自己啓発本やカリスマ経営者の名著などを読んで、

「感動した!」

「よし、俺も明日から早速実践しよう!」

などと思ったことは、誰しも一度くらいあるのではないだろうか。

 

しかし誤解を恐れずにいうと、そんな熱意は続いてもせいぜい1週間だろう。

ほとんどの場合、酒を飲んで朝起きたらいつもと変わらぬ一日が始まり、体に染み付いた生活習慣を繰り返すだけで一日が終わる。

そして3日もすれば、本を読んだことすら忘れてしまっている。

 

例えば、2005年6月に故・スティーブ・ジョブズが米スタンフォード大で行った、伝説とも言えるスピーチ。

“Stay hungry. Stay foolish.”(ハングリーであれ、愚か者であれ)

のフレーズで世界の人々の心を掴んだが、だからといって突然起業し、あるいは職場や大学を辞めてしまった人などいない。

もしいるとすれば、短絡的すぎてヤバい人でしかない。

 

また同じスピーチで、ジョブスが贈った以下のメッセージも多くの人の心を掴み、今もネット上で繰り返し見かけるフレーズだ。

Again, you can’t connect the dots looking forward.

you can only connect them looking backwards.

(もう一度いいますが、将来を予期して点と点を繋ぐことなどできません。
できるのは、後から繋ぐことだけです。)

 

これは、ジョブスが経験した様々な挫折、とりわけアップルを追放された事すらも自分にとっては良い経験になったというメッセージを学生たちに伝えようとするものだった。

シンプルに和訳するなら、「人間万事塞翁が馬」と言ったところだろうか。

 

この言葉には、本当に人生の真理が詰まっている。

スシローの現社長・堀江陽氏は、無職時代に食事でフラッと立ち寄った店先で見かけた「配達ドライバー募集」の求人に応募したことから、2000億円企業を率いるリーダーに昇りつめている。

「ミスター牛丼」と呼ばれた吉野家の元社長・安部修仁氏も高校卒のアルバイトから社長に昇りつめた伝説の経営者だが、座右の銘はまさに「人間万事塞翁が馬」だった。

 

いろいろな意味で、ジョブスのこのスピーチが伝説の名に恥じないものであることは、疑いの余地がない。

しかしだからといって、この言葉を噛み締めても生活習慣は変わらないし、無職の人をアルバイトに向かわせる力にはならない。

 

これは一体、なぜなのだろうか。

 

追い込まれた時に見つけた“何か”

話は変わるが、私はかつて、大阪のある中堅メーカーの経営再建に携わっていたことがある。

創業社長が30年で大きくした会社で、祖業であるサービス業は順調だったが、そこから上流を目指し製造業に進出したことが命取りになり、火の車に陥っていた会社だ。

 

しかし、製造業に進出する際に多くのVC(ベンチャーキャピタル)から多額の出資を受けていたために、IPO(株式の新規上場)以外のイグジット(出口)が難しい。

そのため撤退することもできず、しかしこのまま続ければ製造部門のマイナスが全資産を食い尽くすという、どうにもならない状況だった。

 

そんな状況で就いたTAM(ターンアラウンドマネージャー)のポジションだったが、経営立て直しのために、最終的に祖業であるサービス業の売却を決断する。

ドル箱事業を売り、大赤字である製造業をなんとかして存続させるなど酔狂でしかない話だが、それがステークホルダーの意見を集約した最大公約数の結論だった。

 

当時、日本初と言われていた画期的な事業であったため、投資家の無謀な期待を集め過ぎていたのだろう。

そのため早速、祖業を切り出して子会社化する準備を始め、同時にbid(入札)方式で買い手を募った。

 

しかし、死に体の会社が売却しようとする事業の価格交渉では、すべての参加者が足許を見てきた。

時間をかけて交渉し焦りを引き出せば、いくらでも安くなるのだから当然の話だ。

実際にこの時、安定的に数億円の利益を出す祖業に対する各社の評価額は、水面下の交渉で2億円程度にしかならなかった。

一方で、製造部門の再建には最低でも6億円は必要と見積もっていた。

 

この開きは絶望的と言わざるを得ない。

もはや、類似会社比準方式だのDCF方式だの常識的なロジックをベースに交渉したところで、なんとかなる金額差ではない。

とはいえ、なんとかしない限り時間の問題で、会社は法的整理を検討せざるを得なくなる。

 

どうしたものかと頭を抱えている時に、ふと、1年ほど前に見掛けた新聞記事を思い出す。

それは、入札に参加をしているA社が、自社と同じ新規事業に参入し苦戦していることを特集する内容だった。

バックナンバーを取り寄せ確認すると、やはりA社はウチと同じ領域に後発で参入し、同様に大苦戦をしていた。

しかもその基幹工場は、ウチの本社工場から1時間余りの立地にある。

そのA社が今回、その製造部門ではなく祖業を買いに来ている構図だ。

 

(行けるかも知れない……)

自分がなすべき答えを見つけた私はすぐにA社にアポを取ると、東京に向かった。

そして広い会議室で担当役員と向き合うと、言葉を選ばずに切り出す。

 

「専務、今日は当社への出資のお願いに参りました。」

「どういうことでしょう。今現在、子会社を取得する交渉中のはずですが。」

 

「単刀直入に申し上げます。2年前に吹田に設立された新規事業の工場ですが、損益分岐点の高止まりに苦労されているのではないでしょうか。」

「……」

 

「メディアの報道で恐縮ですが、受注件数と生産キャパシティから考えて、黒字でなければおかしい数字です。もしそうであれば、お役に立てることがあります。」

「聞くだけお聞きします。」

 

「当社が同じ領域で苦戦しているのは、営業力不足です。ウチはライン稼働率35%から営業利益が出ます。当社に出資して、ウチのノウハウを使って下さい。」

「……」

 

私が描いた絵は、こうだ。

A社とは出資を含むアライアンス関係を結び、生産ラインを見直すノウハウを提供する。

そうすれば、A社が現に数億円以上も垂れ流しているこの部門の年間赤字を、1年もあれば黒字転換できるはずだ。

但し、そのアライアンスを実現するためには、私たちも生き残らなければならない。

そのためには6億円が必要なので、子会社にそれだけの価値を付けてくれないか。

トータルでお釣りが来るのだから、問題視するステークホルダーなどいないはずだと。

 

会長の懐刀と呼ばれ、M&A慣れしていることで知られる専務はまっすぐに私の目を見つめながら、黙って説明を聞いていた。

そして何事かを紙片にメモすると隣の課長に渡し、課長も何事かを返すと、ひとことだけ、返事をした。

「検討に値しますので、ペーパーで提案して下さい。」

(・・・勝った。これで、交渉の主客を入れ替えられる・・・!)

 

結局私はこの「A社6億円」をフックにしてB社、C社にも増額交渉を持ちかけ、B社からも6億円の提示を引き出すことに成功する。

そして条件の上積みを双方に求め、最終的にA社から10億円を超える提示を取り付け、経営再建の道筋をつけることに成功した。

 

この際、子会社の譲渡先に決定したとお伝えした時の、A社専務から掛けて頂いた言葉は今も忘れようがない。

「キミはまだ若いのに、交渉がうまいな。これから一緒に仕事ができることを、楽しみにしています。」

 

時に失礼にもあたるようなギリギリの交渉を重ねていた私には、思いがけない温かい言葉だった。

その不意打ちについ涙腺が緩み、無言で下を向いてしまい、専務が差し出した手を両手で握り返す。

交渉の時の冷たい態度とは打って変わって、本当に温かい手のひらだった。

 

何が私の力になったのか

この時の交渉を当時、株主は手放しで称賛し「奇跡」とも表現したが、しかしそれは違う。

私は、子会社の持つ“商品価値”を評価させるのではなく、このディール(取り引き)そのものが生み出す価値を評価させようと、発想の転換をしただけである。

そしてそのために、各社が「本当に欲しいもの」に先回りし、そのウォンツを掘り起こしたのだから、成功しないはずがなかった。

 

この時、私が繰り返し自分に言い聞かせていたのは、

「人の立場に身を置く」

という言葉だった。

ご存知の人も多いだろう、D・カーネギーの名著として知られる「人を動かす」の第1章に出てくる基本のフレーズだ。

単にそれだけだ。

繰り返しこの言葉、この要旨を自分に言い聞かせ、発想の転換に行き着き相手の心を掴みきった。

 

そして話は冒頭の、「自己啓発本は役に立たないのか」という命題についてである。

自己啓発本そのものには、人を動かす力も、人の習慣を変える力も無いことは、間違いがないだろう。なぜか。

 

この手の本を読むことは「答え合わせ」に過ぎないからだ。

心から感動したとしても、それは自分が無意識で持っている価値観や「なりたい自分」がキレイに言語化されていて、腑に落ちただけである。

 

“Stay hungry. Stay foolish.”(ハングリーであれ、愚か者であれ)

という言葉が持つ力の正体とは、そういうことだ。

 

では、読書には意味がないのかと言えば、もちろんそうではない。

自己啓発本や先人の名著を読むことには、0を1にする力はないが、1を10にする力がある。

つまり、自分の信念を理解し、スタイルを確立させていく中で、「自分の型」を探すための投資ということだ。

逆に言えば、自分のスタイルすら理解できないまま、身の丈に合わない本を読んだところで0は0のままでしかない。現実は何も変わらない。

 

そして、読書で再確認した自分の価値観やスタイルは、ピンチの時にこそ効いてくる。

自分がなすべき仕事、存在価値、実現したいこと・・・

まるで壁打ちのように、良書のフレーズは良い相談相手になってくれる。

私をピンチから救ってくれた、D・カーネギーの「人の立場に身を置く」というシンプルな言葉のように。

 

そんな将来を信じてぜひ、一冊でも多くの本と時間に投資をして、「自分の型」の答え合わせをしてみてはどうだろうか。

いつかきっと後付で、「人生を変えた1冊」に気がつけるはずだ。

 

 

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【プロフィール】

桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。

高嶋ちさ子さんのバイオリンが大好きでずっと仕事のBGMにしていたのですが、先日初めてテレビでお見かけすることがありました。

世の中には知らないほうが幸せなこともあることを思い知りました。
怖いよー(泣)

twitter@momono_tinect

fecebook桃野泰徳

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Photo by Eugenio Mazzone