もう随分と前の話だが、務めていた会社が人の命に関わる相当ヤバい事故を起こしてしまったことがある。
工場で発生した不測の事態の影響で、デイリーで製造し配送する必要がある製品を丸1週間、出荷できない状態に陥ってしまったものだった。
在庫ストックが利く製品ではなく、また代替手段も僅かで他社に応援を頼んでも限界がある。
このまま出荷の再開が2日遅れたら、多くの人に健康被害が発生することになるのは間違いないだろう。
そのため、時間になっても予定通りに製品が届かないことが明らかになると、会社中の電話が鳴り続け、文字通り大変な大騒ぎになった。
しかし、工場の復旧にはどうみても1週間はかかり、初動でできることは限られていた。
そのため今すべきことは、できるだけ早く全ての顧客と現場に足を運び、
「状況の説明」
「復旧の見通し」
「とにかく顔を見せてひたすらお詫び」
を急ぐことくらいしか、やりようがない。
そしてこの非常事態にあっては、経営トップが自ら顧客に足を運び説明をしないと、収まりがつかないことは明らかだった。
しかし経営トップは私を社長室に呼び寄せると、予想外の指示を伝えてきた。
「キミが営業部長と一緒に行って、全顧客を回ってお詫びしてくれ。」
「社長、それはマズイですよ。この状況で私が行くことは無意味です。むしろ逆効果です。」
「そんな事を言っても、俺は工場を離れられん。他に頼りになる役員はおらん。キミが適任や。」
「工場の状態は今、社長が陣頭指揮を執ってもどうにもなりません。この非常事態では、社長が顧客に顔を見せて状況を落ち着かせるべきです。それが経営トップの役割というものです!」
「ええから行ってくれ!キミが役員の名刺を出して頭を下げれば、最低限しのげる!」
「・・・」
この時の私の肩書きは、取締役経営企画室長でCFOであった。
そして顧客幹部の中には、面識すらない人も多くいた。
この状況で「金庫番の名刺」を持った人間が「初めまして」などと謝罪に行くなど、全く意味がない。
それどころか、名刺の肩書きが先方の社内を独り歩きすると、おかしなメッセージとして伝わることにすらなりかねないだろう。
しかし結局、議論に押し切られる形で本当に私が「謝罪担当」を担うことになり、すぐに車を走らせることになった。
なにが「奇跡」を引き寄せたのか
話は変わるが、「児玉源太郎」という名前を聞いて何を為した人であるのかわかる人は、相当な近現代史通に限られるのではないだろうか。
源太郎は明治期の陸軍軍人だが、そのもっとも大きな偉業と言えば日露戦争でロシアを打ち破ったことだろう。
東郷平八郎が指揮を執り、日本海海戦でロシアに勝利したことはかろうじて教科書で習ったことを覚えている人もいるかも知れないが、その陸上版だ。
指揮官である大山巌を支え、当時世界最強と言われたロシア陸軍を満州の地で破るなど、奇跡の勝利で世界を驚かせた総参謀長である。
しかし個人的に、源太郎の為した偉業の中で彼の凄さをもっとも感じるのは、日清戦争時の「検疫部長」としての活躍にある。
以下、少し詳しく説明したい。
日露戦争で世界を驚かせた源太郎だが、その9年前に戦われた日清戦争では、実は全く戦場に立っていない。
日本国内にあって、物資の調達や各省庁との折衝などを行う後方支援のポジションを任されていたためだ。
やがて戦争は日本の勝利で終わることになるが、源太郎の「検疫部長」のポストはそのまま、凱旋帰国する将兵たちの防疫・検疫業務の責任者を任された形である。
そしてこの検疫という業務。
科学的な知見が普及した今でこそ、様々な病気を海外から持ち込まないための常識ではあるが、19世紀の世界では全く軽く見られていた。
実際に、日清戦争から20年ほど後に欧州を中心に戦われた第一次世界大戦の時ですら、防疫・検疫という概念は軽く見られた。
その結果、欧州では戦争直後に悪疫が蔓延し、特にスペイン風邪の猛威は凄まじく、戦死者を遥かに上回る市民が死亡することになる。
源太郎はこの検疫・防疫の重要性を、戊辰戦争時に日本国内でコレラの感染が拡大したことを通し、直感的に理解していた。
そのため検疫部長に就くと、大陸から一切の病気を国内に持ち込ませない決意で厳しく「水際作戦」を行うことになる。
とはいえ、凱旋帰国し鼻息の荒い将兵を港に留め置き、「隔離措置」が終わるまで帰郷を許さないなどという措置は当然、猛反発を招く。
ましてこの時の源太郎はまだ43歳の若さで、階級も少将に過ぎない。
彼の影響力や命令で上司や高官、目上の中将や大将が言うことを聞くわけなどないだろう。
しかも検疫対象者は20万人以上であり、相当な時間が掛かり、将兵の我慢も限界を超えるに決まっている。
かと言って検疫をおざなりにすれば、日本国内は大変なことになる。
この難局に際し、悩み抜いた源太郎が採った措置は、役職を背景にした強権的な命令と抑圧・・・ではもちろんなかった。
源太郎は凱旋帰国の第一陣として、小松宮彰仁親王殿下に検疫をお受け頂くことを奏上する。
小松宮殿下はこの時、陸軍大将であり、もちろん皇族であり、日清戦争の征清大総督として凱旋をされたところである。
そして例外を設けず、港に留まって頂き、徹底的に検疫を受けて頂いた後にお住まいにお帰り頂くようご協力をお願いした。
もはやおわかりだと思うが、こうなると「その他大勢」がいくらゴネても、通るものではない。
皇族であり大将でもある小松宮殿下が率先垂範し受けた検疫を、誰が「例外」として免除されるものか。
それでもたまに、将官や高官の中には強権的に検疫を通り抜けようとしたものもいたようだが、
「小松宮殿下が示した範を破るのですね?」
と伝えると、言うことを聞かざるを得なかったそうだ。
このようにして、源太郎は20数万人の将兵全員の検疫・防疫業務を完璧にやり終え、目立った悪疫を発生させず、持ち込ませることもないままに任務を完遂した。
これは本当に、若き日の源太郎が成し遂げた大金字塔である。
戦争に勝っても、戦死者以上に多くの国民が命を落とすような事態を招けば、ただの間抜けではないか。
この話はいうまでもないが、「皇族の政治利用そのもの」が功を奏した、という教訓では全くない。
源太郎の凄さは、
「自分の影響力はどの程度か」
「自分にできることはなにか」
「自分にできないことは、誰にお願いすれば実行可能か」
を正確に客観視し、そして必要なリソースを正しくアサインし、運用したことにある。
もし凱旋帰国する将兵に皇族がおられなければ、必ず別の方法を見出しただろう。
このような事ができる男だからこそ、この9年後に日本陸軍の総力を任されロシアを破り、奇跡の勝利で世界を驚かせることができたのだろう。
目的から逆算し手段を定め、現実を正しく直視し、さらに自分の影響力の程度までも正しく客観視できる人間は、本当に強い。
日本にこんな男がいてよかったと、心から誇りに思える近現代史の偉人の一人である。
非常時のリーダーには何が必要なのか
話は冒頭の、私が「謝罪担当」として緊急事態中の顧客を訪問した時のことだ。
案の定、緊急事態に際して初めましてと差し出した私の名刺は投げ捨てられたり破られたりしながら、
「なぜ社長が来て説明できないのか」
「オタクの会社が何をしたのか、状況を理解できているのか」
と罵られ、顧客によっては
「お前誰だよ、この非常時に現場を知らんやつが何しに来た!」
と服を掴まれるなど、怒りに火と油を注ぐことになる。
結果、翌日からは経営トップ自ら各顧客を回らざるを得なくなり、流れで私も営業部長も足を運ぶことになるなど、緊急対応のリソースを大きく失うことになってしまった。
そして最終的に、感情的に態度を硬化させた顧客の多くから契約を切られ、また賠償金を支払うことになるなど、ただただ騒ぎを大きくするだけの結果に終わってしまう。
非常事態に際し、状況を俯瞰する冷静さを失い、自らの為すべき役割を客観視できなかったリーダーが招いた「二次被害」であったと、苦い記憶になってしまっている。
そしてこのような状況は、つい最近も私たちの身の回りであったような気がしないだろうか。
「自分の影響力はどの程度か」
「自分にできることはなにか」
「自分にできないことは、誰にお願いすれば実行可能か」
を客観視できない大臣が銀行や卸問屋に圧力を掛け、多くの人の反感を招いたことは、まだまだ記憶に生々しいだろう。
児玉源太郎が100年以上も前にやってみせた知見にすら劣るリーダーの姿は、まさにこの国の衰退の象徴ではないか。
せめてなぜ、寄り添う姿勢を見せられないのか。
政治的な事情で過度な負担をお願いしている上に、なぜ強権的に抑えつけようとするのか。
源太郎は台湾総督時代、武装勢力のトップに会いに行き、頭を下げて誠意を示すことも厭わなかった。
「命がけで抵抗する人々」から協力を引き出すには、「命がけでリーダーの覚悟を示す」しかないことを心得ていたからだ。
そして今、日本で同じ立場の人たちが「命がけで抵抗する人々」に対し、何をしているのか。
これは決して、与党や大臣一人だけの話ではない。野党も全く同じである。
歴史に埋もれ忘れ去られてしまっている「児玉源太郎」というリーダーの生きざまと決断からは、本当に多くのことを学ぶことができる。
ぜひ、政治家だけでなく会社経営者、管理職、組織で上に立っているような人たちには、その原理原則に忠実なリーダーの姿を、学んで欲しいと願っている。
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(文責-ティネクト株式会社 取締役 倉増京平)
【プロフィール】
桃野泰徳
大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。
先日、冷たくてさっぱりしたものが食べたいと思い、ざるうどん的な何かだと思って「皿うどん」を注文してしまいました。
熱々あんかけの皿うどん、美味しかったです・・・。
twitter@momono_tinect
fecebook桃野泰徳
Photo by Possessed Photography