最近は「心理的安全性」という概念が、ビジネス領域でしばしば話題になる。
知識労働者のパフォーマンス向上に必須だと言われるからだ。
これについては、個人的な思い出も多い。
かつて私が在籍していた組織は、お世辞にも「心理的安全性」に優れた組織ではなかった。
率直に言ってくれ ⇒ 叱責される
私がまだ新人だったころ、「経営陣への提案制度」が設けられたことがあった。
経営者は「なんでも率直に提案してくれ」と説明していた。
「なんでも」というので、早速私は「干された人々」の処遇を改善してはどうかと、経営者に提案した。
すると、私の想像をはるかに超えて、彼は怒った。
「あなたは何もわかってない」から始まり、
「働かない奴らの処遇は、あれで当然」
「私が認めた人だけに仕事を渡す」と。
こうして私は1時間にわたり叱責された。
今思えば、経営者が「成果に貢献しない人々」を擁護した私に怒りを覚えたのは当然だったのかもしれない。
だが、当時の私にそれは知る由もなかった。
ただ「なんでも提案して」とは一体何だったのか、ひたすら疑問だった。
あれは言っちゃダメだよ
この後、私は経営者から「非礼を詫びる」と個別に謝罪された。
やりすぎた、と思ったのだろう。
「あまりにも、私の琴線に触れたので、怒ってしまった」と彼は言った。
新人に詫びるとは、確かに懐の深い経営者ではあった。
それは良い。
ただ、私がこの出来事から引き出した教訓は、あたりまえだが、
社会人の「率直に言ってくれ」は、そのまま信用するわけにはいかない
というものだった。
実際、当時の経営者の側近たちは「安達さん、あれは言っちゃダメだよ」と、親切にも私に忠告してくれた。
確かにその通りだった。
しばらくその後も「提案制度」は続いたのだが、「なんでも提案してOK」と言う話は忘れ去られ、提案ネタは事前にチームリーダーによって検閲された。
それは「率直さ」とは程遠かった。
そして、会社が拡大するにつれ、「会社の風土をつくる」という名目で、さらに統制は強まった。
経営者の機嫌を損ねた人間は、遅かれ早かれ、会社を去った。
結果的に、「率直さ」が、キャリアにとって最大のリスクであることを、よく理解していた社員だけが、会社に残った。
強烈な不安で人をドライブさせると、ほぼ確実に不正が起きる
「心理的安全性」という言葉は当時は使われてはいなかった。
が、今思うと、あの状態は心理的安全性が低い状態だったのだろう。
実際、ハーバードビジネススクール教授、エイミー・C・エドモンドソンは、「心理的安全性」の定義を「対人関係のリスクをとっても安全だと信じられる職場環境」としている。
「対人関係のリスク」とは、組織のリーダーが作り出すものだ。
だから、リーダーが「不安を与えてマネジメントする」人物の場合、心理的安全性は組織から著しく損なわれる。
例えば、フォルクスワーゲンのケースだ。
フォルクスワーゲンの元会長、フェルディナンド・ピエヒは、クライスラーのトップから「優れた外観デザインを生み出すコツ」を聞かれた時、次のように社員に言え、とアドバイスしたという。
六週間で世界トップレベルのボディを完成させろ。誰が何の担当かは、すべてわかっている。六週間で完成できなかったら、全員クビだからな。以上だ。(太線は筆者)
その後、フォルクスワーゲンは大きな不祥事を起こした。
排ガスのテストに用いるソフトウェアを操作し、あたかも排ガスが基準に適合するように数値を捏造した事件だ。
原因は、排ガス規制をパスさせろとの、上からの強い圧力によるものだったとされている。
全く同様の事象として、最近では「かんぽ生命」の不正販売が記憶に新しいが、ここでも「ノルマに追い詰められて」という話が出てくる。
この事件の報道を見たとき、すぐに前職のことを思い出した。
「まあ、そうだろうな」という感想しか出てこなかった。
なぜなら、私の在籍していた組織でも、同じような状況が発生したからだ。
「目標必達」
「さもなくば社員にあらず」
と言うマネジメントの下で、我々は、定例会で営業成績の順位がすべて、名前付きで公表された。
ほぼ「数字」=「人格」という世界では、もちろん、成績が振るわない営業には屈辱的なことだ。
そして、「不正」が起きた。
書類を偽造し、顧客の注文を取ったように見せかける営業や、顧客のアンケートを隠蔽するコンサルタントが出たのだ。
日本人は「対人関係のリスク」をとれない人が多い
表向きの話しやすさとは裏腹に、「古い」タイプのマネジャーは心理的安全性に配慮しない。
むしろ「プレッシャーは必要」だと公言する人も多いのではないだろうか。
なぜなら昭和の時代では「不安によって社員をドライブする」マネジメントは、本当に普通だったからだ。
だが、エドモンドソンが言う通り、知識を武器として市場を切り開いていく企業を作りたいなら、「心理的安全性」は不可欠だ。
心理的安全性の低い組織には、賢く、有能な人間は集まらない。
パフォーマンスが著しく落ちるからだ。
実際、「いい人が採用できない」と嘆いている会社の元凶は「社長のパワハラまがいのマネジメント」というケースがいくらでもあった。
まあ、そういう会社は「知識労働者」を求めていないのかもしれないが。
*
ただ一方で、パワハラ社長だけを責めても、あまり問題は解決しないかもしれない。
なぜなら、日本人が「対人関係のリスクをとる」ことについて、不慣れだからだ。
組織が「対人関係のリスクをとって大丈夫だよ、安全だよ」と言うシグナルを出していても、なお、「率直にものをいう」ことに躊躇する人は少なくない。
これは、日本人が「対人関係の不安」を感じやすい「恥の文化」であることが大きいかもしれない。
日本人は、反対意見と、人格攻撃を区別できない人が多い。
だから、知識労働者に必要とされる「率直な物言い」が、そのまま対人トラブルにつながる。
そういう意味では、「心理的安全性」という概念は欧米の文化に根差すものかもしれない。
まだ、日本人には早すぎるのだ。
とはいえ、時を経るごとに日本も徐々にグローバルスタンダードに飲み込まれていくことになるだろう。
企業は知識労働者を使いこなさねばならないのだ。
好むと好まざるとにかかわらず。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
【著者プロフィール】
安達裕哉
元Deloitteコンサルタント/現ビジネスメディアBooks&Apps管理人/オウンドメディア支援のティネクト創業者/ 能力、企業、組織、マーケティング、マネジメント、生産性、知識労働、格差について。
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