先日、清野とおるさんのゴハンスキーという漫画を読んでいて妙に感心させられてしまった。
ゴハンスキーは日常生活にある食の喜びのようなものをエッセイテイストで描いたものだ。
グルメ・グルメした美食的なものというよりも、セブンイレブンマニアが妙に情熱的にセブンイレブンの良い商品を語りまくるといったような日常生活にコッソリと隠れている食の喜びを語り尽くすタイプの作品で、誰が読んでも楽しめる作風となっている。
この漫画、普通の作品としても非常に優れているのだが途中からの妙な踏み外しっぷりが異彩を放っており、そこがまた非常に素晴らしい。
1巻~3巻あたりはいい意味でキレッキレの内容なのだが、途中から妙に切れ味が悪くなってきて、その段階で読者は「ん?」とまず異変に気がつく。
そして4~5巻に到達する頃になると筆者もこの漫画に対するやる気の無さを隠そうとしなくなり、終わり近くになるとぶっちゃけトークとして編集部に
「頼むからこの漫画を辞めさせて欲しい」
と漫画の中で言い始める始末である。
その辞めさせて欲しいと懇願する理由があまりにも正直に書かれていて本当に凄い。
こんなの少年ジャンプだったら即座にボツを食らうだろうという嘆願なのだが、以下にそれを転載しよう。
「ゴハンスキーの連載を始めてからね、落ち着いてゴハンが食べられないんすよ!」
「ゴハンのたびにコレはネタになるのかどうかばかり考えちゃって」
「ゴハンがストレスなんすよ!もっと何も考えずにゴハンを食べてーんすよー!」
まさに魂の叫びである。
気晴らしを仕事にしてしまったが故の悲劇とはこんなものなのかと妙に腑に落ちてしまった。
こんな素直な叫びが描かれている漫画もそう無いので、皆さんもぜひゴハンスキーを買って読むべきである。
普通に食事のルポ部も面白く、後半の展開も相まって二重に楽しめる事請け合いである。
仕事はプライベートと繋がっていない方が間違いなく心の健康にはいい
ゴハンスキーの例を持ち出すまでもなく、私生活と仕事はできる限り非連続な方が良い。
というか、歳を重ねるにつれてより区切りをハッキリとつけていくべきである。
これはなにも「万国の労働者よ。QOLを高めるべし!」という事を言おうとしているのではなく、人は気をつけていないとすぐに独善的になってしまうからだ。
多くの人は自分≒基準で、その他には判断基準を持たない。
だから自分が普通の時は他人の異常には気がつくのだが、自分が異常者になると他人の普通をむしろ逆に「それ、ちょっとありえないよね」と言ってのけたりする。
人間は良くも悪くも簡単に影響される。
特定の組織に所属していたりすると、特に変わりやすい。
「働くのもう疲れたお…」とか思えてる頃はまだしも、その生活を数年やって「今年の新人は全く使い物にならない。俺が新人の頃は…」なんて言うようになっている頃には完全に組織の価値観に染まり上がっている。
接してると会社で働いているような気分になるドンヨリとした人の秘密
組織の論理に染まるのは社会人としてはある程度は仕方がない。
日本に暮せば日本人の、アメリカに暮せばアメリカ人のルールがある程度は脳に染み付く。
それと同じで、ある会社で働けばその会社の価値観は自然とあなたの脳に染み渡っていく。
ただ、その価値観を日常生活に波及させると…大変な勘違い野郎となる。
会社での地位を日常生活に転用させるのは大変にダサいし、会社でのルールを日常生活に用いるのも大変に恥ずかしい。
仕事はその人のアイデンティティの本幹にもなりうる大変に素晴らしいものの一つだけど、だからこそ私生活とはキッチリと線引をしておいた方がいい。
あなたも一人ぐらい、なんだか接してると会社で働いているような気分になるドンヨリとした人が思いつくのではないだろうか?あれになったら色々な意味でオシマイである。
他人の生き方を尊重できるようになるためにも、オンオフはちゃんと区別した方がいい
それに私生活は私生活できちっとやっている方が仕事の方もいい意味でメリハリがつく。
人間、良くも悪くも無限にダラダラできてしまう生き物だから、どこかでケジメとか区切りのようなものを設定しておかないとパキッとできない。
夜10時になったら問答無用で眠りにつくとか。仕事は18:00以降はやらないとか。
日曜日は完全に仕事をしないといった制限をつくらないと、どこまでも人生はテキトーになっていく。
若い頃はそういうテキトーな人生をおくるのも悪くないが、いつまでたってもそういうテキトーな人生をおくるのはマズい。
こういう雑な人生が普通になると、例えば他人が有給休暇をとって楽しそうな事をしている事に嫉妬するようになる。
人生は個々人の喜びを最大限化させるべくあるはずのもので、他人の生き方を尊重するという事はとても基本的な事のはずなのに、ともすれば私達は他人の嬉しそうな顔をみる度に「なんだか自分ばかりが損をしている」ような気持ちになってしまったりする。
こうなってしまうと他人が得する事を許せなくなり、結果として誰かの足を引っ張りまくるマシーンと化してしまったりするのだが、そういう嫉妬人間はそもそも自分で自分の人生を上手に楽しくするのがヘタクソだ。
オフというのは何も心や体を休める為だけにあるものではない。
もちろん結果として心も体もキチンと休まるのだが、それ以前に「自分は自分、他人は他人」というキチンとした区切りをつけるべくある。
誰かに嫉妬しない為に最も大切な事は自分の人生をキチンと確立させる事だ。
もちろん最初からそれができてる人は少ないわけだけど、人としての成長につれて得られる余裕でもってそれをキチンと充填させていけば、いつかは必ず自己を確立できる。
オフの日の本質とは、歳をとってから他人の楽しそうな顔に嫉妬しないようになる為の準備期間なのである。
とはいえ、仕事の喜びもバカにしてはならない
とここまで書いておいてなんだが、仕事をバカにしすぎるのもマズいという事も念を押しておきたい。
最近は早期リタイアが持て囃されている。
これをFIREムーブメント(Financial Independence, Retire Early)なんていうそうだ。
FIREとは簡単にいえば数億円ぐらいのお金を稼ぎ出してやりたくない仕事をサッサと辞めて自分の好きに生きるという生き方のようだ。
こう書くと実に素晴らしいもののようにみえるのだけど、現実問題としてFIREをやったら仕事から解脱できるかというとそう簡単ではない。
結局、多くのリタイアした人は人生が暇すぎて仕事に戻ってくるらしい。
この話を聞いてこう思わない人はいないだろう。「どっちにしろ仕事に戻ってくるのなら…数億円稼いだところでコツコツ給料もらってる生活とあんまし変わらないんじゃ…」と。
もちろん、数億円単位の資産を持っているという心の支えだったり、お金があるからできる事はあるだろう。
だけど、僕の見聞きする範囲ではFIREをやってる人間の人生クオリティがFIREをやってない人間の人生クオリティと比較して圧倒的に上のようには思えない。
平均すればFIRE組の方がマシな人生を送っているとはいえるが、圧倒的な格差といえるほどの大きな違いはない。
所詮、数億円の価値なんてそんなものでしかないのだろう。
稼げるのなら稼げばいいが、無理をしてまで手に入れなくてはいけない何かではない。
仕事とは人生最長のパートナー
人生と仕事との付き合いは実に長い。
人生で最も長い期間かかわる可能性が高いのは仕事である。
あんなにも絆がありそうな子育てだって所要時間は高々20年程度しかない。
仕事を超えうるのは配偶者との共同生活ぐらいなものだ。
私生活は素晴らしい。
遊ぶのは楽しい。
だけど仕事をキチンとした満足のいくものにできれば…それは素晴らしい人生の伴侶となりうる。
仕事をお金やラクといったわかりやすい益ではなく、20年30年後にまでキチンと繋がるライフワークへとできるかどうかも、人生のデザインとしては大切な観点だ。
仕事が自分の人生にとって素晴らしい活動になるかどうかは全ては自分次第だけど、少なくとも仕事を馬鹿にしている人間に仕事が微笑む事はない。
ゆめゆめ仕事を馬鹿にしすぎない事である。
そのためにも仕事はキチッと選ぶべきだ。
ゴハンスキーのような顛末だけは避けたいし、もしそうなってしまったら勇気を持って打ち切り宣言をしよう。
「ゴハンがストレスなんすよ!もっと何も考えずにゴハンを食べてーんすよー!」
この魂の叫びだけは忘れずにおきたいものである。
そう心の底から言い切れるような人生を送れるようになった時、あなたの元には壇蜜さんのような素晴らしく美しい人生の彩りが加わっているはずだ。
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【著者プロフィール】
都内で勤務医としてまったり生活中。
趣味はおいしいレストラン開拓とワインと読書です。
twitter:takasuka_toki ブログ→ 珈琲をゴクゴク呑むように
noteで食事に関するコラム執筆と人生相談もやってます
Photo by Karim MANJRA on Unsplash