『ソニー再生 変革を成し遂げた「異端のリーダーシップ」』(平井一夫著/日本経済新聞出版)を読みました。

 

ソニーの「V字回復」を成し遂げた平井一夫・元社長自身による回顧録です。

ソニーが低迷期からプレイステーションやイメージセンサーのおかげで「復活」してみると、「やっぱり『SONY』は底力があるな」なんて納得してしまうのですが、プレステもイメージセンサーも、ソニーにとっては「異端の製品」ではあったのです。

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そして、平井さん自身も、「異端」の人生を歩んできた、と述懐されています。

平井さんは、子供時代に親の海外赴任に同行した際に、アメリカやカナダで生活したときの言葉の壁に苦しみ、やっと日本に帰ってきたら、今度は日本の学校の慣習に馴染めなくて、自分の居場所はどこにあるのか、と困惑していたそうです。

 

帰国子女のなかには、その経験を活用して海外で働こう、という人もいるのですが、平井さんは、ずっと日本にいて、日本人として生活していきたい、と若い頃は考えておられたのだとか。

そんな平井さんが就職先として選んだのが、CBS・ソニーだったのです。

振り返れば数奇な運命をたどった会社員人生である。学生時代に好きな音楽を仕事にしたいと門をたたいたのが、CBS・ソニーだった。

海外からやって来るアーティストの売り込みに奔走したり、通訳にかり出されたり、その頃、親会社にあたるソニーは世界的なエレクトロニクス・ブランドへと駆け上がっていたが、そんなことはどこか他人事だった。

 

そもそもソニーが親会社だという意識さえない。CBS・ソニーのオフィスがあった市ヶ谷からソニーが本社を構えていた五反田まで、距離にすると10キロほどだろうか。

当時の私にとっては、たった10キロ先にある「親会社の本社」がまったくの別世界に思えた。自分が働く会社に、たまたま「ソニー」の名前も入っているという程度の認識だった。

 

音楽業界の仕事は面白かった。ただ、当時から私は仕事とプライベートをはっきりと分ける主義だった。結婚してからは会社から遠く離れた宇都宮の郊外に家を買って新幹線で通勤した。

休日になれば大好きなクルマでドライブに出かけたり、自分で組み立てたラジコンを近所の公園で走らせて遊んだり。出世競争なんてまったく興味がなかった。会社への貢献は、肩書でするものでもないとも思っていた。

 

それが人との巡り合わせを重ねるうちに、気づけばソニーの社長になってしまっていた。
まさに人生の不思議である。

この本は、平井さん自身の視点で書かれているのですが、読んでいると、『課長・島耕作』よりも数奇な会社員人生というか「事実は小説より奇なり」とはこういうことなのか、と思わずにはいられません。

 

アメリカのCBS・ソニーで働いていた平井さんは、アメリカでのプレイステーションの立ち上げに人手が足りないからということで加わり、ソニー・コンピュータエンターテインメント・アメリカ(SCEA)を経て、ソニー・コンピュータエンターテインメント(SCE)本社の社長として45歳で日本に帰国します。

野心的な試みではあったものの、初期は大赤字を垂れ流すことになってしまったプレイステーション3を立て直し、2012年にソニー本社の社長に指名されたときには、そのキャリアから、「エレクトロニクスがわからない人間はソニーの社長にふさわしくない」という批判も浴びていたそうです。

 

いろんな人に課せられた「宿題」をこなしていたら、いつのまにか自分がいちばん上に立ってしまった、そんな感じなんですよ。

そもそも、最初に音楽産業のCBS・ソニーに入社して、ニューヨークで久保田利伸さんのマネージメントを一生懸命やっていた人が、ソニー本社の社長になるなんて、ありえない話ですよね。

 

あらためて考えてみると、平井さん自身の「人を惹きつけ、組織をまとめる能力」とともに、大きな反発があったとはいえ、結果的に平井さんのような「異端の人」をトップとして受け入れることができたソニーという会社の懐の深さと、平井さんを見いだし、バックアップした先輩たちの慧眼にも驚かされます。

 

ソニーと同じ、日本を代表するエレクトロニクス企業だったシャープや東芝は、「有能だったはずの人たち」「社長になりたい、自分がなるべきだ、と信じていたエリートたち」の派閥争いで弱っていき、創造力を失っていったのです。

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本社のエリートコースに乗っていたわけではなく、外部から抜擢されて組織の舵取りを任され、それを成し遂げた人として、僕が真っ先に思い浮かべたのは、任天堂の故・岩田聡社長でした。

平井さんや岩田さんは、「ちゃんと相手の話を聴くことができるリーダー」であるのと同時に「自分にできない、あるいは不向きなことは適切な人に任せる、ただし、その結果に対する責任は自分で引き受ける」という共通点もあるのです。

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平井さんは、自分の手柄話や「仕事のなかでの具体的なエピソード」は、ほとんど書かれていません。

まだ社長を退任されて時間も経っておらず、「書けない」こともたくさんあるのでしょうけど。

 

そんななかで、平井さんは、あえてこんな話をされているのです。

リーダーとして最もつらい仕事のひとつが、「卒業」の宣告である。ここでは経営層のリストラになる。つまり、会社を辞めてもらうこと。

 

「あの人は政治的なことばかりやっている」と社員から見られるような人を会社に残して足の引っ張り合いを放置してしまえば、社員が安心してパフォーマンスを発揮できる環境には絶対にならない。

それに、前述の通り私はすでに追い込まれている。ここでバットを振らなければゲームセットだ。嫌な仕事だからといってためらっている余裕などない。

SCEAを去ってもらう人には、ハッキリと告げた。

 

「君はこの会社とは縁がなくなる。辞めてもらう。今日はもうこのまま帰っていい。明日の朝6時以降に会社に来てもらえればセキュリティーと同行で部屋に入れるようにしてある。私物だけ持って帰ってくれ」

非情な宣告である──。これは人事部門などの人に任せず、必ず自分自身で行った。クビを宣告する相手と一対一で向き合って。

これは後々まで私が経営者として貫き通したポリシーだ。少なくともマネジメントの一員として自分より先輩の方には、つまり経営層として自分より長く組織に貢献してくれた人には、直接会って一対一で「卒業」を促す。

 

理由は大きく言ってふたつある。第一に、やはり会社に貢献していただいた人に対する敬意を示すためだ。

そして第二に、こんな気乗りしないつらい仕事を人任せにするようなリーダーに、人はついてこないと考えるからだ。

 

例えば、人事部門の人がこんな仕事を振られたら「平井さんは良い時は表に出てくるくせに、嫌な仕事だけは我々にやらせるんですね」と思ってしまう。そう思われてしまったらもう、人は動いてくれない。

経営者になると日々、様々な判断を迫られる。ほとんどルーティン化した決裁もあれば、非常に厳しい判断、痛みを伴う決断を下さなければならないことも多い。

 

私の場合、大きく言えば、このSCEAを振り出しに、この後には東京のSCE本社、そしてソニーと三つのステージで「経営再建」という課題に取り組み、そのたびにいくつものつらい決断を下してきた。

SCEAの頃はまだまだ手探りだったが、この時の経験から後々まで絶対に替えることがなかった経営者としての大原則がある。それは、難しい判断になればなるほど、特に心が痛むような判断であればあればそれだけ、経営者は自らメッセージを伝えなければならないということだ。リーダーはそういうシーンで、逃げてはならない。

言われてみれば、当たり前のように聞こえるのですが、こういう「気が重い仕事」「悪者になること」は、誰だってやりたくないのが本音でしょう。

平井さんは、だからこそ、それを「リーダーがやるべきこと」だと考えていたのです。

 

僕はこれを読んで、以前、中国の史書で読んだエピソードを思い出したのです。

暗愚な君主に、ある家臣が、こんな申し出をしました。

 

「皇帝陛下、家臣に褒賞を与えるときは相手に感謝されますが、叱責したり、罰を与えたりすると嫌われたり、恨まれたりします。ですから、陛下は臣下に感謝されることだけおやりになり、彼らを断罪する役割は私におまかせください。そうすれば、陛下は嫌な思いをせずにすみますし、みんなに好かれます」

 

暗愚な皇帝はその提言に従ったのですが、その結果、人々はみんな刑罰を担当する家臣の言いなりになり、皇帝は置物になってしまったそうです。

平井さんは、「嫌な仕事を経営者として引き受けていた」のですが、自らの手で「卒業宣告」を行うというのは、最終的な人事権を自分で掌握する、ということでもあったのです。

 

平井さんは、他人の話をよく聴く人であり、社員の集まりなどでも気さくに声をかけ、なるべく「壁」をつくらないようにしてきたのです。

会社のイベントなどにも積極的に参加し、各地の社員食堂では「みんながふだん食べているものを食べたい」とリクエストしていたそうです。

 

そんな、「親しみやすく、つねにチームに向かってフラットな目線でメッセージを発し続けるリーダー」ではあったけれど、けっして、甘いだけ、気さくなだけの人ではなかったのだと思います。

 

それまでのソニーの盛田昭夫さんや井深大さんのような「カリスマ」ではない、新時代のリーダーとして、平井さんは大きな仕事を成し遂げました。

でも、それは、平井さんが自分自身にも他者にも「厳しさ」を併せ持った人だったからなのだと僕は感じました。

 

平井さんのような「異端の人」を抜擢できたソニーや任天堂には、そういう企業風土があったのか、先人に見る目があったのか、それとも、運が良かっただけなのか?

 

結局のところ、僕にはよくわからないんですけどね。これまでの人生でも、権力を握ったり、立場が変わったりした途端にダメになってしまう人を大勢(そして、立場が変わったおかげで予想を超える能力を発揮した人を少数)みてきましたし。

 

 

 

 

 

【著者プロフィール】

著者:fujipon

読書感想ブログ『琥珀色の戯言』、瞑想・迷走しつづけている雑記『いつか電池がきれるまで』を書きつづけている、「人生の折り返し点を過ぎたことにようやく気づいてしまった」ネット中毒の40代内科医です。

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