人間には、どうも持って生まれた行動ポイントというようなものがあるように思える。
「行動力」とすると、ちょっと意味が広がりすぎてしまうので、あくまでゲーム的な「ポイント」だ。
1ターンの間に1回行動できます、あるいは2回行動できます、それとも、10回?
人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある── 先月、そのような投稿記事を読ませていただいた。
ある程度はそのとおりだし、実際、「行動ポイント」の限界は多くの人にとって切実なものだろうと思う。
ちなみに、ここでいう「行動ポイント」とは、【1日・1週間・1か月のうちにその人がこなせる総タスク量=行動ポイント】と考えていただいて差し支えない。
で、世の中には「行動ポイント」の高い人もいればそうでない人もいる。
筆者の黄金頭さんは、「行動ポイント」があまり多くないご自身のライフスタイルと「行動ポイント」がすごく高い人、たとえばスティーブジョブズやザッカーバーグのライフスタイルには共通点がある、とも書いておられる。
ジョブズは同じ眼鏡、同じ服を着つづけたし(同じといっても、同じものの新品をたくさん蓄えていたわけだが)、ザッカーバーグは朝食などについて、小さな決断で時間を無駄にしたくないといったという。
あいにくおれは、ビジネス書など読まないから、ネットで得た伝聞、知識にすぎないのだけれど。
これは、へんな話だ。世界有数の大金持ちと、地を這ってせいぜい生活を保つのに精一杯の貧乏人が、同じようなことをしている。
これは、なんなのだろう。
私はこれに疑問を感じないし、へんな話にもみえない。
黄金頭さんのライフスタイルと、ジョブズやザッカーバーグのライフスタイルを繋ぐキーワードは「やりくり」だと私は言いたい。
「行動ポイント」が生来的に少なめの人も、生来的に多めの人も、自分自身の「行動ポイント」をぎりぎりまで使い込んで生きようとすれば、「やりくり」が不可欠になる。
その結果、たとえば同じ服を着るとか同じ朝食を摂るだとか、決断や判断の負荷を減らし、「行動ポイント」を効率化するための共通の工夫が現れてくる。
「行動ポイント」をやりくりしていると「選択と集中」が欠かせなくなる
「行動ポイント」のやりくりについて、もう少し言葉を費やしてみたい。
「行動ポイント」の多寡は先天的な個人差にもよるが、後天的な要因によってもかなり左右される。
つまり、肉体的バイタリティ・精神的バイタリティ・性格・要領の良さ・手先の器用さ・(経済力も含めた)周囲の人への影響力・文化資本やハビトゥス、等々によって「行動ポイント」は多くなったり少なくなったりする。
たとえば肉体的・精神的バイタリティに恵まれている人は、1日・1週間・1か月のうちにこなせるタスク総量が大きい。
そうでない人は、もっとたくさん休みを入れたり娯楽を楽しんだりしなければならないだろう。
また、要領が良かったり手先が器用だったりする人は、ひとつひとつのタスクを平均的な人の50~80%ぐらいの「行動ポイント」で片づけてしまえるかもしれない。
(経済力も含めて)他人への影響力がある人、たとえば執事やメイドを雇える人などは、タスクの一部を彼らにアウトソースすることで「行動ポイント」の制約を軽くすることもできる。
では、そうやって「行動ポイント」に恵まれている人が「行動ポイント」に余裕を感じながら生活できるかといったら、たぶんNoだ。
たぶん、ジョブズやザッカーバーグは行動ポイントのない人ではない。
人類のほとんどよりたくさんの行動ポイントを持ち、さらにそれを一極に集中させたことによって、世界有数の人物になったのだ。
そしてそれはたぶん、そうしようと考えたのではなく、自然とそのようなったのだろうと思う。
ジョブズやザッカーバーグは人並み以上の行動ポイントを持っているだろうが、それでも小さな決断を避けるなどして行動ポイントを節約し、集中すべきタスクに行動ポイントを費やした。
そして世界有数の人物になったとある。きっとそうだろう。
だけどこれって、もっと無名の人も結構やっているもののように、私にはみえる。
子育て中の親はその典型だ。
どんなに行動ポイントに恵まれている親でも、子育てに力を注げば行動ポイントの選択と集中について考えないわけにはいかない。
子育ては、体力も精神力も判断力も必要だから、行動ポイントのやりくりができないと他のことが何もできなくなってしまう。
仕事と子育てを両立しようと思えば尚更だ。子育てを始める前のやりくりのままでは、行動ポイントは必ず足りなくなる。
子育てしていない人でも事情はそれほど変わらない。
その人の性格や野心、バイタリティの許すなかで誰もが精一杯やりくりしているのではないだろうか。
たとえば南の島のリゾートに毎年行かずにいられない人を行動ポイントの選択と集中の乏しい人だとみるのは、違うと思う。
その人の肉体的・精神的バイタリティをかんがみた時、年一回のリゾートはきっと必要不可欠なのだ。
夏と冬にコミックマーケットに行かずにいられない古強者のオタクにしてもそうだ。
やりくりの胸算用を透視できるわけではないけれど、とにかく、やりくりの帰結として夏と冬のコミックマーケット行きがあるとみるべきで、そういう人を「何も考えていない人」「何もやりくりしていない人」とみるのは適当ではない。
こんな具合に、きっとほとんどの人が自分の行動ポイントの限界いっぱいに活動し、その限界いっぱいのところで行動ポイントの選択と集中をやっているとみたほうが、実地に近いのではないだろうか。
「行動ポイント」を増やす(か、効率的にやりくりする)
とはいえ行動ポイントによる制約を減らしたい人、もっと行動ポイントを増やしたい人もいるだろう。
さきほど私は「『行動ポイント』は肉体的バイタリティ・精神的バイタリティ・発揚気質・要領の良さ・手先の器用さ・(金銭面も含めた)周囲の人への影響力・文化資本やハビトゥス、等々によって左右される」、と書いた。
このどれかに働きかければ、行動ポイントは多少なりとも増えるか、効率が良くなる。以下のような方法はどうだろうか。
・作業に取り掛かりやすい環境をつくる
やるべき作業に着手するのに時間がかかる人は多い。
これは、ある程度までは先天的問題だが、環境をいじったり習慣を習得したりすることでも結構変えられる。
なかでも環境は、いじれば効果がすぐ現れるので、工夫のしがいがある。
たとえば気が散ってしまわない環境を整えるだけでも作業への着手は簡単になる。
作業用のPCに余計なアプリやSNSを持ち込まないのもいいだろう。
ときには他人にお金を払い、監督官をしてもらってでも環境を変えたほうが良いこともある──たとえば予備校生の塾通いには、そうした環境へのアプローチという側面もある。
コンテンツを作っている人の場合は〆切を決めるのもひとつの手だ。
創作の世界には「〆切は創作の母」という言葉があるそうだが、言い得て妙である。
また、こちらの記事に書いてあるさまざまな「やる気」の操作方法も参考になる。
手帳、タイマー、ヘッドホン、等々の環境ツールのなかから自分に合ったものを選べれば、手頃な投資で行動ポイントを節約できる。
・なすべきことをキチンとやる習慣を身に付ける
習慣、なかでもハビトゥスと呼ばれるような、すっかり身体化してしまった習慣の威力はバカにならない。
なすべきことをキチンとやる習慣のトレーニングは、一般に、子ども時代から始まっている。
宿題や課題をきちんとこなす習慣、予習や復習をする習慣などは、教育期間が終わった後もずっと役立つし、本当は教科書の内容よりも大切な習得目標かもしれない。
そしてこうした習慣は、社会人になる頃には身に付いているよう期待されている。
実際には、なすべきことをキチンとやる習慣が身に付かないまま就学期間を終える人も多い。
たまたま人より勉強が得意で、受験勉強なども真面目にやらず、合格できそうな大学に願書を書いて合格したような人は、せっかくの勉強の得意さが、この習慣の不在によってスポイルされていたりする。
なすべきことをキチンとやる習慣が身に付いていない人は、なすべきことをキチンとやるための行動ポイントがめちゃくちゃ割高になってしまい、一日、一週間、一か月の間にこなせるタスクの総量が著しく少なくなってしまう。
この習慣の不在は、ちょっと地頭が良い程度では埋め合わせることはできない。
小中学生のうちに身に付けておきたいし、身に付いていない人は遅くからでもいいから身に付けておきたい習慣だ。
・スケジュールを管理する
スケジュールを工夫することでも、一日にこなせるタスクの総量を増やせる。
以前私は、スケジュール管理について以下のようなことを書いた。
仕事そのものの精度をあげたり速度をあげたりするのももちろん重要だ。
が、それだけでなく、スケジュール管理も自分自身の精度や速度を支える固有の技術的課題として上手くなっておくにこしたことはないように思う。
(休む時間も含めて)みっちりスケジュールを埋められる人は、そうでない人に比べて、一日/一週間/一か月/一年のなかで消化できるタスクを増やせる。
Duty なタスクや休みのタスクに加えて、何かを習ったり学んだりするタスクを余計にねじこめるだろう。
人と人の輪をつくるタスクを入れたっていい。
なんにせよ、こなせる総タスク量が増えれば選択肢は広くなる。
作業ひとつひとつの行動ポイントを節約するだけでなく、スケジュール管理を工夫することでも行動ポイントは節約できる、というわけだ。
スケジュールを管理する際には、もちろん休む時間や遊びの時間も想定しておく必要がある。
詳しいことは、上掲引用先をご覧いただきたい。
・行動ポイントを食うものをパージする
黄金頭さんもおっしゃっていたが、自分の生活や目標に不可欠でないものをパージしたり節約したりするのもひとつの方法だ。
掃除や片付けをやる範囲、飲食にかける手間暇、等々。
ちなみにソーシャルゲームやSNSは行動ポイントをたくさん食ってしまうだけでなく、それらに行動ポイントをつぎ込む習慣を作り上げてしまう性質まで持っているので、ぼんやり付き合っていると行動ポイントがたちまち底をつく。
無為無策のまま付き合うと、スマホを操作しているのでなくスマホに操作されている状態になってしまうかもしれない。
・健康を心がける
行動ポイントは肉体的バイタリティ・精神的バイタリティによって左右されるため、肉体的・精神的健康も重要だ。
健康も、こだわり過ぎればかえって行動ポイントがかさむことになるが、夜更かしを避ける・暴飲暴食を避ける・インフルエンザや新型コロナウイルス感染症にならないように注意を払う、等々の健康対策はほとんどの人がやって損がない。
行動ポイントは手段であって目的ではない
こうして列挙してみるに、行動ポイントの高低や効率性は、処世を、ひいては人生を左右する大きな変数だと思わずにいられない。
行動ポイントが多い人はひとつの人生のなかでさまざまのことを経験できるし、達成できるだろう。
反対に行動ポイントが少ない人は、ひとつの人生のなかで経験を増やすのも、何かを達成するのも容易ではない。
だから大筋としては「人は行動ポイントを増やすような習慣や環境を求めたほうが良く、ひとつひとつのタスクに必要な行動ポイントを節約できたほうが良い」、と言えそうだ。
実際私も、こうした行動ポイントがより高くなるように努力しているし、たぶん、その恩恵にもあずかっている。
しかし一方でこうも思うのだ。
行動ポイントが高くなるよう努めるのは、あくまで手段の習熟であって、これ自体は目的にはなり得ないな、とも。
行動ポイントが高くなるような習慣を身に付け、最適な環境を準備できたとしても、そうやって稼いだ行動ポイントをつぎ込める、目的格に相当する何かがなければ人生はむなしい。
その目的格に相当する何かは、人それぞれだろう──勉学が目的になる人もいれば、家庭が目的になる人もいるだろう。
まだ見ぬ景色を見ることが目的の人、一生の間に食べたサーロインステーキの枚数が目的の人がいてもおかしくない。
自分の目的を果たせる程度に手段に習熟すればそれで良いのであって、私たちが全員、行動ポイントの向上と節約に不断に努めなければならないと考えるのも、それはそれで間違いだと私なら思う。
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【プロフィール】
著者:熊代亨
精神科専門医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。
通称“シロクマ先生”。近著は『融解するオタク・サブカル・ヤンキー』(花伝社)『「若作りうつ」社会』(講談社)『認められたい』(ヴィレッジブックス)『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』『健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて』(イースト・プレス)など。
twitter:@twit_shirokuma
ブログ:『シロクマの屑籠』
Photo by Veri Ivanova