昔、ある会社をクビになって惨めに追い出されたことがある。
当時の私のポジションは、持ち株ほぼ0の雇われ取締役。
長く経営不振が続いていた中堅メーカーで、同社のメインバンクの投資部長から、
「大事な出資先なので、なんとか立て直して欲しい」
と言って頂き、就いたポジションだった。
それから6年余り。
さまざまな施策を講じたが、最終的に自力再建に至らず他社の傘下に入るイグジットを選択することになる。
そしてこの際、買い手先候補として2社が手を挙げてくれた。
A社からは、現在の株主や従業員、取引先の当面の利益を維持する上に、買収金額としてとても魅力的な条件が提示された。
一方でB社からは、A社に劣る買収条件に留まる上に、株主や従業員、取引先の当面の利益の維持についても保証を拒否される。
ただしB社は、買収後も現経営陣はそのまま雇い続ける上に、経営トップの長男を厚遇で雇うことまで約束してきた。
この両社からのオファーに対し、役員会では私以外の全員が、B社からの提案を支持する。
しかしこんな自分勝手な意思決定など、法的にも道義的にも到底受け入れられるものではない。
会議にはB社の担当役員も同席していたが、本人を目の前にして
「こんな姑息な条件を出すなど、どうかしている」
とまで非難するが、敵うはずもない。
決定は覆らず、会社はB社への身売りが決まった。
こうして、B社への売却に最後まで抵抗し怒らせた私は、クビになることになった。
怒りを収めきれない私はその夜、友人を呼び出すと絡み酒で、愚痴をこぼし続けた。
ふざけんなクソ野郎と、B社だけでなく自社の経営陣にも悪態をつき続けた。
しかし友人は、私の話をニヤニヤしながら呆れたように聞いている。
「まじめに聞けや。俺、間違ってるか?」
「当たり前やろ。むしろお前が悪い。根本的にお前が間違ってる。なぜ正しいことをした気になってる?」
「どこがおかしいねん。」
「俺なら、B社の社長に直訴しに行くけどな。『買収後は、私に社長をやらせて下さい』って。自分が正しくて、他全員が間違ってると思ってるんならやるよな?」
「・・・通るわけないやろ。」
「じゃあ黙って辞めろ。一番の能無しは、責任を引き受ける覚悟もなく、無責任な立場のくせに好き勝手言ってるだけのお前だ。」
「……」
「お前は、ステークホルダーのために努力してる気になってるかも知れんけど、勘違いすんなよ?」
「どういうことだ。」
「手段を選ばず、最後までやれることをやってから偉そうなことを言え。それすらできないお前は、いいこと言ったつもりで気持ちよくなってるだけのクズだ。」
「……」
言い返せなかった。彼の言うとおりだった。
その後も散々に説教をされた私は結局、彼に焚き付けられて最後の悪あがきをすることを決めた。
そうだ、どうせ黙っててもクビになるんだ。
やれるだけのことをやってやろうじゃないか、と。
降伏後に始まった「最後の戦い」
話は変わるが、先の大戦の「終戦の日」をいつかと問われたら、なんと答えるだろう。
恐らく多くの人が、1945年8月15日と即答するのではないだろうか。しかしこれは事実ではない。
1945年8月18日、日本最北端の地で始まった占守島の戦いこそが、日本が戦った最後の組織的な戦争であり戦闘である。
時系列はこうだ。
終戦間際の8月8日。すでに戦闘能力を失っていた日本に対し、当時のソ連邦(ロシア)は日ソ中立条約を一方的に破棄して、宣戦を布告する。
そして翌9日には満州に、11日には南樺太の日本領に攻め込むと、次々と支配下に収めていった。
その侵攻は8月15日に日本が降伏を宣言してからも変わらず、8月18日には千島列島の最北端、占守島への攻撃を開始する。
そしてこの時、ソ連の最高指導者であるスターリンは米トルーマン大統領に対し、北海道の北半分までの占領を予告した。
つまり千島列島沿いに南下し、北海道まで攻め込んでソ連領とする計画だ。
その最初の侵攻地として8月18日、千島列島最北端の占守島に攻め込んできたということである。
これに対し、北方の指揮官であった日本陸軍・樋口季一郎中将の決断は早かった。
このままでは日本は北海道まで、理不尽に奪われるだろう。
直ちに、「断固、ソ連の企図を阻止すべし」と現地守備隊に命じ、徹底抗戦を指示する。
しかしすでに、日本は降伏している。一部では武装解除も進み、もはや戦う力など残されていない。
そのような中で抗戦を指示することに、個人的に何の利益も無いだろう。
それどころか、降伏後も戦闘を命じたとなれば重大な戦犯として訴追される可能性すらある。
しかし樋口は迷わず、現地に対しソ連の侵攻を断固阻止せよと徹底抗戦を命じた。
そして、現地で命令を受けた指揮官・堤不夾貴中将以下の将兵もまた迷わなかった。
攻撃を開始したソ連軍に対し直ちに反撃を開始すると、その上陸軍のほとんどを海に落としてしまい、圧倒的な強さを見せる。
なぜ、すでに降伏し武装解除まで始まっていた守備隊に、そこまでの戦闘能力が残っていたのか。
占守島には北方の精鋭が揃っていたこともあるが、実は主力部隊の一つに、ガダルカナル島の生き残りが含まれていた事が大きかっただろう。
ガダルカナル島は戦争初期、日米最大の激戦地の一つで、米国が国家の総力を投じて奪いに来た島だった。
日本陸軍にとっては「敗戦のターニングポイント」ともなった島だが、そんなこともあるのだろう。
同島から撤収した部隊は最前線を追われ、占守島のような「僻地」に送られ、閑職の守備隊として新たな任務を与えられていた。
米軍のような、想像を絶する火力と兵力を相手に戦い抜き、生き残った将兵にとって、真似事で始めたようなソ連軍の上陸作戦などなんら脅威ではない。
ソ連軍からすれば、まさかこんな僻地にガダルカナルの将兵がいるなどと、想像もしていなかったのではないだろうか。
「一日で落とし、そのまま北海道までなだれ込む」というソ連軍の計画は文字通り海に叩き落され、その間に米国はソ連に対し日本への侵攻を止めるよう勧告し、部隊の一部を北海道に送る。
その後、大本営から武装解除を命じられた占守島の部隊は優勢を保ったまま8月21日にソ連軍に降伏するが、計画が狂ったソ連軍もまた、翌22日に北海道占領作戦を正式に中止した。
そしてソ連軍はその鬱憤を晴らすように、8月末から9月初旬にかけて北方4島まで攻め込み、自国領として編入することになる。
さらに占守島で戦った将兵を捕虜として捕らえ、シベリアに抑留し多くの命を奪い、作戦失敗の報復とした。
このようにして、8月18日から戦われた「日本最後の戦い」は幕を下ろした。
この占守島の戦いを、どう思われるだろうか。
人によっては、無駄な抵抗と思うか、惨めな末路と思うのかも知れない。
確かに、降伏後の戦闘で命を落とすなど、ある意味でバカげているのだろう。
しかし私は、占守島で戦った将兵に対し心からの敬意を抱かずにはいられない。
捕虜として命を落とす“惨めな”人生の終わり方であったかも知れないが、私利私欲を超えて北海道を守る重大な責任を引き受けた覚悟を、一人でも多くの人に知ってほしいと願っている。
責任をとる覚悟
話は冒頭の、私の「クビになる前の、最後の悪あがき」についてだ。
私は翌日すぐ、B社の担当役員にお会いしに行き、
「大変な失礼を申し上げました。どうぞお許しください。」
と頭を下げた。
そして自分にこそ、買収後の当社の経営を任せて欲しいと、本気で詰め寄った。
しかしながら、そんな話をまともに取り合ってくれるはずもない。
鼻で笑われ追い返されるが、必ず役に立てると食い下がった。
そして最後には、「そこまで言うなら、何ができるか経営計画書にまとめるよう」、B社トップに必ず取り次ぐと言質を取り付ける。
さらに並行して、面従腹背でB社への売却を阻止すべく別の出資先を探すなど、惨めな悪あがきに奔走した。
正直、この段階で既存株主の多くは、既にドン引きだったように思う。
そこまでしなくてもいいという担当者もいれば、持ち分は既に償却しているから十分だと言ってくれた担当者もいたように記憶している。
そのような中、まとめた経営計画書をB社担当役員に渡すも、最終的に「却下されました」とだけ告げられた。
まあ当然だろう。
しかしクビになったあとは、本当に晴れやかだった。
もう自分にできることは、何一つ無い。
迷惑をかけた株主の皆さんにも、心からお詫びができる。
そして私を同社に送り込んだメインバンクの投資部長を含めて、
「6年間、本当にお疲れさま」
と言って頂きながら、同社を買収したB社に追い出され、めでたくクビになった。
この際、ご迷惑をお掛けした株主の多くとはその後もお付き合いを頂き、また別の事業で信頼を得て投資を頂く機会があったことも、敗戦の中でのささやかな誇りとなっている。
そして話は、占守島の戦いの後日談についてだ。
徹底抗戦を命じた樋口中将は戦後、当然のようにソ連から戦犯として名指しされ、身柄を引き渡すようGHQに申し入れがなされる。
しかしGHQのマッカーサー司令官はこれを拒否するのだが、その背景に実は、若き日の樋口の決断があった。
終戦から遡ること7年前、満州にあった樋口は独断と自身の責任で、ドイツの迫害から逃れてきた多くのユダヤ人に同地の通過を許可し、保護している。
さらに人道的見地から食料や生活物資を支給し、多くのユダヤ難民の命を救っている。
そしてこのことを記憶していたユダヤ人団体から米国政府に助命嘆願があり、身柄の引き渡しが為されなかったというものだった。
人の道に真っ直ぐであり、理不尽さを許さない樋口の「重大な責任を引き受ける覚悟」が、結果として彼の命を救った。
このような話を、恐らく多くの人は知らないはずだ。
樋口のこと、ガダルカナルの“敗残兵”が「左遷先」で死力を尽くし、北海道を救ったこと。
しかしその引き換えに、多くの人が報復として命を奪われたこと。
私自身の話はよくあるターンアラウンドの結果に過ぎないが、それでもやはり多くのステークホルダーにその仕事ぶりを認めて頂いたことは、本当に嬉しかった。
この程度のどうでもいい、ちっぽけな覚悟であっても、だ。
一方で、北海道を救うために多くの先人が、降伏後にも関わらず大きな責任を引き受ける覚悟で独断で戦ったことについて、私たちは何も知らなさすぎるのではないだろうか。
そして8月15日を終戦記念日として、それ以降を無かったことにしているのは、余りにも酷いのではないだろうか。
その覚悟を認めるべき、感謝すべき・・・などと言うつもりはない。
そこから何を感じ取り、どう教訓に活かすのかは人それぞれの価値観であり、決して押し付けられるべきものではないので当然だ。
ネガティブに批評する意見があっても、なんら不思議ではないだろう。
しかしその上で、もし良ければそんな史実を知った上で、同地で戦った人に僅かでも興味を持って頂ければ嬉しく思う。
肯定でも否定でもいい。
大きな責任を引き受ける覚悟で意思決定をすることは、決して楽なことではない。
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【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
先日、某格安スーパーでお得パックの薄切り肉を買ったら、下のほうが脂身だらけでした。
そう言えば昔、ゲーセンで麻雀ゲームをしようと100円を入れた瞬間に「天和!」と言われたことがありました。
どっちもひどい商売だと思います(泣)
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