ある夏の暑い日、ぼくはたった一つのフレーズだけを抱きしめて、自転車で名古屋中のCD屋を探し回っていた。

 

正確な時期は覚えていないのだが、多分ぼくは小学生高学年くらいだったのだと思う。

まだ中学には入っていなかった筈だ。

となると「名古屋中のCD屋」というのはもちろん誇張で、実際には東山線沿線の、しかも今池から藤が丘くらいまでのめぼしいCD屋全部、というくらいが関の山だったろう。

けれど本人の意識的には、それこそ名古屋中の店を駆け回っているような気分だった。

 

子どもの記憶というのはいい加減で、けれど部分的には妙に鮮明で、ふとした拍子に訳が分からない程の存在感とセットで記憶の断片が浮かび上がってくることがある。

その時浮かび上がっていたのは、「ずっと昔に聞いた音楽の断片」だった。

 

一度ちょっと聴いただけの曲のフレーズが、妙に耳に残ることはあるだろうか?

ぼくには昔からその傾向があって、小さいころちょっと聴いただけの曲がいきなり復活しては、耳について離れなくなることがちょくちょくあった。

 

その時も、曲の全体像はさっぱり分からないのに、「とにかくかっこいい曲だった」という印象と、ほんのワンフレーズだけがしつこく記憶にしがみついていた。

かっこいい曲だったんだ。滅茶苦茶いい曲だったんだ。それだけは覚えていたんだ。

 

その曲について、ぼくが思い出せたことはほんの3つだけだった。

・何かの歌番組で流れていた。

・高い声の男の人の歌だった、と思うけどもしかすると女の人かも

・「ジャングルでなにかをくわえる」みたいな歌詞があったと思う

この3つのヒントだけで、曲を探し出すことは出来るだろうか?

 

「ああ、あれか」とピンときた人がいたとしたら、当時、あなたがぼくのそばにいてくれたらあんな苦労はしなくて済んだのに、と心から思う。

人生の出会いのタイミングというものはつくづくままならないものだ。

 

けど、ぼくはとにかく、「滅茶苦茶いい曲だった」「あの曲をもう一度聞きたい」という厄介な願望をもってしまった。

そして、周囲の知っていそうな大人に、ひたすら聞き取り調査を行った。

もちろん皆お手上げだった。

 

両親、だめ。学校の先生、だめ。お隣のおじさん、だめ。スイミングスクールの先生、だめ。

当たり前だ、メロディさえろくに覚えていないというのに、「ジャングルでなにかをくわえる」などという意味不明なフレーズだけで曲が推測できるわけがない。

 

いまなら、Twitterにでも「この曲誰か知りませんか!」とツイートすれば、集合知で何かしらの結論を出してもらえるかも知れない。

けれど当時は、インターネットどころかパソコン通信すら一般的ではなかった。

 

そんなぼくがとったのは、「色んなCD屋さんに行って店員さんに聞いて回る」という手段だった。

当時はまだあちこちにCD屋さんがあって、CDと一緒に音楽テープもたくさん置いてあった。

そしてぼくは、生まれて初めての音楽テープも買ってもらって、ウォークマンのお古ももらっていた。

 

ぼくが初めて買ってもらったテープはゲーム音楽で、「ファイナルファンタジーIII 悠久の風伝説」というタイトルで、それはそれでものすごく素敵なテープだったんだけど、今はそちらの話は置いておく。

興味があったらこっちの記事を読んでみて欲しい。

レトロゲームサントラ語り・「ファイナルファンタジーIII 悠久の風伝説」

 

とにかくぼくは、忙しいだろうCD屋の店員さんを捕まえては、「こういう曲ありませんか、何かの歌番組で流れてて、すっごくいい曲で、「ジャングルでなにかをくわえる」みたいな歌詞があったんですけど」と聞いて回っていたわけだ。

物凄い頻度で「なんだこの小学生?」と思われていただろうと思う。

「どうしてそう変な方向にばかり思い切りがいいのよ!?」とも思う。

 

地下鉄を使う程のお金の余裕はなかったので、土曜日になる度に自転車に乗って、クソ暑い中を駆けずり回って、目に入ったCD屋さんに駆けこんでは、上のような質問を繰り返していた。

おかげで随分と脚力はついたが、今から考えると本当に店員さんには申し訳なさしかない。

さぞかし混乱させてしまっただろう。

 

一体それを何日繰り返したのか、よく覚えていない。

けれどあの店の場所と、店員のおじさんの頭の形だけはよく覚えている。

 

名古屋には池下という駅があって、そこには「三洋堂」という大きな本屋があった。

ゲーム関係の本やら小説やらも充実していて、ぼくもちょくちょく親に連れてきてもらっていた。

ぼくは自分が住んでいた上社駅から、そこまで自転車で行った。

1時間はかかったと思う。

 

その三洋堂の近くにあったCD屋さんだ。店の名前は覚えていない。

とにかくCDとテープとレコードが山と積まれてあって、店長さんらしきおじさんには髪はなかったけどひげはあった。

シティハンターの海坊主みたいな人だ、とぼくは思った。

 

「あの」

とぼくは問いかけた。

 

「こういう曲、ありませんか。昔なにかの歌番組で流れてて、多分男の人で、けど女の人かも知れなくって、「ジャングルで何かをくわえる」っていう歌詞だったんですけど」

 

店長さんは目をぱちぱちとさせた。

「なんだこの小学生は」と思われたことは間違いない。

 

けれど、ちょっと考えてから何かに思い至ったらしくって、「もしかしてこの曲のことか?」と言われた。

といっても、「この曲のことか?」と聞かれてから、曲を流してもらえるまでには随分時間がかかった。

「多分今ならこっちの盤だと思うんだけどなあ」とおじさんはぶつぶつ呟きながらテープ棚を漁った。

 

おじさんは、テープを取り出してきて、カセットデッキにテープを入れて、再生ボタンを押した。

歌が流れ始めた瞬間、「これだ」と思った。

実際に「これだ!!!!」と叫んだかも知れない。

 

スピーカーからは、澄んだ高音の男性ボーカルが、「うぇーぇぇーーぇぇえーえええーー」とでもいうような、特徴的な、けれど記憶のどこかに隠れていたメロディのままで流れていた。

ぼくは、数年ぶりに聴くそのメロディにただただ聴き入った。

 

そう……その曲の名前は、「ライオンは寝ている/The Lion Sleeps Tonight」。

 

それも元のThe Tokensではなく、「The Nylons」というアカペラグループのバージョンだった。

「ライオンは寝ている」には

 

In the jungle the quiet jungle

The lion sleeps tonight.

 

というフレーズがあるのだが、呆れたことに、ぼくはこの「the quiet jungle」という部分の歌詞だけを覚えていて、しかもそれを「くわえる、ジャングル」という日本語に脳内変換していたのだ。

本当に、あの店長さんも、よくまあちょっと考えただけでこの曲にたどり着いたものだと思う。

 

TheNylonsの曲はSpotifyやAppleMusicでも聴けるから、良かったら是非聴いてみて欲しい。

 

目を輝かせて曲に聴き入っているぼくのことを、にこにこしながら店長さんが見ていたことを覚えている。

ぼくにも経験があるから分かる。多分会心の瞬間だったろう。

わずかなヒントを元に曲やゲームタイトルを引き当てる、というのは、マニアにとって一つの喜びだ。

 

まあ、結局その時もっていたぼくのお小遣いではそのテープは買えなくて、あとからもう一度親に連れてきてもらった、というオチがつくのだけど。

その時買ったテープは、確かナイロンズのベスト盤だった筈だ。

ぼくはこのテープで初めてアカペラというジャンルを知った。

 

今はもう廃盤になってしまっていて、引っ越しのごたごたでどっかに行ってしまったのを本当に悔やんでいたのだけど、後から「ベスト・オブ・ナイロンズ」を買い直した。

これも滅茶苦茶いいCDなのでお勧めだ。

今では「ライオンは寝ている」以上に「Kiss Him GoodBye」や「ワイルドファイア」が好きなのだけど。

 

これが、ほんのひと夏。

ぼくがたったワンフレーズだけを頼りに、とある一曲を探し回った時の思い出だ。

 

今はもうあの店はないし、池下の三洋堂すらもう存在しないし、ナイロンズの曲はSpotifyでいつでも聴くことが出来るし、よくわからないフレーズがあればTwitterに「みんなこの曲のこと知らない?」と聴くことも出来る。

だからこの経験は、あの年、あの夏にしか存在しなかった経験なのだと思う。

 

だからぼくは、今でもナイロンズが好きだ。

 

ところでついこの間、こんなページを初めて知った。

福井県立図書館:覚え違いタイトル集

図書館に来た人が覚え違えていたタイトルを元に、本来その人が探していたのは何という本だったのか、図書館の人が探り当てた記録だ。

 

これを見ると司書さんというのは本当に物凄いとつくづく思う。

「海の男」を元に「老人と海」にたどり着くのも凄いし、「悪魔の人間」を元に「魔入りました!入間くん」に辿りつくのもすごい。

「日本の昔話「雪うさぎ」」を元に「永訣の朝」にたどり着くのに至っては、サイコメトリーの能力者なのではないかとしか思えない。

 

けれど、司書さんがすごいという以上にぼくが祝福したいのは、そんな一握りのうろ覚えな記憶を元に、「けれどこの本が読みたい」と思って図書館を訪れた訪問客の方だ。

かつてのぼくのように、彼ら、あるいは彼女らも、ほんの一筋の記憶を辿って素敵な本に出会えたのだろうと、その出会いが幸福なものであることを心から思う。

 

この世の全ての「コンテンツとの出会い」が、そのきっかけに関わらず幸せなものでありますように。

そんな祈りを胸に抱きながら、ぼくは今日も「The Lion Sleeps Tonight」を聴く。

Near the village,the peaceful village,The lion sleeps tonight.

 

今日書きたいことはそれくらい。

 

 

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システム開発やITコンサルティングを経て、
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現在はネクセラファーマ株式会社で、システムだけではなく、企業風土改革や業務改善をリードし、
日本発グローバルバイオ製薬企業にむけて、同社の成長基盤の構築に尽力している。

岡田 雄太(ワークワンダース株式会社 CTO)
野村総合研究所に新卒入社後、証券総合バックオフィスシステムやオンライントレードシステムなどの開発に従事。
その後、8 Securities(現SoFi Hong Kong)へ出向し、日本人唯一のエンジニアとして国際的なプロジェクトに携わる。
BOOSTRYでは信託銀行向けSaaSの立ち上げと成長を牽引。
WiseVineではCTOとして開発組織を30名規模に拡大し、プロダクト開発を推進。
2025年4月よりワークワンダース株式会社CTOに就任。AI活用を中心とした開発支援をリードする。


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(2026/01/19更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo:Pascal Terjan