45歳独身男性狂う説

いつかは自分を哀れと思うこともなくなり、そんな不健全な強迫観念からは解放されるだろうと思っていた。ところが年とともに、この強迫観念はますます深くはまり込むばかり、どうにも身動きできない始末だ。
シオラン『カイエ』

カイエ: 1957-1972

カイエ: 1957-1972

  • E.M.シオラン,金井 裕
  • 法政大学出版局
  • 価格¥29,700(2025/06/16 13:25時点)
  • 発売日2006/09/01
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45歳独身男性は狂う。そんな話があった。けっこう前からあったと思う。あったんじゃないのかな。あるいは40歳だったかもしれないけれど、あったと思う。それを、ここのところあらためてネットで目にすることになった。

45歳独身男性狂う説。あるいは、既婚でも狂う。

 

それは、どうなのか? 単に攻撃しても問題がない「おっさん」を責めて楽しんでいるだけだという話もある。ミドルエイジクライシスの一つとして、そういう歳だという話もある。みんな色々言う。

 

そして、おれも言いたくなった。なぜならばおれは、「45歳独身男性」そのものだからだ。1歳の差もなく、おれは、独身で、男性だ。おれは狂っているのか? 狂っていないのか? どうなのか? ちょっと口出ししたくなるではないか。違うか? 違わない。そういうものだ。おれも来年の2月には46歳になってしまう。だから、この旬の時期に書いておかなければいけないのだ。たぶん。

 

そして、いまのところおれは自分が狂っているとは思えないので、その理由を書いていくことにしようか。

 

もとから狂っていれば狂わないのか?

とはいえ、ある意味でおれは狂っている。2011年に精神科にはじめて行き、1年後には双極性障害(双極症/躁うつ病)と診断されたからだ。その後、おれは「精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第45条の保健福祉手帳」、要するに障害者手帳を取得するに至った。

 

もしも「狂う」が精神疾患的なものであれば、おれは30代初頭から狂っていた。精神病院に行ったのがその年というだけであって、狂っていたのはさらに遡って20代だったかもしれないし、あるいは生まれてからずっと狂っていたかもしれない。それが明らかになったのが30代の始めだったというだけかもしれない。

 

……とは言うものの、世の中の「45歳狂う説」は精神の病的な異常、脳の病的な異常そのものを指すものではないらしい。とはいえ、これはこれで狂っているので、おれが双極性障害II型であることは前提として抑えておかなければならない。たぶん。

 

しかし、おれの精神の狂い方、朝、抑うつに襲われて身体が動かなくなるとか、ちょっと軽躁状態になって歯ぎしりがひどくなるとか、そういうのは「45歳狂う説」とはちょっと違うような気がする。たぶん、違う。それは年齢に関係ない、おれの疾患だ。

 

けどねえ、あれだな、加齢で身体が弱ってくると、それが精神にも響く。というか、人間は心身相互の存在というか、それぞれが関係なくは生きていけないものだ。となると、おれの精神障害が今後さらに悪化していく可能性は否定できない。というか、このところ悪くなっている実感はある……。

 

もとから孤独でも狂うのか?

さて、どうも、「45歳独身男性狂う説」に多く見られるのは、配偶者もおらず、孤独な一人暮らしをするなかで狂っていくという言説のようだ。

コミュニケーションを求めて狂う。かつてあったかもしれないコミュニケーション、あるいは同年代のだれかが得ているコミュニケーションを求めて狂う。

 

どう狂うというのか? 独身男性であれば、配偶者を求めて女性に対して狂ったような言動をする。あるいは、人的交流を求めて若い人全般に対して挙動がおかしくなる。そのようなものらしい。

 

正直、おれにはよくわからない。おれは孤独を苦にしない。それどころか、一人でいることが大好きでたまらない。一人暮らしをして20年以上経つが、いまだに会社からの帰宅時に「部屋に帰ってもだれもいないのはいいなあ」と脳汁が溢れ出すくらい嬉しくてたまらない。一人でいるのがたまらなく好きだ。好きというか、他人と一緒にいるのを苦しく思うくらいだ。

 

この性質はおれの根本にあるものであって、物心ついたころから変わらないといえる。一人がいい。一人で満ち足りる。一人でなくては満ち足らない。実家がなくなり、一家離散して、一人暮らしを余儀なくされたそのときですら、「あ、一人っていいな!」と思ったくらいだ。これほどの自由はない。自由であることより良いものはない。

 

むろん、これもどうなるものかはわからない。自分のなかの孤独というものが変質したとき、この風景はすべて別のものになってしまうかもしれない。そのとき、おれは「狂う」かもしれない。だが、今はそのときではない。

 

年齢に関係なく危機でも狂うのか?

「45歳狂う説」には、ミッドエイジ・クライシス(中年の危機)の一つの表現にすぎないという意見もある。ライフステージが変わっていく状況において、その負担によって調子を崩す。たとえば、家庭を持っている人なら子供の成長もあるだろうし、持っていようとなかろうと、親の介護などが問題になってくることもあるだろう。

 

もちろん、加齢による身体の調子の変化もあるだろう、仕事の環境の変化もあるだろう、いろいろな危機が襲ってくる。とにかく、そういう年齢の時期なのだ。その真っ盛りというか、代表的な年齢が「45歳」ということも言えるだろうか。現代の厄年とでも言おうか。いや、しかし、厄年というものが成立したころに比べたら、もうちょっとあとの年齢になるだろうか。

 

まあいい、とにかく危機だ。危機についてもおれは「ずっと危機だった」といえる。こちらに書いてきたように、おれはずっと潰れそうな零細企業に勤めてきて、一度は親会社ができて低いレベルなりの安定はしたものの、そこから見放されてまたどん底になった。

その日暮らしとは言わないが、その月、その半年くらいの生活をずっとしてきた。身分だけは正社員かもしれないが、給料の遅配、無配は当たり前だ。おれはずっと危機だった。

 

その危機のなかにあるまま生きてきて、その上でライフステージがまったくかわらない。会社では一番の下っ端のままだし、独身男性なので自分の家族もいない。家族とは20年以上前に自宅を失い一家離散という形で別れていて、それも変わらない。

 

危機といえばずっと危機なので、いまさら「中年の危機」もねえよ、というのが正直なところだ。とはいえ、父は人工透析で死にかけているわりには生きているような状態だし、母だってもちろん年をとっている。その介護などの話が出てくる可能性はあるし、そうなったらおれは狂うかもしれない。

 

……っていうか、おれは自分の精神障害で、自分ひとりを生かすのに精一杯だ。とてもじゃないが丁寧な暮らしもなにもできたもんじゃない。最低限、セルフ・ネグレクトを回避して生きているに過ぎない。

だれかに支えてもらいたいくらいのもので(実際に自立支援医療などの形で福祉に少し支えられている)、人を支えることはできない。もし、だれかを支えなければいけないとなったら、「狂う」どころでは済まない。いや、どうすんだよ、これ?

 

自分の可能性を捨てずいられたら狂わないのか?

最後に挙げておきたいのは、自分の可能性を捨てずにいられたら狂わないのか? 捨てたら狂うのか? あるいはその逆かも? ということだ。

 

中年になって自分が自分のために生きられることの限界を迎えて、狂うのだという話もある。そこで家庭などの他人との共生が必要なのだと。人はいつまでも自分のためだけには生きられないのだと。共生が必要なのだと。

 

その感覚はおれにはわからない。おれは人生の早いうちに自分の人生に見切りをつけて、そこそこエリートコースであった大学を中退してニートになった人間だ。おれはおれになんの期待もしていなかった。

 

が、正反対の感覚も抱いていた。おれは幼稚な全能感をなに一つ捨ててはいなかったのだ。「おれくらいの人間ならば、ニートになろうとも、引きこもりになろうとも、どうにでも生きていけるに違いない」。ああ、この盛大なる勘違い、これである。

 

いや、いま「勘違い」と書いたが、この自嘲は自嘲にすぎない。内心でおれは45歳にもなって、「おれくらいの才能があれば、死ぬまでどうとでも生きていける」と信じている。なんなら、これからおれの才能がなんらかの形で跳ねて、おれより先に行っていた人間全部をまとめて差し切るんじゃないかくらいのことを思っている。

ハイペースで逃げていた人間は垂れてきたところを差すし、スローペースで先行していたやつも差し切る。スローペースでもドウデュースのように差し切る。おれにはその末脚がある。今はまだ脚をためているだけだ。

 

……45歳なのに? というか、これはもう狂っているといっていいのではないか。冷静に考えて、そうだろう。そういう客観性を欠くのを、世の中では「狂っている」というのではないのか。そのような気がする。それでも、ヘンリー・ダーガーのように死んだ後に気づかれる才能もあるわけだし。

え、ダーガーは狂ってる代表格じゃねえかって? そう言われると返す言葉もございません。

 

結局、おれは45歳になっていないのではないか?

というわけで、いろいろな事例みたいなものを自分に照らし合わせてきたが、畢竟、おれはまだ世間の「45歳」になっていないのではないか? というところに至った。いま、書いていて至った。社会的責任から逃げ続け、ライフステージは変わらず、幼稚な全能感や中身の伴わない自分への可能性を捨てられず……。

 

これは、ときが来たら、すでに狂っているおれも完全に狂った人間になるのではないのだろうか。ただ、おれにはほとんど社会とのコミュニケーションみたいなものがないから、「あの人は最近おかしいね」、「そうだね」みたいなことも言われない。ただ、一人で狂う。

 

そうなったらどうなる? 街なかで虚空に向かって一人喋っているおじさん、そういうものになる。親子連れがいたら、親が子供を「見ちゃいけません」、「近づいたらだめ」といって守ろうとする「事案」になる。

なるほど、それは確かに狂っているといっていい。おれの精神年齢が低く、もとから狂っているからわかっていなかっただけの話だ。おれが世間の「45歳」になったら、そのときは狂う。おれの手に負えないほどにおれは狂う。おれはおれの知らないところで狂う。狂気の世界が待っている。

 

だからといって、なんなのだ? おれが知らないのならばそれでいい。おれは究極的な意味でおれの死を知ることはできない。どんな人間でも同じことだ。死の寸前まで自覚できたとしても、死そのものは自らのものになりえない。

 

同じように、おれはおれの発狂を知ることはできない。それはそれで幸せなことではないだろうか。

ただ、そのためには死がそうであるように、自らの手を離れて狂わなくてはならない。完全なる狂気。そこに接近して、そこに至れないのは苦痛であるだろう。できることならば、おれは苦痛から逃げたい。そのようにして生きてきたし、その帰結がこのざまだ。正気のおれにはそれがわかる。わかるんだ。

 

 

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安達 裕哉(あだち・ゆうや)
ティネクト株式会社 代表取締役/ワークワンダース株式会社 代表取締役CEO
Deloitteにてコンサルティング業務に従事後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサル部門立ち上げに参画。大阪・東京支社長を経て、2013年にティネクト株式会社を設立。
ビジネスメディア「Books&Apps」運営。2023年には生成AIコンサルティングの「ワークワンダース株式会社」も設立。
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(2025/6/2更新)

 

 

 

【著者プロフィール】

黄金頭

横浜市中区在住、そして勤務の低賃金DTP労働者。『関内関外日記』というブログをいくらか長く書いている。

趣味は競馬、好きな球団はカープ。名前の由来はすばらしいサラブレッドから。

双極性障害II型。

ブログ:関内関外日記

Twitter:黄金頭

Photo by :NIR HIMI