なるべく断片で理解した気になりたくないので、気になる画像があったら可能な限り「元ネタ」を当たるようにしています。

 

「いつの間にかインターネットミームになった漫画の一コマ/1ページ」というものが、世の中にはたくさんあります。

Twitterやらなにやらで、バズってるツイートにぶら下がるようなヤツです。

 

例えば、鋼の錬金術士の「君のような勘のいいガキは嫌いだよ」とか。

ジョジョ第四部の「だが断る」とか。

少女ファイトの「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」とか。

ヒストリエの「よくもだましたアアアア!!」とか。

 

ミームとまでは言えないまでも、「その一ページだけが切り取られてそこだけ独り歩きしてしまう」という漫画も枚挙に暇はありません。

狂四郎2030の「今日は全員カレーライス食っていいのか!」とか、新テニスの王子様の「デカすぎんだろ…」あたりはその代表格だと言っていいでしょう。

最近だとラーメン発見伝/らーめん才遊記の芹沢さんなんかもよく出てきますよね。

 

個人的な好き嫌いとしては、私こういう「前後関係を抜きにして、そのページだけ独り歩き」という現象があんまり好きではありません。

もちろん著作権的な話もありますが、それ以上に「前後の文脈を抜きにしてそこだけ取り上げる」ということはあまりその創作に対する愛ある行為とは言えないと思うし、またそのページだけ見てその漫画を知ったような気にもなりたくないからです。

「ああ、あのコマの漫画ね」って納得したくない。

 

だから、web上で取り上げられたあるページが気になったら、私は可能な限り「元ネタ」も買って読むようにしています。

で、当然そのコマの前後も読んで、「ああ、こういう場面だったんだ!」と思うこともあれば、「webで取り上げられてる文脈、本来の漫画と全然違うじゃん……」と感じることもあるわけです。

まあ、唯一テニスの王子様だけは、気になったコマを見て「????」ってなってから、本編を読んでもやっぱり「?????????」ってなることの方が多いんですが。滅茶苦茶面白いですよねテニスの王子様。

 

やっぱりこういう「人口に膾炙する一コマ」というものを擁する漫画って、それだけ力がある創作だってことでもあるので、通して読んでも面白いことが多いんですよね。

もちろん元から読んでいた漫画も多いけれど、そのコマを見て初めてその漫画を知って、読んでみたら滅茶苦茶面白かった、ということもしばしばあります。

 

出会い方がどうあれ、創作と出会って「面白ぇ!!」と思えることは、私にとってとても幸せなことです。

 

***

 

そんな「そのページを読んで気になって、買って読んでみたら滅茶苦茶面白かった」作品の中に、漫画版の「神々の山嶺」という作品があります。

今日は、ちょっとその作品についてのお話をさせてください。

 

神々の山嶺(いただき)。原作は夢枕獏先生の同名小説。

作画は2017年に亡くなった谷口ジロー先生で、「孤独のグルメ」も有名ですが、同じ夢枕獏先生原作の「餓狼伝」も漫画化されておりまして、こちらは板垣恵介先生版と読み比べてみると凄く面白かったりします。

丹波文七完全に別人やん……ってなります。

 

で、神々の山嶺。

Webだと、どういうわけか「食事シーン」が非常に有名だったんですよね。

このシーンとかこのシーンとか。皆さんも見たことあるんじゃないでしょうか。

確かに谷口ジロー先生作画の食事シーンというには、「孤独のグルメ」をいちいち引用するでもなく、「そっけない食事シーンでも何故かやたら美味そうに見える」という特徴がありまして、単独でとりあげたくなる気持ちは分かります。

まるで自分が何かを食べているかのような感覚が味わえること大なのですが、それはそうとこのシーンだけ知っているのが落ち着かなかったので、文庫版を全巻大人買いして読んでみたんですよ。

 

原作小説の方は学生の頃に一度読んでたんですが、さすがに記憶が薄れていたので新鮮な気分で楽しめました。

そしたらとにかく恐ろしく面白かったので、ちょっと本記事では「神々の山嶺のどこがどう面白いのか」ということについて、私の所感を書かせて頂ければ、と思ったんです。

物語のネタバレがどうしても多少は入ってしまいますので、一切ネタバレを読みたくない、という人は是非実際買って読んでみてください。Kindle版も出てます。

 

まずは作品について紹介させてください。

「神々の山嶺」は、史実で実際に起きた事件やエピソードを背景に、羽生丈二という登山家の半生と、その挑戦を追う物語です。

主人公は、カメラマンである「深町誠」。

かれは、カメラマンとして帯同していたエベレスト遠征で仲間の滑落死に遭い、失意のままネパールの首都カトマンズに滞在していました。

 

カトマンズの登山用具品で、彼はとある古いカメラを見つけます。

そのカメラは、「ヴェストポケット・オートグラフィック・コダック・スペシャル」。

そのカメラについてある疑惑を抱いた深町はカメラを買い取りますが、疑惑について調べている内に盗難に遭い、そのカメラを盗まれてしまいます。

それをきっかけに、深町はある男に出会います。

 

その男は、かつて伝説の登山家として名を馳せながら、8年間行方知らずになっていた羽生丈二。

彼こそ、エベレストの山中で「コダック・スペシャル」を見つけた人物でした。

 

これは原作からの話なのですが、「神々の山嶺」という作品の実に上手いところは、「実際にあった登山史上の謎」を物語全体の一つのテーマにしていることです。

実在するイギリスの登山家であり、「Because it’s there.(そこに山があるから)」という言葉でも知られるイギリスの登山家、ジョージ・マロリー。

彼は1924年6月、イギリスのエベレスト遠征に参加しましたが、頂上へのアタック中に行方不明になってしまいます。

 

彼の遺体は75年後の1999年に見つかっている(ちなみにこれは原作小説の完結後のタイミングです)のですが、彼とパートナーのアーヴィンがエベレストの登頂に成功したのか失敗したのか、ということは史実上でも謎のままになっています。

もしマロリーがエベレスト登頂に成功していたとしたら、1953年にエドモンド・ヒラリーがエベレストに初登頂した、その30年近く前に人類はエベレスト山頂に到達していたことになります。

 

マロリーが登頂挑戦時に持っていたカメラが、「コダック・スペシャル」。その中のフィルムがあればマロリーが登頂していたかが分かるという、登山史上の謎を解き明かす焦点。

まさにそのカメラが、「神々の山嶺」作中、深町がカトマンズで見つけたカメラだったのです。

 

ここから、物語は「マロリーのカメラ」の謎を追うと共に、そのカメラを見つけた羽生丈二の半生、そして羽生がこれから行おうとしていることに、徐々に焦点を移していくことになります。

 

羽生がやろうとしていること。

それは、人類という種が単独で出来る可能性のあるぎりぎりの行為、「冬季エベレスト南西壁無酸素単独登頂」。

 

作中でも「あらゆる準備を整え、あらゆる好条件に恵まれた上で、更に天から愛されないと可能性は見えてこない」と描写されている、その登頂に羽生は挑もうとしているわけです。

「エベレスト南西壁を」「他人のサポートを一切受けず、単独で」「無酸素で」登頂するというのは、現実世界でも達成されていない難事中の難事です。

 

つまりこの作品は、二人の登山家による、二つの登頂を物語のテーマにしている、ということになります。

「マロリーはエベレストに登頂出来たのか」というテーマと、「羽生はエベレストに登頂出来るのか」というテーマ。

実際に存在する登山史上の謎と、実際に存在する「人類最大の難事」。

これが、主人公である深町の目を通して読者の前に描写されます。

 

この物語の見せ方のコントロールが、本当の本当に絶妙でして。

この作品、文庫版の巻数分けで言うと、「1巻から3巻まで積み上げられた入念な準備が、4巻から5巻にかけて南西壁登頂編で一気に解放される」というような構成をしているんです。

 

羽生の余りにも不器用な生きざま。彼が山に執着する理由。彼がエベレストに挑む理由。

羽生のライバルである長谷との出会いと、長谷に起きたこと。

マロリーのカメラをめぐる事件と、そこで起きる羽生と深町、そしてその他の人々との関わり。

 

1巻から3巻でこれらの展開が丁寧に積み上げられるのは、あたかもそれ自体「登山の前の入念な準備」であるかのように、読者を少しずつ神々の山嶺の世界に没入させます。

極言すると「何故羽生はエベレストに挑むのか」というたった一つの要素を、三冊分の展開をかけて、読者はじっくりと理解していくことになります。

この三冊があればこそ、何故羽生が途方もない難事に挑むのか、そして何故羽生ならそれに成功し得るのか、ということが十分に納得出来る。

 

そして、その入念な準備の末に、4巻でついに「羽生によるエベレスト南西壁登頂への挑戦」が描かれるのです。

この4巻から5巻にかけての展開は、食事シーンなど本当にごくごく小さな一かけらでしかないと断言出来るくらい、恐ろしい臨場感と迫力があって、ただただ未読の方は読んで頂きたいと思う他ないんですが。

とにかく、谷口ジロー先生の描写力が途方もなさ過ぎて、本当に自分もその場に立っているとしか思えないくらい、読んでいて漫画に引き込まれるんですよ。

 

すごーく細かい話なんですが、例えばこのページ。

右上のコマで「斜面に取り付いている深町」が描かれてから、次にそこからの連続した動きとして深町の手元の描写。

ここで、ビリビリと深町の手に痺れが走る描写と、その氷壁の固さに関するナレーション。

ただこれだけで、目もくらむような高さの氷壁に取り付いていることと、そこを上る為に必要な用具の働き、必要な技術、深町の疲労と彼がおかれた危険まで、全く過不足なく、全部スムーズに読者の頭の中に入ってくるんですよ。

 

もちろん原作の夢枕先生の描写をベースにしているものとはいえ、これだけ「余分なコマが一切なく」「全ての動きが可視化されて」「必要な情報がしっかり分かりやすく入ってくる」っていうコマ割りと動作描写、ここだけ見ても凄い漫画力だと思わずにいられないんですが、これが全編ぎっしり、全く隙間ない密度で詰まってますからね。

羽生と深町が、エベレスト山中でどう行動して、どんな危険に遭って、どうそれを乗り越えるのか、それらが全部途方もない密度で漫画の中に濃縮されているわけです。

 

本当、このカメラワークと描写の分かりやすさ、一種の芸術とまで言ってしまってもいいんじゃないか、と思うくらいです。

 

深町の立ち位置がまた丁度良くって、「羽生ほどの実力はないが、クライマーではある」という彼の視点が、素人も多いであろう読者にとって「羽生の実力を理解出来る」ちょうどいい解説役になっているんですよね。

自分と羽生の絶対的な差が、クライマーだからこそ理解出来てしまう。そんな彼が必死に羽生の登頂についていく描写は、それ自体十分読み応えがあります。

 

展開自体も、羽生が登頂中に見せる超人的なクライマーとしての実力に「さすが」と思わせるようなカタルシスがあることもさることながら、様々な面で「マロリーの登頂」と展開が被ってくる、というのも一流の作劇と言っていいと思います。

史実でマロリーを見守っていたオデールの立場で、羽生の登頂を見守ることになる深町。彼の葛藤とその行動も、4巻・5巻の重要な味の一つです。

 

装備やら用具についての解説も必要十分、思わず自分でも登山したくなっちゃうくらい分かりやすくて詳細です。

装備確認とか物資の準備の描写大好き。

まあエベレストに行くつもりはちょっとありませんが。

とにかく、「4巻から5巻の南西壁登頂編を読むだけでも、この漫画に触れる価値がある」というのは一点断言してしまいたい、と思う次第なのです。

 

羽生と深町というキャラクターの描写もこれまた味わい深すぎてですね。

例えば羽生、山岳会時代に自分の言動や行動が原因で何人もザイルパートナーを失っているんですが、1巻の「色んな羽生の関係者から羽生のことを聞く」という展開では、「まあ、確かにこの不器用さだとそうなるよな……」と思うと同時に、「この執着なら、羽生には他の生き方は選びようがなかったよな……」ということも十分納得できてしまうんです。

 

一方で、それを追っている深町と羽生の、ほんの僅かなやり取り。

「単独行の邪魔をしないなら」という条件つきとはいえ、深町が「自分についてくる」ということを認めた羽生の態度や、そこに至る経緯。

また羽生を追ううちに見せた深町自身の成長なんかを見ていると、5巻の展開がよりいっそう味わい深くなってしまうというわけなんですよね。

 

ネタバレになってしまうので細かい言及は避けるんですが、劇中5巻、「思え ありったけの心で思え 想え」という一文はもう、なんというか、名言とかそういう言葉を越えて、この作品の全てが詰まっているような一節だと思います。

「そこに山があるからじゃない ここに俺がいるからだ」という発言と、その時の羽生の表情もとても好き。

 

ありとあらゆる経緯の末に、それら全てを呑み込んで、自分自身でもエベレストに単独で登ろうとする深町。

彼が「山嶺」で見たものとは。

是非、これを読んでいる皆さまの目でも確認してみていただきたい、と思うばかりです。

 

と、ちょっと長々と書き過ぎました。

とにかく私が言いたいことは、「神々の山嶺滅茶苦茶面白いので、もし(以前の私のように)画像だけ知ってるけど中身は読んでない、という人がいたら是非ポチって読んでみてください5巻しか出てないのでお手軽ですよろしくお願いします」という一点だけでして、他に言いたいことは特にありません。よろしくお願いします。

 

今日書きたいことはそれくらいです。

 

 

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【著者プロフィール】

著者名:しんざき

SE、ケーナ奏者、キャベツ太郎ソムリエ。三児の父。

レトロゲームブログ「不倒城」を2004年に開設。以下、レトロゲーム、漫画、駄菓子、育児、ダライアス外伝などについて書き綴る日々を送る。好きな敵ボスはシャコ。

ブログ:不倒城

Photo by Ben Lowe