぶ。
そして結論として、「知りたければ自分でググってくださいね」、つまり「ググれカス」に帰結するのだ。
そういう意味では、そのおじさんは、「リスクを負ってまで教えてくれたいい人」だったのだと思う。
かくいうわたしも、極力口出しをしない派である。
たとえば攻撃しちゃいけない場所で攻撃して自滅するとか、まちがったタイミングでスイッチを押して罠を起動するとか、そういう人を見かけても、なにも言わない。
最初は、「今後のためにも教えてあげたほうがいいかな?」とちょっとソワソワした。
今回はよくても、いつかだれかに心無い暴言を吐かれて、トラウマになっちゃうかもしれないから(そういう人はたくさんいる)。
しかし、アドバイスをされて
「知りたければ自分で調べるので指示するのやめてもらえますか」
「ネタバレされた最悪」
と不愉快になる人がいるのも事実。
だから、言わなくてもクリアできる場合、
「教えてあげたほうがいいかな? でも逆ギレされたら面倒くさい……。まぁいいか、余計なことを言わなくて」
と、なにも言わないことを選ぶのだ。
いやだって、知りたきゃ自分で調べるでしょ? 他人の動画見てたら自分のミスに気づくでしょ?と。
そうしないならそうしないでいいよ、遊び方は人それぞれだし、もう2度と会わないだろうし、と。
「ググれカス」が当たり前になったことで、「調べてないってことはアドバイスを求めてないんじゃないか」と思ってだれもなにも教えなくなるという、新たな忖度が生まれているのかもしれない。
なにがわからないかわからない初心者は、自分の悪いところに気づけない
実際問題、なにか知りたければ、ネットでちょちょいとググればいい。
Twitterで「動物園にいたこの動物の名前がわかりません」とつぶやけば詳しい人がリプをくれるし、インスタで「かっこいい新幹線、なんて名前だろう?」と書けばコメントで答えを教えてもらえる。
だから、「知りたければ調べるので偉そうにアドバイスとかやめてくれますか」という発想になるのは、当然といえば当然だ。
で、教える側が、「調べてないってことはそれでいいと思ってるんだろうな。口出ししないでおこう」と沈黙するのもまた必然。
知りたきゃ調べるからマウントとってくんな。
わかんねーならググれカス。
これで話は終わり。
お互い余計なことを言わず、グーグル先輩にすべてをお願いすればそれでOK。
が、一見大人な対応に見えるこの割り切りは、実は大きな問題を孕んでいる。
先輩からのアドバイスや指摘がなくなると、初心者や後続組が自分に不足しているものに気づけず、永遠に足手まといになってしまいがちなのだ。
というのも、「知りたければ調べる」というのは、「どの情報が不足しているかを理解している」ことが前提になる。
でも初心者の場合、「なにがわからないかわからない」ことも多く、「わかっていないことに気づいていない」こともありうる。
たとえば、「ボスからの攻撃を右に避けないと、後から来る仲間がダメージを負ってしまう」という罠があったとしよう。
先行プレイヤーが右に避けていれば、自分は左に避けてもダメージは受けない。
しかし、後から来る味方プレイヤーはダメージを受けるので大迷惑。
それでも初心者は、自分自身はダメージを受けていないので、まわりに迷惑をかけているなんてまったく気づかない。
そこでだれかが「右に避けて」と言ってあげればいいのだが、余計な口出しして面倒なことになるのがイヤだから、なにも言わない。
で、初心者は今後もなにも考えず左に避け続け、「自分はできている」と思ってしまう。
本人は悪気がなく、あくまで無自覚。
しかしまわりからは、「できてないくせにできてるって勘違いしてる痛いヤツ」「何回やってもうまくならないバカ」だと認識されてしまう。
「ググれカス」がめぐりめぐって、無自覚に地雷行為を繰り返す足手まといプレイヤーを生み出すことになるのだ。
身近に起こったゲームの話を例に出したけど、「教えると面倒なことになるからなにも言わないでおこう」と沈黙した経験は、きっとだれにでもある。
わたしたちゆとり世代が社会に出たとき、上の世代からは「やる気がない」とさんざん叩かれた。
もしかしたらそれは、わたしたち世代が、「わからないことはあなたに聞かずにグーグルに聞くので結構です」という姿勢だったからなのかもしれない。
年上の人たちはその態度を見て、「なんで聞きに来ないんだ! 熱意がない!」という気持ちになったのだろう。
そんなこんなで、教える気がなくなった先輩たちも多いと思う。
で、結果として、自分に足りないものに気づけず足踏みする初心者や、無自覚に他人に迷惑をかけ続ける後輩が増える……なんてことになっているんじゃないだろうか。
ちょっと飛躍しすぎかもしれないが、オンラインサロンやインフルエンサーのぼったくりコンサルなどが成り立つのも、「足りないものを教えてもらいたい人」が多いからなのかもしれない。
でもこれって、複雑な問題ではなくて、ただのコミュニケーション不足ってだけだよね。
余計な口出しされたくないのであれば、「自分自身で試行錯誤します」と言えば暖かく見守ってもらえるだろうし、知識を蓄えたいのであれば、「まちがってたら指摘してもらえるとうれしいです」と宣言すればいいだけ。
アドバイスをもらう側の姿勢が明確なら、教える側としても、「この人はそっとしておこう」「この人はやんわり指摘しよう」「この人ははっきりと事実を伝えよう」と判断しやすい。
自分が教える側の立場であれば、「ちょっと説明していい? もう少し自分でやる?」と相手の考え方を確認したり、「自分も他の人に教えてもらって初めて知ったことなんだけど」と付け加えたりして、うまいことフォローしていけたら結構平和に収まるんじゃないかと思う。
ググればなんでもわかる時代。
「知りたきゃ自分で調べる」
「知りたきゃ自分で調べろ」
が成立するからこそ、教えてもらえる機会を逃すと永遠に足手まといのままだし、教え方をまちがえると面倒なトラブルに発展する。
それでもやっぱり、他人に教えてもらうっていうのは、自分の成長のために必須な要素なわけで。
自分自身もそうやって学んできたからこそ、できればだれかにも、同じようにしてあげたい。
というわけで、今度あの角で左に避けている初心者っぽい人を見かけたら、「後ろの人が死ぬから右に避けてもらえるとうれしいなー!」と伝えてみようと思う。
「そこ初見殺しだよねw わたしも教えてもらうまでテロ行為しちゃってたw」も付け加えて。
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【著者プロフィール】
名前:雨宮紫苑
91年生まれ、ドイツ在住のフリーライター。小説執筆&
ハロプロとアニメが好きだけど、
著書:『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)
ブログ:『雨宮の迷走ニュース』
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